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しあわせの唄がきこえる
008



「……崎谷先輩」

先輩の姿を見るのが久しぶりすぎて、幻覚でも見てるのかななんて馬鹿げたことを一瞬思ってしまった。しかしこうして向き合ってみると、やっぱり俺は先輩に会いたかったのだと再認識する。顔を見るだけで無性に嬉しい。

「お前、どうしていきなり来なくなったんだ? 何かあったのか?」

「え」

まさかそんなことを訊かれるとは思っていなくて、何も言い返すことができない俺。もしかして先輩、俺のことを気にしてくれたのか。

「いや、特に何かあったわけじゃないです。ただやっぱりずっと追い回していたら、さすがに迷惑かなって…」

あなたのことは諦めましたと言うことができず、かなり今さらなことを言い訳にする俺。だが先輩はそれで納得してくれたらしく、小さく頷いた。

「そうか、だったらいい。あれだけ諦めないと息巻いてたのに、いきなり来なくなったから何かあったのかと思……いや、何でもねぇ」

一瞬、俺が来なくて寂しかったのかなと期待したが、口調から察するにただ純粋に心配してくれていたらしい。ストーカー相手にどこまで優しいんだこの人は。要件だけいってさっさと帰ろうとする先輩に、俺は意を決して声をかけた。

「先輩!」

「……あ?」

「俺は、ずっと先輩が好きです。この気持ちは変わりません。でもこれ以上迷惑だと思われるのはやっぱり悲しいので、潔く諦めます。今までしつこくしてすみませんでした」

その場で深く頭を下げ、自分で自分の気持ちに終止符を打つ。ああ、これで本当に終わってしまったのだ。恋愛感情はなかったが、もっと先輩と一緒にいたかった。もう関わることもないのだと思うととても寂しい。

だが、俺の予想に反して先輩はすぐ立ち去ってはくれなかった。むしろ踵を返して俺に近づいてくる。

「せ、先輩?」

「……お前、俺の昔の話聞いたんだろ。どう思った」

「え」

「だから俺の……元恋人の話。あいつが卒業した途端、俺を振ったのは本当だ。お前はそれを聞いてどう思った」

「……」

なぜそんなことをいきなり俺に訊くのかわからず頭の中が疑問符だらけになる。だが先輩に尋ねられている以上、俺は正直に答えなければならない。

「俺は、仕方ないことだったのかもしれないと、思います」

「……あ?」

思ったことを正直に言うと、先輩の顔が前髪と眼鏡の下でおかしな形に崩れる。少し正直になりすぎたかと後悔したが、言ってしまったものは仕方ない。

「俺にはその元恋人さんの考えはわかりません。だから勝手な想像になりますけど、男女の恋愛だっていくら好きでもどうにもならないこともあります。ましてや男同士なんて、この学校を卒業したら弱気になってもおかしくありません。好きだけでやっていけるほど、強い人ばかりじゃないと…俺は思います」

なぜ先輩を傷つけたと言われている元恋人を擁護しているのかはわからないが、本当にそう思ったのだから仕方ない。女がいる環境に入って目が覚めた、なんてあまりに酷い言い方だと思う。普通じゃない恋愛をしている自分のこれからを、不安に思わない人はいないだろう。

「あ、あくまで個人的な意見なんで。聞き流してもらえると……って、先輩?」

ふと顔をあげると、崎谷先輩はすごく悲しそうな表情をしていて、俺は自分が何かやらかしてしまったのかと慌てた。あたふたする俺に、先輩は俯きがちになりながら口を開いた。

「……あいつ、泣いてたんだ」

「え?」

「電話なんかで別れようって言われたのは悲しかったけど、どうしても顔を見られないって謝られた。俺のことが嫌になったわけじゃない。今だって誰よりも好きだって。でも、つらい思いをするのが目に見えてるのに、このまま親にも言えない関係を続けられない。そう言われて、泣きながら何度も謝られた」

「……はい」

「つらかったけど、俺はそれで納得しようとしてた。仕方ないことなんだって。でも周りがそれを許してくれなかった。あいつは俺に本気じゃなかった、自分なら俺を捨てたりなんかしない、ってそればっかり。もううんざりだったんだよ。そんなに俺を惨めにしたいのかって。だから誰の言葉も聞きたくなくて、全部遠ざけた」

「……」

「だからお前が言ってくれたこと、俺は嬉しかった。……ありがとう」

お礼を言ってくれた先輩は初めて、俺に優しい笑顔を見せてくれた。先輩の言葉に、俺の中になんとも言えない感情が溢れてくる。これで話を終わらそうと再び背を向ける先輩の手を、俺は思わず掴んでいた。

「待ってください、先輩!」

「…?」

「俺、先輩のこと諦めるって言いましたけど、やっぱり撤回します! いや、諦めることは諦めるんですけど……」

「……?」

「だからっ…俺達、友達になりませんか!」

どうしても先輩と深く関わりたかった俺は、気づくとそんなことを口走っていた。その時の先輩のポカンとした顔を、俺はしばらく忘れられないだろう。

「すいませんっ、先輩相手に友達とかおかしいですけど……でも俺は、恋愛感情抜きに付き合っていきたいんです。そしたら、ずっと先輩と一緒にいられるから」

「……」

「あ、あの、今すぐにとは言わないんで、考えてみてください。では!」

良い逃げみたいな形でさっさと撤収しようとした俺の腕を、今度は先輩が掴む。かなり失礼で恥ずかしいことを言ってしまった自覚がある俺は、この場からすぐに消え去りたかったが、なぜかそれを許してくれない先輩。うろたえる俺の身体を先輩がぐっと抱き寄せてきて、俺は端から見ても可哀想なくらい取り乱した。

「えっ、え! えぇ!?」

「…悪い。今まで散々邪険にしといて、都合いいとは思うけど、俺、お前とならうまくやれる気がする」

「……えぇえ?」

とんでもないことを言い出した先輩に、まったくついていけなくなる。この展開はかなりまずいと、馬鹿で鈍感な俺でもわかった。

「立川、俺と付き合ってくれ」

「うへぇあ!」

動揺しすぎてすごい変な声が出た。うわ、どうしよう。これはこの気に乗じて先輩と友達になっちゃおう、なんて都合のいいことを考えた俺への罰なのか。

とにかくこうなってしまった以上、もうあまっちょろいことは言ってられない。はっきり恋愛感情はないのだと言わなければ取り返しのつかないことになる。

「先輩! 俺は……っ」

「悪い、こんなの今さらだよな…。都合いいこと言ってんのはわかってる。でももしお前がまだ俺のこと少しでも好きなら、考えてほしい」

「いや、だから俺は……」

「……お前は、俺が嫌か?」

「…〜〜っ!」

今日に限ってどうしてそんなにキャラが違うんだ。今までの突っぱねる感じはどこにいったんだよ。こんなに弱々しい先輩を俺は知らない。

「立川、嫌になったらすぐ別れてくれていい。だから俺と付き合うこと、改めて考えてくれねぇか」

俺の目の前にのばされた手を穴が開く程凝視する。これを握り返してしまったら、もう戻れない。だがこの手を拒むことが、はたして俺にできるのか。

「立川…」

駄目だ駄目だとわかってはいても、先輩を傷つけるという選択肢が俺の中にはない。俺の手が、別の生き物みたいに勝手に動いて、そして……。

「…よ、よろしく、お願いします……」

俺は、史上最大の大馬鹿野郎だ。再び先輩に抱き締められ顔に精一杯の笑顔を浮かべながら、自分の意気地のなさに愕然としていた。















「暁〜っ、お前何してたんだよ! 遅いから心配したんだぞ!」

「……」

「暁? どうした?」

「桃吾、どうしよう…」

「ん?」


「俺、彼氏ができた……」

「…………はあ?」


第一章 おわり

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