しあわせの唄がきこえる
006
「いや、まさかお前がそんなことになってたなんてなぁ……」
「ごめん! ほんとにごめん桃吾!」
羽生と先輩と色々やらかしてしまった日の昼休み、俺はいつも通り桃吾のもとに走った。そしていつもの中庭でいつもと同じようにご飯を食べながら、俺は今までのことをすべて白状した。
「お前の気持ち考えないで、勝手に1人で突っ走って、今はすっげぇ反省してる。先輩に言われて、ようやく気がついたんだ」
「いやいや、別にそんなに謝んなくてもいいよ。結果的に怪我なかったんだし」
ひたすら謝罪を繰り返す俺を桃吾が宥める。本当はちょびっと怪我したが、それは内緒だ。桃吾は悄気る俺の肩をなで優しい笑顔を見せてくれた。
「暁が怪我する前に知れて良かった。これからはもう、危ないことに首突っ込むなよ?」
「……うん」
よし、と桃吾がぐりぐりと頭をなでる。いつの間にか包容力の上がったらしい幼なじみにもびっくりだが、まさかこんなことを言わせてしまうなんて、まるで幼稚園児だ。
「でも喧嘩を覚えるために男子校って、ちょっと短絡的すぎないか? 確かに羽生先輩みたいなの強い人はいるけど、近づくのは危険すぎだろー」
「うん。俺、崎谷先輩がいなかったらヤバかった」
命知らずって超怖い。薔薇色の学生生活を捨ててきたからといって、俺は少し必死になりすぎていたのだ。
「でも崎谷先輩って、すっげぇ人だよな。あの羽生さんに全然ビビってねえんだもん。いくら理事長の孫でも、俺ならあんな度胸ないや」
「いや、お前も十分すぎる程の勇気があると思うけど」
「あれは勇気とは違うって。ただの無謀だから。…ほんと諫早さんが来てくれて助かったよ。俺のせいで崎谷先輩に何かあったら、もう自分が許せねぇもん」
「いや、それはないだろ」
「なんで?」
「だってあの先輩、めちゃくちゃ喧嘩強いから」
「っえぇ!?」
桃吾の話に顎がはずれるかというくらい口を開けて驚愕する俺。何を今さら、といった風に幼なじみは肩をすくめた。
「スポーツ科の俺が知ってるくらいだぜ。3年のトップといえば羽生誠と並んであの人しかいねぇよ。あの二人、ずっと決着ついてないらしいけど」
「で、でも、今日も前も、崎谷先輩、絶対に喧嘩しようとしなかったのに」
お前を退学にしてやると言ってまで、羽生を止めたのだ。彼がめちゃくちゃ強い不良で羽生と競っているのだすれば、あんなことを言うだろうか。
「何言ってんだよ、暁。そんなの普通に考えてお前のためだろ」
「………俺の?」
思い当たる節もなく首を傾げる俺に、桃吾は仕方ないなぁという顔をした。
「お前を庇って先輩が誰かをボコボコにしたら、そのやられた奴の怒りの矛先がお前に向くかもしれない。そんなことにならないように、先輩は喧嘩をさけててくれたんじゃねえの」
「あ……」
そうだ、崎谷先輩はいつもそうだった。名前を聞いただけで不良が慌てて逃げ出すくらい強いのに(あの時は普通に理事長の孫だからだと思ったが)、頭を下げてまで穏便に解決しようとしてくれたのだ。それなのに俺は性懲りもなく羽生についていき、自ら危険に飛び込んだ。先輩が俺のために何をしてくれたかも知らないで。
「ま、あくまで俺の想像だけどさ」
「…いや、ありがとう桃吾。また目が覚めたよ」
「いえいえ」
すぐに崎谷先輩の考えに気づくとは、さすが桃吾というべきか。彼は人の良いところを見つけるのが得意だ。と、いうより人の良いところしか見ていない気がする。不良の先輩に対する忠告は別として、こいつから人の悪口を聞いたことがない。要するにただのお人好しだ。
「……俺、ちょっと先輩んとこに行ってきてもいいかな」
「今から?」
「おう」
「ああ、もちろん。行ってこい」
「ありがと!」
まだ昼食の途中ではあったが、俺は食いかけの弁当をしまい笑顔で見送る桃吾に背を向け走った。目指すのはもちろん、3年の教室だ。崎谷先輩のクラスはわからないので、すべての教室を除き込んで探す。昼休みには教室にいないかもしれないと思っていたが、俺は運良く彼の姿を見つけた。
崎谷先輩は、窓際の一番後ろという特等席で頬杖をつきながら外を眺め、パックのジュースを飲んでいた。暇そうではあるのに、誰も人を寄せ付けないオーラを出している。クラスの誰もがごく自然に先輩を遠巻きにしてる中、彼に近づくのはとても難しかったが俺は躊躇わなかった。
「崎谷先輩!」
「? ……お前…っ」
俺に気がついた先輩は少し驚いたように身を引く。周囲の生徒たちが俺達を見てざわついているのには気がついていたが、俺は先輩しか見えていなかった。
「何だよ。俺はもう、お前に言うことなんかねーぞ」
「はい。でも俺は、先輩に話したいことがあります」
先輩は興味なさげに俺から視線をそらす。もううんざりだ、とでも言いたげに。俺がまた言い訳を繰り返すとでも思っているのだろう。しかし俺の意図はまったく別のところにあった。
「崎谷先輩、俺、先輩に惚れました!」
「ぶっ…!」
突然の宣言に、飲んでいたジュースを思いっきり吹き出す先輩。信じられないようなものを見るような目を俺に向けてきたが、俺はもちろん大真面目だ。
「お前っ…いきなり何いってんだ!」
「先輩の優しいところが大好きです。ずっとずっと、先輩の側にいたいと思っています。だからどうか、俺が側にいること許してもらえませんか? 先輩が望むなら、俺はなんでも喜んでします」
強くて格好良くて優しい、だなんて。彼をおいて他に俺の理想の人はいない。こんなに尊敬できる人は、もうこの先現れないかもしれない。先輩の言うとおり、羽生誠のことは諦める。だが、自分の目的まで諦めるつもりはない。羽生以上の、理想の男が見つかったのだから。
「すみません、いきなり。でも俺、羽生さんは諦めても先輩のこと絶対に諦めませんから」
「…いや、お前ちょっとは時と場所を選べよ! …何もこんな目立つとこで…っ」
確かに、三年の先輩方は俺と先輩を見てざわざわとしている。突然乱入してきた2年が大きな声で舎弟志願をしたのだから当然だ。
「ああっ、もう! ほんとはこんなこと人前で言うのはヤだけど、お前が悪いんだからな! 悪いが絶対にお断りだ。お前がどうとかじゃなく、俺はこの学校で誰かとそういうことになる気はない」
「そんな! 俺にはもう先輩しかいないんです! 先輩以外考えられません!」
「知るか! もう俺に近寄ってくんな!」
心底嫌そうな顔をして後ずさる先輩ににこにこと笑いながら近づく俺。先輩や周りが完璧に勘違いしていることなど、この時の俺には知るよしもなかった。
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