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しあわせの唄がきこえる
005




と、次の瞬間、何者かが後ろから羽生の腕を捻り上げ、彼を俺から引き離した。何が起こったのかわからず、俺はその場で呆然と固まって乱入者を見上げた。

「こんなに近づいても気づかねー程、がっついてんじゃねぇよ」

「……!」

この声の持ち主は絶対に忘れない。羽生誠の腕をためらいもなく掴み引っ張り上げた命知らずは、あの崎谷一成先輩だったのだ。

「せ、先輩……」

「お前も本気で懲りねえな。よりによってこいつに絡んでいくとは」

どうしてここに、という疑問は崎谷先輩の冷たい視線の前に消える。二度も自分を助けてくれた恩人を前にして俺が何も言えずにいると、唖然としていた羽生がようやく我にかえり、先輩の手を振り払って怒鳴った。

「てっめぇ、何邪魔してんだ崎谷! ぶっ殺すぞ!」

「落ち着けよ、羽生。俺は別にお前と喧嘩したいわけじゃない」

「うるせぇ!」

青筋を立てて怒鳴り散らす羽生にすっかり縮み上がってしまい、俺はまだ硬直し続けていた。羽生はその体格からは想像もできないスピードで体勢を整え崎谷先輩に向かって拳を振り上げる。やられる…!と、つい目をつぶってしまった俺だが、いつまでたっても殴られる音は聞こえない。恐る恐る様子を窺うと、そこには崎谷先輩ではない人が羽生の拳を受け止めていた。

「諫早……」

「だ、駄目です羽生さん。ここは引いて下さい…!」

涙目の諫早さんが消え入りそうな声で訴えかける。羽生も突然の乱入者にひとまず足をおろした。

「なにやってんだ諫早。てめぇはすっこんでろ!」

「そ、そりゃあ僕だって関わりたくないですよ。でも、相手が悪すぎますっ」

「俺が崎谷に負けるってのかよ! ふざけんな! あんな奴すぐにはっ倒して……」

「崎谷一成は、理事長の孫なんですよ! 今度こそ退学にさせられます!」

ぼろぼろと涙を流しながら肩を震わせる諫早さん。相当な勇気を出して羽生に意見しているのだろうが、どうやらその思いは彼に届いたらしく羽生は目に見えて大人しくなった。

「そのチビの言う通りだぜ、羽生」

崎谷先輩が悔しそうにこちらを睨む羽生誠に言い放つ。迫力はまったく負けておらず、むしろ崎谷先輩の方が優勢に見える程だ。

「俺はお前と争う気はない。だがお前がこれ以上手ぇ出してくんなら、俺はお前を必ず学校から追い出してやる。どっちが得か考えるんだな」

「…ちっ、糞が」

「は、羽生さん。落ち着いて下さ…」

「うるせぇ! ……もういい、行くぞ諫早」

羽生はぺっと唾を吐き捨てると、そのまま俺達に背中を見せた。大人しく引き下がってくれた羽生に驚きつつも、余計なことを言って怒らせたくなかった俺は声もかけられなかった。





「……」

羽生の姿が見えなくなった後、俺は崎谷先輩になんと声をかけて良いかわからずずっと無言だった。先輩は俺をあの羽生誠から庇ってくれたのだ。いくら理事長の孫だからといって危険すぎる行為だ。現に羽生はためらいもなく先輩を殴ろうとした。諫早さんが来てくれなかったら、間違いなく血を見ていただろう。とりあえず、今回と前回あわせて助けてくれた礼をしようとしたが、先輩はそのまま黙って歩いていってしまった。

「待っ……崎谷先輩っ」

「さっさと行くぞ。ここは羽生の手下共のたまり場だからな」

「あ…」

確かに彼の言う通り、ここに長居するのは得策じゃない。俺は身なりを整え慌てて先輩についていく。転入初日とまったく同じシチュエーションだ。まるで何も成長していないことを実感して、自分が嫌になる。

「あの、先輩。助けてくれてありがとうございました。もう2回も、迷惑かけてしまって」

「まったくだ。わかったらもう二度とあいつには近づくんじゃねぇぞ」

「……」

そんなことはわざわざ釘を刺さずともわかっている。羽生に引っ付いていったって自分が怪我するだけだ。
だがここで諦めたら、いったい何のためにここに来たのかわからなくなる。強くなるためには、こんなことで逃げ出してはいけない。

「返事は?」

「……」

桃吾や蒼井君に誤魔化したように、テキトーに答えてしまえばいい。この場が凌げれば良いのだから、罪悪感など感じる必要はない。それなのに、なぜか俺は崎谷先輩を前にしては嘘をつけなかった。先輩が身を呈して俺を守ってくれたせいかもしれない。

「……すみません、先輩。それは約束できないです」

「は?」

「俺は、羽生さんの仲間にして欲しいんです。危険だってわかってます。今までは運が良かっただけで、そんなに何度も先輩に助けてもらえるとは思っていません。でも俺はここで、諦めるわけには…っ!」

その瞬間、先輩に胸ぐらを掴みあげられ壁に叩きつけられる。相手は不良でもない普通の男のはずなのに、その眼鏡の下の鋭い目に凄まれるとそのまま硬直してしまった。

「ガタガタうぜぇこと抜かすな。お前はただ頷いてりゃいいんだよ。羽生には近づくな、いいな」

「で、でも俺は……」

「いい加減にしろ!」

崎谷先輩に怒鳴り付けられ、俺はビクッと身体を震わせる。けれど羽生とは違う、俺の身を案じての怒りだということはわかっていた。

「自分が何されそうになったか、お前はちっともわかっちゃいない。わかっててやってんなら、お前は本物の大馬鹿野郎だ!」

「お、俺が馬鹿だってのは、ちゃんと理解してます。でも、これは俺が選んだことだから、俺の自業自得だから、仕方のないことで…」

「そういうこと言ってんじゃねぇ! お前、ちょっとでも周りの人間のこと考えたことあんのかよ。お前にだって家族とか友達とかいんだろーが。そいつらが傷ついたお前見て、どう思うか少しは自覚しろ!」

「……っ」

崎谷先輩の言葉に、俺はガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。俺は自分のことばかりで、周りがどう思うかなんて考えもしなかった。俺が良ければそれでいいなんて大きな間違いだ。俺をここに誘ってくれた桃吾が、どれほど自分を責めるか。弟だって、俺が怪我すれば責任を感じるかもしれない。流生なんかあんなに何度も注意してくれたのに、俺は彼らの気持ちを一度も考えたことがなかったのだ。

「一生消えない傷がついてもいいなら、羽生んとこ行けよ。俺はもう知らねぇ。自業自得だとか、取り返しのつかないことになった後でも言えるのか見物だな」

崎谷先輩はそう言って、呆然と立ち尽くす俺を置いて行ってしまう。俺はその場を動けずに、先輩に言われたことをずっと考えていた。


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