しあわせの唄がきこえる
005
その日の夜、仕事で母親が遅くなったため、俺は一人でコンビニ弁当を買って食べていた。母さんが仕事で遅くなるのはよくあることで、コンビニ弁当やインスタント食品にはすっかり飽きてしまった。しかしどうしても料理をする気にはなれず、いつも一人きりの味気ない夕食の時はかなり気がふさいでいる。今日は怪我をしたから尚更憂鬱だ。
母さんが帰ってくる前に、と俺は今日羽生に蹴られた腹を鏡の前で確認してみた。内出血している俺の腹は結構痛々しい。実際動くとかなり痛いのだが、病院に行かなくても大丈夫だろうか。でも病院に行けば母さんにこの傷のことがバレてしまう。それはとてもよくない。
「俺、ほんとにやってけんのかなぁ…」
喧嘩っ早い不良にまみれた学校の現状に、ついつい弱音を吐いてしまう。こんな怪我ぐらいで気弱になるなんて、自分が弱い男である証拠だ。ここでやっていくためのモチベーションを上げるためにも、俺は行動を起こすことにした。
「よし、忍に電話しよ」
これがなければやってられない。俺はさっと携帯を取りだし、履歴から弟の番号を選び呼び出す。弟は多忙であまり電話に出てくれないので今回も駄目かもしれないと思っていたが、意外とすぐに応答があった。
「あ、忍? 久しぶりー。やっと出てくれた」
『……何の用だ』
忍の声はかなり不機嫌だったがこれもいつものことなので気にしない。弟と話せるだけで俺は十分なのだ。
「いや、せっかく忍の近くに引っ越してきたから、現状報告でもしとこうかと思って。なんで今まで電話に出てくれなかったんだよ」
『忙しかった。お前みたいに暇じゃないから』
「俺だって暇じゃないし! 暇じゃないけど頑張って電話かけてたんだよ」
俺ばっかり忍と話したいみたいでイラつくので、ちょっときつめに怒ってみる。電話の向こうから弟の面倒くさそうなため息が聞こえた。
『はいはい。で、お前結局どこの学校行ったんだっけ』
「え、父さんから聞いてない?」
『まともに会話しねーのにお前のことなんか聞くかよ』
まともに会話しないとは、どうやら相変わらずドライな関係らしい。仲が悪いわけではないと思うが、反抗期なのか最近はあまり親子で話をしないようだ。
「俺が通ってるのは西槻学園だよ」
『はぁ? お前あんなガリ勉学校行ってんの?』
「ガリ勉じゃないよ。普通に不良もたくさんいるし」
『そうだっけ。西槻とか遠すぎて勢力争いに参加してないからなぁ。全然知らね。てか西槻っていえば、桃吾がいるとこじゃねぇか』
「そうだけど……忍、桃吾がいること知ってたの?」
『そりゃまあ、学校ぐらいは』
口調は雑だが、本当は桃吾のことを気にしているのがバレバレだ。お互いさっさと素直になればいいのに。
「お前ら、早く仲直りしろよな」
『口出しすんなお節介。あと俺の前で奴の名前出すなよ』
自分から言ってきたくせに、なんて横暴な奴だ。俺達が一緒に住んだら絶対桃吾を家に呼んで仲直りさせてやる。
『つかあいつがいるからってあんな遠い学校行くとか、馬鹿じゃねーのお前』
「桃吾がいるからだけじゃないよ。俺、いま強くなるための修行中だから」
『は? お前アレ本気だったの?』
「当たり前だろ!」
声を荒げる俺に深い深いため息をつく忍。弟の呆れた顔が目に浮かぶようだった。
「で、今はうちのトップの羽生さんに、弟子入り志願してるとこ」
『してるとこ、じゃねーよ。アホかてめーは。やめとけ、不良のトップにろくなのはいねぇんだから』
「やだよ。俺お前が一緒に住んでくれるまで諦めない」
『アホか』
そうとはっきり言われたわけじゃないが、忍が俺といるのが恥ずかしいと思っているのは明白だ。多分、忍が電話に出ないのは仲間といる時で、俺の存在なんてきっと誰にもおしえてないに決まってる。
『確かに、もし暁が俺と同じぐらい強くなったら、一緒に住んでやってもいいけど。まず無理だろうからな』
「マジか!? お前言ったな! その言葉忘れんなよ!」
『お前こそ最後の一文聞き流してんじゃねぇよ。絶対無理だっつーの』
弟と約束を取り付けた俺は俄然やる気が出てきた。これは絶対、すぐにでも羽生さんに鍛えてもらわなければ。
『……それより、俺が前に頼んだ、“あのこと”ちゃんと考えてくれたわけ』
やけに真剣な口調で尋ねてきた忍に一瞬何のことかと考える。そしてようやく思い当たった瞬間に、それこそ本気だったのかとびっくりした。
「ああ、あれか。あんなの無理に決まってるだろ。考えるまでもないよ」
『はあ?』
「そんなこと頼むぐらいなら、さっさと家族4人で住もうぜ。きっと楽しいからさ」
弟には見えないが満面の笑みでそう言うと、受話器の向こうから舌打ちが聞こえた。こんな可愛くない忍はやっぱり桃吾には見せない方がいいかもしれない。卒倒しそうだ。
「忍、お前ってちょっと色々考えすぎだと思うよ」
『うるせぇ。お前がノンキすぎるんだよ馬鹿。俺は諦めねえからな。気が変わったら電話しろ。それまでかけてくんな』
そんな捨て台詞を残して忍はいきなり電話を切ってしまう。冷たい弟の態度にがっくりしつつも、下がりきっていたモチベーションは再びすっかり元に戻っていた。
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