[携帯モード] [URL送信]

しあわせの唄がきこえる
004



人気のないところまでやってきた戸上さんは、にこにこと笑いながら俺を引き寄せてきた。ここまで密着してこそこそ話さなければならない内容なのか疑問だが、ここで暑苦しいからといって距離をとるわけにもいかない。

「あっきーってさ、本当に無防備だよね」

「え」

「そんなんじゃ、ここじゃすぐに食われちゃうよ?」

訳もわからないまま危険を察知した俺は戸上さんから今度こそ距離をとろうとした。だが彼は俺の手を離してくれず、それどころかさらに強い力で引いてくる。

「……っ」

「いい目だね。俺、あっきーの目好きかも」

「どういうつもりですか、戸上さん」

「ちょーっと俺と遊んで欲しいだけだよ。大丈夫、大丈夫。痛くしないから」

痛く、って俺はまさか今からこの人に殴られるのだろうか。まさか喧嘩が目当てだなんて思ってもみなかった俺は、想定外の事態に慌てるしかなかった。

「何でですか、戸上さん。俺、なんかしました?」

「いんや。ただ新人はとりあえず唾つけとこうっていう俺の信条」

「……」

不良校の洗礼、という言葉が真っ先に頭の中に浮かぶ。戸上さんはきっと俺を試そうとしているに違いない。となれば、受けてたつのが男というものではないのだろうか。

「……わかりました」

「へ」

「やりましょう。俺じゃ力不足かもしれませんが、全身全霊で戸上さんの相手になってみせます」

「……」

覚悟を決めてそう宣言する俺の顔をまじまじと見つめる戸上悧輝。すると次の瞬間、彼は唐突に笑いだした。

「あっはっはっはっ」

「……?」

「っ……あー…、お前やっぱりウケるわぁ。ここまでわかってない奴って初めて。逆に最強かもしれねぇー」

「あの……」

「ま、こういうのは早いもん勝ちってことで。僭越ながら、この戸上悧輝が最初にいただきまっす」

軽快な口調で誰にともなく呟き、ご丁寧に手をあわせた戸上さんは足払いをして俺の体勢をあっという間に崩した。綺麗に床に倒れこんだ俺の上に、先輩が跨がってくる。タコ殴りにされる自分を想像してしまい、俺は反撃するより先に腕で顔を庇ってしまった。けれど戸上さんは俺に手をあげることなく、なぜか身体を触りまくっている。……骨格でも確かめているのだろうか。

「……あー、やべぇ」

興奮気味に呟く戸上さんの手が俺の首筋に触れた時、なぜか彼の視線が俺とはまったく別の方向に向かった。俺もつられてその目線の先を追うと、慌てて走り去る生徒の後ろ姿が見えた。

「くそっ、いいとこだっつのに…」

肩を落とし落胆する戸上さんの手が一瞬ゆるむ。俺はその瞬間を逃さず、チャンスとばかりに腹を殴りつけた。

「っ…いった! いった! ちょ、なにすんのあっきー! 普通に痛いんだけど!」

「す、すみません」

謝りながらも俺は、腹を押さえて床を転がる戸上さんから素早く距離をとり、戦闘体勢に入る。なんとか立ち上がることはできたが、ここから一体どうやって闘えばいいのやら。

「ありえねー、飼い犬に手を噛まれるとはこのことだわー」

そう言いながらも戸上さんはすぐに立ち上がり、しょんぼりしながら自分のお腹を優しくさすっている。俺としては渾身の力をこめて殴ったつもりだったのだが、先輩はすでにけろっとしていた。腹も固かったし、やはり普通の人とは鍛え方が違うのだろう。

「もういい、もういいよあっきー。マジ萎えたから。そんなヤル気満々に構えなくていーから」

「はぁ……」

俺の不意討ちの攻撃を受けたからか、はたまた誰かに見られたせいか、戸上さんは喧嘩する気をなくしてしまったようだ。そして今までのことはまるでなかったように、まったねー、というフレンドリーな挨拶を残してあっという間に俺の前から去ってしまった。











ピンチをなんとか乗り越えた俺はクラスに戻り自分の幸運さに感謝しながら、いまだ無傷であることに安堵していた。怪我する覚悟はとっくにしているつもりだったが、やはり怖いものは怖い。あんなに気さくに見えた戸上さんもやっぱり不良なのだ。訳のわからない新人は喧嘩を仕掛けられて当然だろう。これから先のことを考えて暗くなる俺に、このクラス唯一の話し相手である流生が近づいてきた。

「あき君」

「ん?」

「さっき、3年の戸上と一緒にいたでしょ」

「……何で知ってんの」

「俺の子飼いの生徒が、見たっておしえてくれた」

子飼いの生徒ってなんだ。パシりを何かいい感じに表現しているつもりなのか。ということはまさか、さっきの人影は流生の子分だった?

「戸上悧輝には、絶対近づいちゃ駄目だよ」

「どうして流生がそんなこと……」

「だって、不良さんだよ。何されるかわかんないよ」

「……」

お前もその一員じゃないのかという言葉をなんとか飲み込む。もしかして流生は不良じゃなくて、単なる喧嘩が強い人? でもそれって不良と何が違うんだろう。不良の定義がだんだんわからなくなってきた。

そういえば戸上さんにも流生と同じことを言われた気がするが、もしかしてこの二人、仲でも悪いのだろうか。流生の方がまだちゃんとした理由があるが、結局戸上悧輝の方からは何も聞けていない。それともあれは単に俺を誘い出す口実だったのか。

「あき君、聞いてる?」

「あ、うん……」

そう言われても羽生誠に近づく以上、戸上さんからは離れられないだろう。しかし事情を説明したら、さらに止められるに決まってる。ここは桃吾の時と同じようにテキトーに返事をして誤魔化しておくしかない。

「わかった。なるべく自分からは近づかないようにする」

「駄目、姿見たら逃げるぐらいでなきゃ」

「……りょーかい」

「うん、いい子」

よしよしと満足そうに俺の頭を撫でる流生。まるで子供扱いのその態度に、もしかして俺も彼の“子飼いの生徒”にする気じゃないのかとちょっと疑心暗鬼になってしまった。


[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!