しあわせの唄がきこえる
003
その次の日も、俺は羽生誠に会いに行き、猛烈なアプローチを繰り返した。しかし羽生は俺を見つけると心底嫌そうな顔をしてすぐに逃げてしまう。それでも俺は諦めることなく羽生に頼み続けていた。
「待ってください羽生さん! 俺の話を聞いて下さい」
「うるせぇ! 昨日諦めろって言っただろうが! 他あたれ」
「やです! 俺は羽生さんがいいんです!」
どんなに凄まれながら怒鳴られても粘り強くお願いしていると、羽生がようやく足を止めてくれた。俺が慌てて駆け寄っていくと、一生トラウマになりそうな目で睨み付けられた。
「……てめぇ、あんまりしつこいとぶっ殺すぞ。俺が口で言ってやってるうちにさっさと失せろ」
地を這うような羽生の恐ろしい声に身震いする。しかし俺は簡単に諦めるわけにはいかない。彼は死ぬほど怖いが、勇気を出して頼み込み続けるしかないのだ。
「絶対いやです。諦めません」
「……お前」
俺のその一言で、羽生はキレた。拳を構えると俺の顔面に向かって容赦なく降り下ろす。俺は目をつぶったまますぐに来るであろう痛みを待った。けれど、いつまでたっても何の衝撃もない。恐る恐る目を開けると羽生の拳が目前にあった。
「……お前、何で逃げねえんだよ。どうしてそこまでする。そのお綺麗な顔に傷がついてもいいってのか」
馬鹿にしたような羽生の言葉に内心むっとする。女じゃあるまいし、顔に傷がついただけで騒いだりしない。
「殴られずに、強くなれるとは思ってません。覚悟はとっくに決めてます」
「へぇ……」
俺の言葉を聞いて羽生は一歩こちらに近づいてくる。そして目にも止まらぬスピードでわけもわからないうちに腹に拳を打ち込まれた。
「う…っ」
「言っとくが、俺は容赦なくお前を殴るぜ。口先だけの覚悟なんかいらねぇ。絶対後悔させてやる」
「……な、殴る前に言って欲しかった、です……」
腹が死ぬほど痛い。こんな痛い思いをしたのは初めてだ。腹をおさえてその場にうずくまる俺を羽生は黙って見下ろしていた。
「これでわかっただろ、お前には無理だ。続けるならこんなもんじゃすまさねぇぞ」
「……でも、俺……諦めたくない、です」
「はあ?」
「羽生さんは、俺の理想、ですから」
「……意味わかんね。お前、そんなになってまでんなこと言ってんじゃねぇよ」
羽生は顔を背けるとすたすたと歩いていってしまう。痛む腹を押さえながら、俺は慌てて彼を追いかけた。
「待ってください! 羽生さん!」
「うるせぇ! 弟子とかそういう足手まといはいらねぇっつってんだろ。さっさと諦めて二度と俺に近づくな!」
堪忍袋の尾が切れたらしい羽生は再び俺の胸ぐらを掴みあげる。今度こそ顔面を殴られそうになり慌てて目をつぶった瞬間、横から割り込んできた人物がいた。
「顔は駄目ーッ!」
「なっ……戸上」
羽生の拳を止めたのは昨日俺に親しげに話しかけてくれた戸上さんだった。彼は固まる俺を抱き込むと羽生を睨み付けた。
「顔殴るとかマジ最低! 羽生のアホ! せっかくの新人台無しにする気かよ!」
「……お前、何言ってんだ?」
「昨日約束しただろ! 遠藤に負けない美形グループを作ろうって! それにはあっきーが必要不可欠なの!」
「びけ……んなもんお前が1人で勝手に言ってただけだろ。俺のいないとこでやれ。いちいち相手にしてられるか」
羽生は心底呆れたという顔をして、俺達に背を向けていってしまう。追いかけたかったが戸上さんに捕まっていた俺は身動き一つとれなかった。
「あ、羽生さ……」
「いーじゃんあんな奴! あっきー今度こそ顔殴られちゃうよ!」
そう言ってぎゅうぎゅう抱き締めてくる戸上さんに、俺は抵抗もできずなすがままになっていた。顔をひきつらせてもがく俺を見て、戸上さんはにっこり笑う。なんとなく嫌な予感がした。
「……あっきーはイイよね、うん」
「? 何がですか?」
俺のことをじろじろ眺めながら、1人楽しそうに呟く戸上さん。何かたくらんでいるような悪い顔をしているが、俺にはこの人が何を考えているのかまったくわからない。
「いくら欲しい?」
「え」
話に脈絡がなさすぎて何を言っているのかさっぱりだ。俺が茫然としていると戸上さんは少し考え込んでから口を開いた。
「そういや、あっきーのクラスに遠藤っているでしょ。知ってる?」
「遠藤……流生のことですか」
「そうそう。仲良いの?」
「隣の席です。クラスの中では、まだ話す方ですけど……」
友達とはっきり言ってしまえないところがまた微妙だ。流生はいい奴だと思うが、俺を友達として見てくれているのか今一つ自信がない。
「あいつが手ぇ出さないわけないんだよなぁ…でもその様子じゃまだか。なら遠藤のお手付きになる前に…」
「?」
一人言のようにぶつぶつと呟きながら何かを考え込む戸上さんに俺は顔を傾ける。すると彼はすぐに難しい顔を引っ込めて俺に微笑みかけてきた。
「大人しくしてた方がいいよ、あっきー。奴に気に入られなきゃ、そう酷いことにはならないはずだから」
「それって……」
「つまり、遠藤には近づくなってこと」
「え、何でですか?」
「知りたい?」
「ま、まぁ……」
「わかった。でもここじゃちょっとね。こっちに来て」
戸上さんに問答無用で手を引かれ彼の後を歩くしかなくなる。もうすぐ始まるであろう授業のことが気になったが好奇心には勝てなかった。戸上さんなら多分ついていっても大丈夫だろう。俺は誘導されるまま彼の後を追った。
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