しあわせの唄がきこえる
002
中庭で立ち話をしていた俺達は、近くのベンチに座り弁当を広げた。向かい側の綺麗な校舎を見上げ、ウインナーを口にしながら俺はぼやいた。
「つか桃吾の教室って遠いんだな。あっちの校舎の二階だろ?」
「しかも一番突き当たり。ごめんな、まだ慣れてねぇのに中庭まで来てもらって。迎えに行きたかったけど、俺そっちに行けないから」
「えっ、なんで?」
「教師から、きつく忠告されてんだよ。特に顧問から。一般クラスは危険だからって」
「……」
出入り禁止とはまた恐ろしい事実を知ってしまった。桃吾は弱ったなぁという顔をしているが、俺はこの後そこに帰るのだが。
「いや、大丈夫だって暁。顧問が大袈裟に言ってるだけだから。ここには普通の生徒もたくさんいるし、ルールさえ破らなきゃとりあえず安心だ」
不安が顔に出ていたのか慌ててフォローする桃吾。そのルールを今から破る気でいる俺としてはまったく安心できない。
「暁ならどこでもうまくやってける。俺が保証するからさ!」
「……」
そんな根拠のない保証などいらないのだが、桃吾の人の良さがにじみ出た緊張感のない顔を見てるとすべてがどうでも良くなってくる。ただ身長が高くなっただけで、小学生の時から見た目も中身もほとんど変わってないのではないだろうか。
「つーか暁、お前俺に話すことがあるんじゃないのか」
「えっ、何」
本当にわからなくてきょとんとする俺の顔を桃吾がむっとした顔で見つめ返す。デカいホットドッグをかじりながら、桃吾は不満げな声を漏らした。
「暁が親父さんとこに住まない理由。直接話すって電話で言ってたくせに、夏休み会った時結局言ってくれなかったじゃん」
「あぁ、何だそのこと。ごめんごめん。別にそこまで構えて聞く必要もないんだけど、俺が家族一緒に住めないのは弟が原因なんだ」
「……忍が?」
「そう。あいつが反対してんの。だから親父も母さんも困っちゃって」
「忍と暁って、そんなに仲悪かったっけ? 小学生の時はいっつも一緒にいたよな。最近のことは、よくわかんないけど……」
確かに小さい時は、忍と桃吾と俺の3人で毎日遊んでいたが、両親の離婚で俺達はバラバラになった。だがその直前、どうやら忍と桃吾は喧嘩をしたらしい。俺も詳しくは聞いていないが、それ以来弟とは桃吾の話をしないし、桃吾の前でも忍の話はしなかった。
「桃吾、まだ忍とは仲直りしてないんだよな」
「……俺は、別に。あいつが一方的に俺を避けてるだけで」
「もう何年もたってんだから、お互いもう水に流せないのか。だいたい、何が原因で喧嘩したんだよ」
「それは……お、俺の話は今はどうだっていいだろ。お前のことを話せよ」
珍しく歯切れの悪い桃吾を不信に思いつつも、俺は口を開いた。これから話すことは兄として少し恥ずかしいことなので、心なしか口が重くなった。
「俺は、別に忍に嫌われてるわけじゃないんだ。電話には3回に1回は出てくれるし、メール返信もしてくれることあるし、半年に1回ぐらいは会ってくれるし」
「……それ、嫌われてね?」
「違うんだ。あいつは嫌いなんじゃなくて、俺のことが恥ずかしいんだよ!」
「恥ずかしい…?」
「そう。忍の奴、いま柄の悪い学校で不良やってるらしいんだけど」
「不良!?」
俺の発言にすっとんきょうな声を出して驚く桃吾。そう、俺達の知るあの普通の小学生だった忍はもういないのだ。
「忍、喧嘩強くてさ。その学校でそこそこの地位というか、ぶっちゃけトップクラスなんだと」
「へぇ…あの忍が……」
見るからにショックを受けている桃吾だが、俺の方がずっとショックだ。俺が側にいれば、喧嘩なんて危ないことには関わらせなかったのに。
「で、だ。俺と忍って、見ればすぐに兄弟だってわかるわけじゃん」
「まあ、そうだな」
「忍いわく、こんな弱くてヘタレで能天気なごく普通の男が、自分と血が繋がってるなんて絶対周りには知られたくないんだってよ。一緒に住んでたら嫌でもバレるから、自分とは距離おけって」
我ながら言っててほんとに情けない。俺は弟のことは好きだが、これを言われた時はショックで割りと腹も立った。
「と、いうわけで。俺は強くなって忍を見返して、一緒に住んでもらうためにここに来たんだ」
「ここに来たからって強くなるわけじゃないと思うけど……ていうか忍の奴、自分といると危ないから暁を守るためにそんなこと言ってんじゃないのか」
「……」
「暁?」
「……桃吾って、心が真っ白なんだなぁ…」
「はい?」
弟に関してはできるだけプラス思考でやってきた俺が、そういった発想をしなかったわけではない。しかしその時の弟は「ああ、ほんとに迷惑なんだ」と思わずにはいられないような顔をしていた。俺に怪我させたくないという気持ちも少しはあるかもしれないが、俺が恥であるというのがやっぱり第一の理由だろう。
「とにかく、俺はここで絶対に強くなる。どこに出しても恥ずかしくない兄ちゃんに、弟が誇れる兄貴になってやる!」
「張り切ってるとこ悪いんだけどな、そんな危ないことはやめとけ。不良とは絶対に関わるな」
「大丈夫、大丈夫。そんな危険なやり方はしないから。地道に武道でも習うよ」
「本当に? ……だったらいいけどさ」
俺の言葉にあからさまにほっとする桃吾。しかしこいつには悪いが今のは真っ赤な嘘だ。桃吾に反対されるのは予想済み。だからこそこの学校での強い男を桃吾以外の、できれば桃吾から遠い人間から聞き出す必要があったのだ。
「まあそういうわけだから、これからよろしくな、桃吾」
「あんまり無茶なことはするなよ。何かあったらすぐ俺に言え」
「わかってるって! 気遣いありがと」
明るく振る舞う俺に不安げな顔をする桃吾。この時の俺は桃吾の言葉の意味と、この学校の恐ろしさにまったく気づくことができていなかった。
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