しあわせの唄がきこえる
003
その後、羽生の前で醜態をさらしてしまった俺は、どうにも居たたまれなくなって逃げるように家に帰った。結局奴のいいようにされてしまったわけだが、羽生が俺と暁の事をあれ以上何か言うことはなかったので助かった。
一応暁にはもう手を出さないと約束してくれたので、今はそれを信じるしかない。奴が何を考えているのか俺には理解不能だが、今は羽生にまで割く心の余裕はないのだ。俺は、決着をつける準備を着々と進めていた。
「どういうことなんだよ! 暁!」
次の日の昼休み、俺は桃吾に弁当を開ける間もなく詰め寄られていた。理由は簡単。昨日の羽生との一件が奴の耳に入ったのだ。
「昼一緒に食えねえっていうから何かと思ったら、お前羽生誠と何があったわけ?」
「何がって何の事だか…」
「とぼけんなよ。友達が見たって言ってたんだから。暁がアイツに水ぶっかけて、その、それで…」
「キスしてたって?」
「!? キスって、何でそんな、マジだったの!?」
ご飯を食べる事も忘れて挙動不審に慌てる桃吾に内心可愛すぎるとニヤニヤ笑いが止まらない。奴が動揺するのも無理はないし、これもすべて暁を心配してのこと。笑ってしまっては失礼だ。
「色々大袈裟に伝わってるかもだけど、別に羽生さんに脅されてるとかじゃないから。あの人、俺の事が好きなんだって」
「えええ!?」
「だから嫌なことはされてないよ。昨日のは痴話喧嘩みたいなものだし」
半分以上嘘だがまさか本当のことをこいつに話すわけにもいかない。口を開けたまま固まってしまった桃吾に、どういう言い方をするべきか悩む。とりあえず今後の暁と桃吾の友情に傷をつけないようにしなければ。
「暁、お前ってあの人と、その、付き合ってるのか?」
「付き合ってないよ。フったりして逆恨みされたらどうしようと思ってたけど、もう会うこともなくなるし」
「何で?」
「俺、学校やめようと思って」
「え」
今度こそ言葉を失って立ち上がる桃吾に俺はとりあえず座れと腕を引っ張る。冗談でも何でもなく、俺はこの学校に暁を戻すつもりはまったくなかった。
「暁、何かあったのか?」
「忍が俺と一緒の学校でもいいって言ってくれたんだ。桃吾には学校変わっても会えるだろ? 早く忍ともっと仲良くなりたいしさ、向こうに行くことにした」
親にも暁にもまだ何も話してないが、たとえ暁が嫌だと言っても無理矢理こっちの学校に転入させてやる。親の説得はお金の事もあるので難しいかもしれないが、暁がいじめられてること暴露してでも許してもらうつもりだ。
「暁、ごめんな。俺がここに誘ったりしたから…」
「桃吾が謝ることなんかない。確かに色々あったけど、結局俺は忍に誘われたら断ってなかっただろうし。桃吾がいたから、俺はここでも楽しかったよ」
「…うん」
泣きそうになっている桃吾に楽になってもらおうと笑顔を見せる。桃吾は暁がされたことをすべてではないが知っている。ずっと罪悪感を持っていたのだろう。
「でも、忍と仲直りできたんだな。良かった、これからは一緒に暮らせるんだもんな」
「……ああ」
こんなことなら最初からこっちの学校に入れてやればよかったと思うが、あの時の俺がそれを許すわけがない。すべては今だからいえることだ。
「離れても仲良くしてくれよ、約束だからな」
「何言ってんだ。そんなの当たり前だろ」
笑ってそう答えた俺だが、桃吾と一緒にいられる時間はここを離れればもうないのだと自覚していた。暁との友情は続くだろうが、俺と桃吾が会うことはないだろう。
最初はこいつを見ただけで舞い上がっていた俺だが、今では随分慣れてきた。けれどその分桃吾が好きだと気持ちも大きくなってくる。最初は復讐してやるなんて思っていたのに、今では奴への怒りなどどこかに行ってしまった。
この辺りがもう潮時だと、俺は自分のこの不毛な恋を終わらせようとしていた。
その日の放課後、桃吾の護衛を断った俺は下駄箱の近くに立っている男を見て足を止めた。まさかというかやっぱりというか、その男、崎谷一成の目当ては暁だったらしく俺を見るなり慌てて駆け寄ってきた。
「…なんだよ」
「忍…だったよな。頼みたいことがあって待ってた」
下校時間なだけに周りに人も多く、かなり目立ってしまっている。こいつと話すことはないと思っていたが、さっさと話を終わらせたかったので大人しく聞くことにした。
「次の全校集会の時、忍に話したいことがあるから、絶対来てほしいんだ。言われなくても来るだろうけど、一応念のため…」
「はあ? 全校集会?」
何でその日にと思わなくもないが、奴にも何か考えがあるのだろう。あまりに必死なその顔に何かあるなら今言えよという言葉は特別に飲み込んだ。
「俺に何か言ったって無駄だぞ。俺は暁じゃねえって何度も言っただろ」
「…わかってる。でも聞いててほしい。無駄かもしれねぇけど、それでも」
「……」
本気で俺を暁の別人格だと思い込んでいる奴には可哀想だが、ここでそれは無意味だと言うわけにもいかず。俺が渋々といった感じで頷くと、奴はほっとしながら小さく笑った。
「良かった。じゃあ、約束な」
奴の笑顔を初めて間近に見て固まる俺の小指をとり指切りする。そして満足げに去っていく崎谷の後ろ姿を唖然と見送りながら、その綺麗な笑顔についつい見惚れてしまった不覚を後悔していた。
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