日がな一日 004 人目を気にしながらも生徒会専用フロアまで来た瀬田は、自分を呼び出した男の部屋の前まで来ていた。 ここまで来てもまだ彼に会うべきか迷っていたが、そうしているうちに自分がここにいる事を誰かに見られでもしたら大変なことになる。瀬田は迷うのをやめて扉をノックした。 「う、わ…!」 数秒とたたないうちに扉が開き、あっという間に部屋に引っ張りこまれる。そのままよろけた瀬田は玄関先で尻餅をついてしまった。 「…遅い!」 「ご、ごめん」 強い口調で責めてくる男、椿礼人はその整った顔に怒りをにじませながら倒れた瀬田を見下ろしていた。綺麗な人は怒っても綺麗なのかという頓珍漢な事を考え彼に見惚れていた瀬田だったが、すぐに気持ちを引き締め靴を脱いで立ち上がった。 「話って何 ? 大事なこと?」 精一杯の虚勢を張って椿と向かい合うも、瀬田の心臓はバクバクだった。好きな相手を前にしているというのもあるが、流されないという確固たる意思が必要だった。 「瀬田くん、そんな口誰にきいてるんだ?」 「う…」 「とりあえず中に入って」 人前で見せる社交的で笑顔の多い椿礼人の顔はここにはない。不機嫌は事を隠しもせず、瀬田を奥へと引っ張っていく。 「…ま、ま、また汚くなってる…!!」 リビングに通された瀬田はその散らかり具合に項垂れ呻いた。 数ヵ月前、体調を崩した椿から助けを求められ見舞いに訪れたとき、一度綺麗に掃除したはずなのに。これ以上汚さないようにと何度も言い含めても、椿はまたすぐ汚して散らかしてしまう。 瀬田は特に綺麗好きでもなかったが、いくら男の一人部屋とはいえ椿の部屋は無視できるレベルではなかった。 「月に一度は家の人間を呼んで掃除させてる」 「それでこれ!? てか自分でやらなきゃダメだよ」 「ゴミはちゃんと捨ててるし、洗濯もしてるぞ」 「それは誰でもやってるから!」 椿礼人は完璧超人ではあったものの、ずっとお金持ちのお坊っちゃんとして大事にされていたせいか生活力はまるでなかった。 学校の生徒達には絶対に見せない生徒会長の真の姿に、最初は瀬田も驚いたもののそんなことで熱が冷めたりなどするはずもなく。むしろ椿の意外な一面にときめいたのだから重症だ。 足の踏み場を探しながら移動していた瀬田を椿はソファーに突き飛ばして座らせる。圧倒される瀬田に覆い被さるようにして、椿は瀬田を睨み付けた。 「そんなことはどうでもいい。あいつは何だ」 「あいつ?」 「瀬田くんが連れてきたあの図々しい眼鏡、何なんだよアレ」 毒々しい言い方であったため、椿が杵島の事を言っているのだと理解するのに時間がかかった。椿は杵島に好意的だと思っていたが、この顔を見る限りそれは表面上だけのものだったらしい。 「まさかそんなこと聞くために俺を呼び出したんじゃ…」 「そんなことじゃない。あいつは確か転校生だろ。何であんな生意気で態度だけでかい凡人を生徒会に入れようとするんだ。瀬田くん、あいつにいいように利用されてるんじゃないのか」 「利用……されてるかされてないかといえば、されてるけど、でも俺達友達になったから」 「本気で、あいつが生徒会に相応しいとでも思っているのか」 「えーっと」 杵島はただ、仲良しのインコと一緒に暮らしたい、それだけなのだ。今はダメ人間だが、マリ丸といるためならそれなりに生徒会の仕事を頑張るのではないかと思う。 しかしそれを椿に伝えるのは難しく、また他の杵島の良いところを探すのはもっと難しかった。 「椿くん、杵島くんが理事長の甥っ子だって知ってた?」 「なんだそれ」 「知らなかった? 知ってて無理難題ふっかけてるのかと思ったけど…」 椿の顔を見るにとぼけているわけではないらしい。杵島の素性を知っても椿はしれっとしていた。 「息子ならまだしも、甥っ子まで気にする理由なんかないだろ。無理難題って何だ」 「俺がいないと杵島くんを生徒会に入れないって、意地悪言ってたじゃん…」 「あれは立脇さんが言い出したことで、僕は関係ないぞ」 「立脇さん!? な、なんで立脇さんが??」 立脇詩音は昔の瀬田の想い人で、今は萩岡の彼女だ。とっくに諦めた恋とはいえ瀬田好みの可愛い子なので、今でも姿を見ると胸がときめいてしまう。 「さあ? 彼女として、孝太と仲直りさせようとでもしてるんじゃないのか」 「ああ、そういう…」 「どうしてそんなにがっかりする必要がある」 「がっかりなんかしてないよ」 「いいや、してた。僕の前で堂々と浮気とはいい度胸だな」 椿に追い詰められ、その綺麗な顔を直視できない瀬田はひたすら目線をそらしていたが、浮気という言葉に黙っていられず椿相手に突っかかった。 「浮気って別に俺達付き合ってるわけじゃないじゃん! 変な言い方やめてくれよ」 「でも僕の事は好きだろう。顔も身体も声も性格も、何もかも好きだろ」 「…それは、そうかもしれないけど」 「だったらどうして頑なに僕を拒むんだ」 確かに瀬田は椿が好きで、本人にもそう伝えた。しかし彼といわゆる恋人関係になりたいかというと、そういうわけでもなかった。 「僕は付き合おうと言ったのに、それを断ったのは瀬田くんだ。いつになったらその気になってくれる」 「だから、ずっとその気になんてならないよ。椿くんが男と付き合うなんて絶対ダメだ。しかもよりにもよって俺みたいな、何の取り柄もない奴となんか。もし誰かにバレたら終わりじゃんか」 「僕はそんなこと気にしない。周りに知られたってかまわない。瀬田くんだけホモだと中傷されてる、今の状況がいいとは思えない」 「俺を中傷するのなんか萩岡くんとその友達くらいだよ。みんなもう俺に興味なんかないって」 「だったら僕との事が知られたっていいじゃないか」 「椿くんは俺とは違う。俺はただの一般生徒だったけど、椿くんは生徒会長なんだよ。噂になったら俺なんかの比じゃない。俺との事で、椿くんが変な目で見られるなんて嫌だ」 それは瀬田にとって自分が蔑まれるより辛いことだった。誰からも認められ、羨望される椿に自分が傷をつけるなどあり得ない。逆に言えば、周りを敵に回してまで椿と付き合う覚悟などないということだ。 「どうして君と話しちゃいけないんだ。こうやってこっそり会うのだって許してくれないなんて。瀬田くん、こっちを見ろ」 「俺とこっそり会ってる所を誰かにみられたらどうするんだよ。今日だって、こんな話されるためだってわかってたら来なかった……って、離して」 瀬田の顔に手をかけ、悲しそうな目でこちらを覗き込んでくる。 誘惑されている、というのがすぐにわかった瀬田は自分の心が折れないように目をつぶって逃げようとした。椿を見ていると彼の好きにさせてしまいそうになる。力業で引き戻され顔を近づけてくる椿に、瀬田は思いきり抵抗した。 「駄目! もうそういうのは駄目だって言ってんじゃん! 俺達は付き合ってないし、そんなことしない。もう帰る…!」 瀬田の本気の拒絶が通じたのか、椿は不満そうにしながらも離れる。瀬田はすぐに立ち上がって、逃げるように出口へと向かおうとした。 「瀬田くんの気持ちはわかった。僕と付き合う気も、友達を装う気もないって事。僕の事が好きなくせに、ずっとそうやって逃げるんだな」 「椿くん…」 「だったら、あの眼鏡と仲良くするのをやめろ。僕の事は拒絶するのに、あいつと親しくなるのはおかしい」 「……」 椿の言葉には何も返さず、瀬田は部屋を出ていった。椿の傷ついた顔は忘れられなかったが、これが正しい事なのだとひたすら自分に言い聞かせていた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |