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日がな一日
003


「わあああ!」

夏目を思わず突き飛ばし、その反動で後ずさった瀬田はそのまま壁際まで逃げる。突き飛ばされた夏目は訳がわからないという顔をしていたが、瀬田は必死に首を振っていた。

「待って待って、俺はそういう事を簡単にしたりしないから! 付き合うって決めた人としか無理だから!」

「お、おう……?」

「雰囲気とかシチュエーションには流されないって決めたんだ! 順序を、順序を守ろう!」

「いや、俺後ろにある教科書とろうと思っただけなんだけど」

「え!?」

はっと後ろを振り返るとすぐ後方の本棚が目に入る。自分がとんでもない勘違いをしていだことに気づいた瀬田は、顔を真っ赤にしながら頭を下げた。

「ごごこ、ごめん! 俺いま、すっげぇ失礼なことを……!」

「ははっ、まさか俺が襲いかかるとでも思ったのか? しねーよ。そんなことしたら犯罪じゃねぇか」

「……恥ずかしい限りです」

それは今まで少しでも油断すると襲われてきたからだと言うわけにもいかず、瀬田は夏目にひたすら謝った。あの二人と彼を一緒にすることがまず間違いだったのだ。申し訳なさすぎて顔も見られない。

「柊二、こっち見ろって。気にしてねぇから。てかそれくらい危機感もってた方がいいと思うぜ。孝太なんか最近やたら柊二にベッタリだし……ってこんないい方したら怒られるか」

「はは…」

孝太はすでに前科持ちだ。流されて受け入れてしまった自分が恨めしい。落ち込む瀬田を気遣ってか、夏目は本棚から取り出した教科書をめくって話題を変えた。

「劇の練習だけじゃなくて、テスト勉強もしなきゃなと思って。柊二、結構ヤバいんだろ」

「うん……でももう諦めようかと思ってるんだけど」

「えっ、早くね!?」

「今からやっても無駄かなって」

どちらも中途半端にするよりもどちらをしっかりやった方がいい、という結論に至った瀬田はすでに勉強を諦めていた。付け焼き刃の勉強をしたところで意味がないと、赤点にならないことだけを祈って劇の台本を覚えることに集中していた。

「今からでもやろーぜ。柊二が生徒会にいられなくなったら俺も困るし、範囲違うから教えあったりできないかもだけど、一人よりやる気出るだろ」

「……わかった。じゃあ、やる」

夏目に尻を叩かれてようやくテストに向き合うことにした瀬田。その後は年下の夏目に教えられたりしながらも、消灯時間になるまで二人で勉強を続けていた。








そうしてやってきたテスト当日の朝。あれから詰め込むだけ詰めこみ、今にもこぼれ落ちそうな知識を必死に繋ぎ止めながら、瀬田は教科書とにらめっこしていた。

「はよー、柊二。今日は早いな」

「……あ、夏目くんか。おはよう」

教科書だけを手に持ちながら2年の教室に堂々と入ってきた夏目は、テスト前でも余裕の表情だ。やはり普段から勉強をしている人間は違う。瀬田は数学の公式と闘いながら夏目に挨拶をした。

「大丈夫? なんかやつれてるけど。ちゃんと寝てるか?」

「寝たよ、三時間くらいは」

「それあんま寝たって言わねぇぞ。今日さ、テストあるから部活休みじゃん。だから良かったら勉強と演技の練習また一緒にやらねぇかなー、と思って。また柊二の部屋になるけど……」

「うん、いつでもおいでよ。誰かとやらないと寝ちゃいそうだし」

「夜はちゃんと寝なきゃ駄目だぞ。身体壊したら元も子もないんだから」

まるで兄のような優しい声で瀬田を心配する夏目。しかし瀬田は教科書から目を離す余裕はなくただ頷くばかりだった。

「はよーっす」

瀬田達に挨拶に来たのは眠そうな顔をした弘也で、普通に2年の教室にいる夏目を一瞥すると倒れるように瀬田の机の上にうつ伏せになった。

「おはよう。弘也も遅くまで勉強してたの?」

「まさか。3時くらいまでゲームしてた」

弘也はテスト前だからといって焦って勉強などしないらしい。このまま赤点をとって生徒会から追い出されたらどうするんだと思っていると、むくっと起き上がって瀬田と夏目が持ってる教科書を見て目を細めた。

「なに? 今日ってテストだっけ?」

「そうだけど……ってまさかそれも知らなかったの?」

「いや、俺もそろそろだったかなーとは思ってたんだよ。現に遅刻せずに来ただろ?」

「弘也そんなんで大丈夫? 成績良くないと生徒会にいられないのに」

「………そうだったな」

弘也も思い直したのか鞄をさぐって教科書を探し始める。今からやってもそれこそ無駄なのではと思ったが自分のことに必死だったので何も言わなかった。

「やべぇ、教科書部屋に忘れてきた。悪い、俺にも見せてくれ」

立ち上がった弘也はそのまま手を伸ばして、近くにいた夏目の腕を掴む。その瞬間、夏目が思い切りその手を振り払った。

「……」

「わ、悪い……」

すぐに夏目は謝ったが、あまりにも強く払われたので弘也は放心していた。彼が接触恐怖症だというのは知っていたが、瀬田には自ら触れるようにはなっていたので夏目の拒絶に瀬田も驚いていた。

「いや、こっちこそごめん。触られんの駄目だったの忘れてた」

「いきなりだったから、びっくりしただけなんだ。驚かせてごめんな」

いつもの笑顔を見せて謝る夏目の顔を、瀬田はじっと見ていた。彼は笑っていたが少し恥ずかしそうな控えめな笑顔だった。

「そういやお前っていつから触られんの無理なわけ? 何か理由あんの?」

「ちょ、弘也」

「さぁ? 昔からだからわかんねぇわ。理由があれば治せそうなのにな」

弘也の遠慮のない質問もあっけらかんと答える夏目。彼は時計に視線を移して時間を確認すると、にっこり笑って手をあげた。

「もうすぐ予鈴鳴るし、俺そろそろ戻るわ。また後で連絡するから」

「うん。またね」

ひらひらと手を振って部屋を出ていく夏目。彼がいなくなった後、弘也が瀬田のノートに目を通しながら訊ねてきた。

「後でって、部活にでも行く気かよ。テスト期間なら生徒会の仕事はないだろ」

「いや、俺の部屋で自主練しようってことになって」

「へぇ、仲良いなお前ら」

「うん」

瀬田はぼーっとしなから夏目が出ていった後の扉を見つめる。そんな瀬田のおかしな様子に目ざとい弘也は気づいた。

「お前、夏目と何かあったの」

「えっ、何で」

「前よりあいつのことやたら気にしてるみたいだったから」

「……いや」

さすが弘也はよく見ている。告白されたことを話すべきかとも思ったが、瀬田がいま夏目のことを考えていたのは別の理由があった。

「何か、前にも似たようなことがあった気がして」

「……?」

触れられて嫌がる夏目を見たのは初めてのはずなのに、今の光景にはなぜか見覚えがあった。だがそれがいつなのかどうしても思い出せない。

「いや、俺の勘違いかも。今はとにかく勉強しないと」

「そーだな。瀬田、どこが出るかおしえてくれ」

気にはなっていたが、差し迫ったテストのことですぐに頭がいっぱいになる。瀬田は弘也と肩を並べながら最後の悪足掻きを二人で始めた。


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