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日がな一日
003



夏目の素晴らしい演技に礼を言いたかったが、すぐに出番だった瀬田は彼に声をかける暇がなかった。
体調は相変わらず良くないが、もうすぐ終幕だと思えば頑張れる。なにより、夏目が自分の代わりにあそこまでしてくれたのだがら、何がなんでも無事に終わらせたかった。






復讐を果たしたディックは、エレナと共に逃亡するが二人の関係は長くは続かない。目的を果たした彼には今までのように自分を偽って、これ以上伸し上がる気概はなくなっていた。男としての魅力を失ったディックをエレナは早々に見限って、他の男のところへ行ってしまったのだ。

復讐に利用しようとしたとはいえエレナに恨みはない。愛はなくとも、責任をとって結婚しようとしていたディックは少なからずショックを受けた。仕事もうまくいかず、転落していくばかりの人生。ディックが望んだのはこんなものではなかった。


「復讐をはたせば、俺は救われると思っていた。なのに、あれから俺はすべてのことがうまくいかない。これでようやく幸せになれると思ったのに、不幸になるばかりだ」

スポットライトの下、一人嘆くディック。彼は今になってようやく気づく。復讐は自分にとっての生きがいだったのだと。ダスティを見返してやりたいという気持ちが、自分をここまで成長させたくれたのだということを。

復讐は間違いだったのかもしれない。そんな風にすら考え始めてたが、すべては後の祭りだ。生きるための気力をなくし、仕事も続けられなくなった。一文無しになったディックは、あてもなく街をさ迷い歩いていた。

「これが、他人をおとしめた俺への報いなのか」

身体を丸めて、街の片隅で座り込み目を閉じる。このまま眠ってしまえば、安らかに眠れるのだろうか。そんな風に思いながらディックは生きる希望を失っていく。


「…やっと見つけた。ディック、大丈夫か?」

しかしそんな彼の前に、かつての友人が姿を現す。ディックは驚きのあまりその姿を上から下まで何度も確認した。

「……ダ、スティ…なのか…」

「もちろん僕だよ、さあ立って。こんなところにいては風邪を引いてしまう」

まともに歩けないディックを立ち上がらせ、身体を支えながら歩くダスティ。彼は相変わらず綺麗な身なりで、今のディックとは雲泥の差があった。

ディックはダスティが自分に仕返しをしに来たのかと思ったが、彼はディックに食事と寝床を与え、甲斐甲斐しく世話をした。


ディックは彼に訊ねた。なぜあんなことをされたにも関わらず自分を助けたのかと。

「君とエレナがいなくなってから、何故こんなことになったのか考えたんだ。僕は過去の行いを反省し、いい人間として生きていきたかった。でも僕は君の人生を変えるようなことをしておきながら、まだ罰を受けていなかったんだ。君にされたことは、僕の贖罪だと思って受け入れることにした。だからディック、君の事は恨んでいないよ」

信じられない、という顔でディックは目の前の男を見る。自分だったらこんな風には思えないし絶対に許せない。現に自分はダスティに恨みを持ち続けて、結局彼を裏切ってしまったのだから。
しかし、こちらを見るダスティの顔はとても優しかった。

「俺はお前を裏切ったのに、何故すべてを水に流して許せるんだ。お前にとって、俺は憎い敵だろう」

「何を言うんだディック。僕がお前にしたことの罰を俺は受けただけだ。これでようやく、僕とお前は対等になれる」

「ダスティ……」

「僕は友達を助けたい、それだけだよ。困ったとき助け合うのは当然だろう」

彼のその無垢な優しさに思わず涙が溢れる。ポロポロとこぼれて止まらない涙を流すディックの肩をダスティが優しく触れた。

「ダスティ……どうか、愚かな俺を許してくれ。俺はもう決してお前を裏切らない。…ありがとう、本当に…っ」

何度も謝罪と感謝を繰り返すディックを優しく抱き締める。
彼は謝り続けるディックを自分の家の使用人として雇うことに決めた。そして二人はようやく本物の友情を手に入れ、その関係はずっと切れることはなかった。




照明が落とされた舞台の上、一人真ん中に立つダスティにスポットライトがあたる。この劇のラストシーンだ。
誰もいない場所で、彼は今まで貼り付けていた聖人君子の顔を捨て、不敵に笑った。

「ディックの奴、僕に一生をかけて恩返ししたい等とバカなことを。笑いをこらえるのに必死になるこっちの身にもなれ。君は僕を裏切ったんだ。やっと手に入れた唯一無二の親友だと思ったのに、僕を簡単に捨てて、エレナと逃げた。あの金ばかりくう妻を誘惑して追い出してくれたのは良いが、僕を裏切ったのは許せない」

ダスティはディックが裏切る少し前から彼の不穏な動きに気がついていた。そのためディックにそれとなく自分の一番は妻なのだと吹き込み、エレナを狙わせた。本当は、彼女の浪費癖にはほとほと嫌気がさしていたのだ。
手を回して金の被害は最小限におさえたが、ダスティが一番注意を払っていたのはディックに自分の考えを悟られないことだった。何も知らせないまま、彼に復讐するつもりだった。

「裏で細工をして仕事がうまくいかないようにしたのは僕なのに、そんなことにも気づかず、ディックはこれからずっと僕に感謝して僕に尽くすことだろう。それこそが、僕が君に与える罰だ。ディック、君はこのまま何も知らずに、一生僕の側で働き続ければいい」

豹変したダスティの乾いた笑い声が静寂の中で響く。昔、気に入らない人間を片っ端から蔑み、追い詰めていた男がようやく本性を出したのだ。変わろうと思っても人間はそんな簡単に自分の性質を変えられるものではない。ダスティという男は、紛れもなく歪んだ性格の持ち主だった。しかしこれも彼が一度はディックを信用し、友として心を許したからこその行動だ。こうして彼の復讐は誰にも悟られることなく、ディック本人さえも気づかないまま終わることとなった。






ナレーションの声が終わると同時に幕がゆっくりと閉まっていく。同時に客席からたくさんの拍手をもらい、瀬田は夏目に抱き抱えられながら安堵の息を吐いた。

「お疲れ様です、部長」

「部長、ラスト良かったです!」

部員に声をかけられながら戻ってきた藤村は笑顔でそれに応える。彼は床に座り込む瀬田のもとまでやって来ると、その場で膝をついた。

「瀬田くん、大丈夫?」

「は、はい。部長お疲れ様です。無事に終わって良かったです…」

「君のおかげだよ。塩谷君が出られなくなって、最後の劇は寂しいものになると思ってたけど、大盛況だ」

「いえ、最後の最後でみんなに迷惑をかけてしまって……って最後?」

「ああ、僕ら3年は今日で引退するよ。瀬田くんのおかげでいいものになったから、これで悔いなく終われる。ありがとう」

下級生の部員たちが惜しむ声をあげるが、瀬田は言葉に詰まっていた。代役の自分なんかとの共演で終わってもいいのかという不安と、藤村が認めてくれた嬉しさが瀬田の胸をいっぱいにしていた。

「お疲れ様、部長」

「夏目くんも色々ありがとう。瀬田くんを誘ってくれて、監督の仕事もやってもらって。成功したのは夏目くんと瀬田くんのおかげだ」

「俺らだけじゃこんなに人は集まらねぇよ。でも、力になれて良かった。な、柊二」

「うん」

瀬田と夏目の言葉に部員達も次々とお礼を言ってくれる。藤村は立ちあがり、笑顔で部員を見回した。

「みんな、カーテンコールだ。全員で舞台に立つよ。瀬田くん、あと少しだけ頑張ってくれるかな」

瀬田は夏目に肩をかしてもらいながら、瀬田は立ち上がる。劇を無事に終わらせられたことで、瀬田は一気に気が抜けていたが、なんとか一人で舞台の真ん中に立ち、背筋を伸ばして幕が再び開くのを待った。せっかくここまで悟られないようにしていたのに、最後の最後で病人丸出しでは台無しだ。

裏方も役者も演劇部全員が舞台に立ち、幕がゆっくりと上がっていく。客席からの割れんばかりの拍手で出迎えられ、瀬田は自然と笑みがこぼれた。

「夏目くん」

隣で大きく手を振りながら客席からの声援に応える夏目に声をかける。

「ありがとう」

何に対する感謝なのかは瀬田自身にもわからない。劇に出るきっかけを作ってくれたことなのか、ピンチを助けてくれたことなのか。弘也が来る前、一人になっていた瀬田の唯一の救いだったことか。多分、全部だろう。

「こちらこそ」

そう言った夏目はいつもの笑顔よりも、ずっと幸せそうに笑っていた。いや、ただ瀬田だけにそう見えただけかもしれないが。


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