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日がな一日
002



物語は中盤に差し掛かり、瀬田は舞台の上でエレナに跪いていた。ここまでは大きなミスはなく、滞りなく進んでいる。瀬田は彼女の手を取り、ごく普通の高校生男子なら照れて口にもできないであろう愛の言葉をエレナに捧げた。


「エレナ、君はとてとも美しい。アイツには勿体ないよ。ダスティなんかよりずっと、俺は君を深く愛している。どうか俺を選んでくれ」

これはダスティに隠れて彼の妻エレナを口説くシーンだ。しかしそれはすべてまやかしで、ダスティに復讐することが目的でしかない。昔はひ弱だったディックは、今では女を誑かす色男になっていた。

元々演劇部きっての美形、塩谷がやる予定だった役だ。自分なんかがつとまるのがと不安だった。その不安は今もなくなってはいなかったが、劇の中だけは自信に溢れた男になれて開放的な気分だった。

「彼は君の素晴らしさをまったくわかっていない。俺がもし君の夫になれたなら、君を手に入れられた幸運を神に感謝し、毎日でも愛をささやくのに」

エレナの手の甲にキスを落とすと、彼女は顔を伏せる。白戸の演技にも熱が入っていて、瀬田はそれに刺激されるようにさらに情熱的に愛をぶつけた。

「エレナ、頼む。俺の気持ちを受け入れてくれ」

「駄目よ、ディック。私は…」

「エレナ、君を愛してるんだ…!」

白戸を力強く抱き締めると、彼女はその手を躊躇いがちに背中に回す。このシーンは最初こそ気恥ずかしかったものの、ひたすら慣れるために特に練習したところだ。
エレナがディックの名を呼んですぐ、そのまま暗転し場面転換となった。瀬田と白戸はひっそりと舞台袖へと下がる。ほっとして気が抜ける間もなく、白戸が瀬田の身体を支えた。


「大変、瀬田くん身体めちゃくちゃ熱いよ!」

「なんだって?」

白戸の言葉に、自分がどれだけ無理していたのか瀬田はようやく悟った。その場で膝をつき、肩で息をする。

「柊二…!」

夏目がすぐに駆け寄ってきて、瀬田の顔に触れる。彼の手はひやりとして冷たかったが、それだけ自分の体温が高いということだ。

「熱が上がってきたかもしれない。瀬田、立てるか?」

「…大丈夫」

「舞台の途中で倒れられても困る。無理なら今言ってくれ」

珍しく強い口調の夏目に瀬田の頭が少し冴える。瀬田は負けてたまるかと歯を食いしばった。

「台詞を言うくらいは、できる」

「でも瀬田くん、次のシーンは…」

躊躇いがちに声をかけてきた白戸の視線が、防具とプラスチックの剣に向かう。次はよりにもよって、この劇の見せ場でもある殺陣のシーンだった。

「そうか、次は…」

「プラスチックの剣とはいえ一歩間違えたら大ケガだ。部長とタイミングを完璧にあわせなきゃならない」

いま部長の藤村は、舞台の上で妻が消えてしまったことに絶望している。彼の出番が終わればすぐに瀬田は出なければならない。

「しかも柊二は仮面つけてるんだ。普段でもちょっと危なっかしかったのに、今の柊二はできるのか」

夏目に問いかけられ、瀬田は即答できなかった。無理かもしれない。今の自分に大立ち回りする気力はない。だが、今それを言ってどうなる。瀬田の代役はいないのだ。もしできないのなら、この大事なシーンをカットせざるを得ない。

「よし、わかった。柊二の衣装と仮面をくれ。俺がやる」

「え!?」

夏目の言葉にそこにいた全員が唖然とする。しかし彼の目は本気だった。

「俺は柊二と体格がそんなに変わらない。元々台詞のないシーンだし、仮面を被ってしまえば大丈夫だろ」

「で、でもそれは…」

「俺だって何度も部長と柊二と練習してる。失敗はしない」

「夏目くんなら大丈夫だと思うよ。瀬田くんの今の体調だと、その方が安全だ」

出番を終えて戻ってきた藤村が夏目に賛同する。突然の代役に瀬田は何か言おうと口をパクパクさせていたが、何も出ては来なかった。自分がやり通せる自信がない。舞台の上で倒れたら、藤村とのタイミングがあわなかったら、そこで劇は終わりだ。

「夏目くんなら瀬田くんと同じようにできるはず。台詞がないシーンで良かった」

「柊二、俺ができるのはこれだけだ。ラストの見せ場はお前にしっかり演じてもらわなきゃなんない。だからそれまで、しっかり休んでいてくれ」

諦めるのは嫌だったが、自分は我が儘を言える立場ではない。抵抗する気力もないほど疲弊してるのも事実だ。夏目の言葉に、瀬田は朦朧とする頭で頷いた。
それを合図に部員たちが動き出す。藤村と夏目は台本を片手に簡単に打ち合わせを始めた。確かに、瀬田と藤村の居残りに夏目は参加し自ら指導もしていた。動きはすべてインプットされているはずだ。しかしこれはアクシデントであり、ぶっつけ本番と何ら変わりはない。瀬田がやるより確実ではあったが、成功する確信があるわけではなかった。

あまり暗転時間が長いと客も不自然に思ってしまう。打ち合わせもそこそこに、夏目は俺の着るはずだった服を身にまとい、剣を手にかけた。

「……」

「どうした、柊二」

「いや、何か…俺より似合ってるよ、夏目くん」

動きやすさを重視した漆黒の衣装は、まるで彼のためにあつらえたかのようだった。予算のあまりない部なので衣装は使い回しが多くこの服を塩谷が着ているのを見たこともあるが、夏目は誰よりも似合ってる。普段は明るいイメージの彼に冷たさを呼び起こす黒い服。これがギャップというやつなのか。

「俺を褒めてくれる余裕が出てきたのはいいことだな。柊二、出番が来るまで休んでいてくれ。必ず成功させてくる」

そう言って笑った夏目は仮面を被ると舞台へと走り出していった。村人A役ですら緊張していた男の後ろ姿ではない。瀬田は休むことに集中しなければと思ったが、舞台が気になってそれどころではなかった。




「待て! お前、いったい何者だ!」

少し遅れて登場したダスティ役の藤村が剣を構えながら叫ぶ。しかしもちろん夏目は答えない。

「…行き止まりだな。観念して僕の質問に答えろ! お前が、僕の妻をさらったのか? エレナはどこだ!」

ディックは贋作の絵をダスティに売り付けることで彼から金を奪い、エレナを誘惑してダスティと別れさせた。エレナはもともと金目当てでダスティと結婚した女だ。ありふれた容姿のダスティは自分にふさわしくないと、彼女は日頃から思っていた。そこにつけこんで、ディックは別れを告げる手紙をエレナに書かせダスティから彼女を奪った。

「あそこに書かれた文字は、紛れもなく彼女のものだった。しかし、エレナが僕に何も言わずあんなものを残して去るとは思えない。お前が、お前が何か彼女に吹き込んだんだろう!」

エレナの本性に気づかずに悲痛な叫び声をあげる藤村の演技に瀬田は思わず見入ってしまう。ここではあえて余計なBGMを流したりしない。ディックの復讐が完遂しようという瞬間は無音でいこうと指示したのは夏目だが、それは確実に成功していた。

「お前が何も答えないというのなら、その仮面、今すぐ剥ぎ取ってくれる!」

ダスティが腰に下げていた剣を抜き、仮面の男に向かって走り出す。ディックは剣を構え、振り下ろされた刃を受けとめた。

あの仮面のせいで視界が悪く、練習でその感覚を叩き込むしかなかった。金属同士がぶつかる音は別に録音してあり、それにあうように動かなければならない。右、左、右、左。夏目は切っ先をすんでのところで避け、軽やかな足取りでダスティをあしらっていた。観客から感嘆の声が上がるほど綺麗な動きだ。
あの剣ならばフェンシングのような突く動きが一般的なのだろうが、剣道の動きも混ぜた方が見映えがするということでこのシーンは藤村と夏目は何度も意見をぶつけあっていた。ダスティが大きく振りかぶって切りつけるも、仮面の男はそれを鮮やかにかわし、相手の太刀先を下から鮮やかに払いあげた。

「……っ!」

ダスティの剣がはじき飛ばされ、その場で尻餅を突く。ここまでの一連の動きは藤村と瀬田がずっとやつてきた練習通りで、夏目はそれを完全にコピーしていた。瀬田の目には、もう一人の自分がそこに立っているようにすら見えた。

切っ先を喉元にあてられ、動けずにいるダスティを見下ろす仮面の男。その立ち姿は冷たく、ダスティは死を覚悟した。しかし仮面の男はそのまま何もせず、静かにダスティから離れ走り出した。殺すのが目的ではなかった。

「待ってくれ、ディック!」

男の正体を知らないはずのダスティが、彼の名を叫ぶ。その声に思わず男は足を止めてしまう。

「本当に、本当にお前なのか…?」

「……」

「どうしてなんだディック! 俺達は友人じゃなかったのか!」

エレナの消失と同時に消えた親友。彼の持ってきた絵は偽物で、友人だと思った男は詐欺師だった。しかしダスティはその事実がどうしても認められないでいた。

「頼む、答えてくれ。お前が俺を許すと言ってくれたことは、すべて嘘で、ずっと俺を恨んでいたのか。だから、こんなことをしたのか」

ダスティの問いかけに男は答えず、無言のまま去っていく。ダスティに対する恨みつらみはもうない。彼の復讐はここで終わったのだ。

「ディック! ディック!!」

ダスティのむなしい叫び声がこだまする。彼は舞台の上で、いつまでも泣き崩れていた。



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