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日がな一日
開幕


瀬田達が第一体育館の舞台裏に来られたのは、開演の30分前のことだった。
夏目と部長の藤村はこまめに連絡をとっていたので、瀬田がついた瞬間部員達が手際よく舞台衣裳に着替えさせる。火照った顔を隠すため、女子部員にファンデーションを塗ってもらった。
何度も部員達にかわるがわる大丈夫かときかれて、瀬田はそのたび自分に言い聞かせるように頷いた。




「ちょっと見てきたけど、客席満員だったぜ」

舞台袖で座り込む瀬田に、自らも村人Aの衣装に着替えた夏目が声をかける。瀬田はその言葉に少し尻込みしそうになりながらも自らも幕の隙間から顔を少しだけ覗かせた。

「うわっ……」

「な、すげーだろ」

よくも悪くも話題にはなっていたから、空席ばかりということはないだろうと思っていたが、予想以上の客入りだ。席はすべて埋まり、立ち見客までいる。
瀬田がよくよく目を凝らすと、後方のドア付近に真結美と椿が立っていた。二人のオーラが凄すぎて遠目でもわかる。そして前列に孝太の姿を見つけ、瀬田はさらに緊張した。

「こんなに人が集まってるってことは、軽音部の方は結構寂しい状態になってるかもな」

「……」

「大丈夫、もう柊二には何もさせねぇよ。それにここまで人を集めた時点で、瀬田は十分役割を果たしてるし」

瀬田は演劇部の常連客だが、文化祭であろうともここまで人が集まった事はない。悪目立ちの瀬田と、夏目の人徳の影響があるのは確実だ。

瀬田は再び座り込み、役に入り込む。夏目は瀬田の邪魔にならないよう、そっと側を離れ舞台の準備に加わった。


客席の照明が消え、しんと静まり返る。体調はまだ万全ではない。しかし、逆にそのおかげで緊張が解れている気もして瀬田は妙に落ち着いていた。


『お待たせいたしました。演劇部による“Dの復讐”開演いたします』

演劇部女子部員によるアナウンスが流れる。幕がゆっくりと上がっていく。藤村演じるダスティが中央に立ち、侍従役の部員が側に控える。

舞台の二人にスポットライトがあたる。瀬田の出番はもう少し後だったが、すでに役に入り込んでいた。


「金も、地位も、美しい妻も、僕はすべてを持っている。しかし僕にも手に入らないものがある」


藤村の、ダスティの第一声が体育館に響きわたる。友人のいないダスティの嘆きから始まり、彼は自らの過去の行いを悔いる。それが終われば瀬田の出番だ。

「瀬田くん、何かあったらさっき言った合図、送ってね」

いつのまにか隣にいたエレナ役の白戸に声をかけられる。瀬田がどうしても無理だと判断したとき、こめかみを押さえるように言われたのだ。
彼女は瀬田の返事を待たず、舞台へと飛び出していく。綺麗なドレスを着て、舞台の上でエレナになりきる彼女は生徒会の面々に負けないくらい美しく見えた。

練習ではうまくいっていた。部員も、部長の藤村も瀬田の事を褒めて認めてくれた。しかし本番はどうだろう。実際に舞台の上で予行練習をしたことはあるが、こんなに大勢の人はいなかった。部員たちとは違い、瀬田は本番を知らない。しかも今は立っているのも精一杯な状況だ。しかし、やると決めた以上それは言い訳にはならない。

一回切りの勝負だ。もし声が上ずったら、台詞を忘れたら。瀬田の失敗は演劇部の失敗だ。こんなに人を集めても、周りがどんなに素晴らしい演技をしようとも、瀬田の失敗で劇の評価は微妙なものになる。正式な部員ではない瀬田にはそれはとても重荷だった。


「大丈夫よあなた、友なんて必要ないわ。だってあなたには私がいるじゃない。私という素晴らしい妻がいるのだから、それで満足するべきなのよ」

白戸の台詞が聞こえ、自分の出番がもう少しで始まる。長いような短いような待ち時間を耐え、震える瀬田の背中に優しく触れる手があった。

「大丈夫だ、柊二なら絶対に最後までやれるよ」

励ます夏目の声は小さくても頼もしいものだったが、彼の手もまた震えていることに気づいた。夏目も緊張しているのだろう。
瀬田は頷き、小さく咳払いをして声の調子を整える。反対側の舞台の袖へと白戸が消えていく。そして舞台は暗転し、次にライトで照らされた時には場面が変わっていた。瀬田は5秒しっかり数えて、スポットライトの下へ飛び出した。

このシーンは、ダスティとディックの再会シーンだ。周囲から孤立し、嘆くダスティに昔の幼馴染み、ディックが現れる。昔自分を苦しめたダスティへの復讐のために近づいてきたのだが、彼はそれに気づかない。


「ダスティ、久しぶりだな」

後方の客席にまでに届くように腹の底から声を出す。しかし怒鳴っているように聞こえてはならない。瀬田の演じるディックはダスティに近づくために画商になり、妻のエレナに絵を売り込んでいた。

「お前……ディックか? なぜここに、ずいぶん昔に街を出たのでは…?」

「故郷が懐かしく、戻ってきたのだ。そして幸運にも、この美しい女性がお前の妻だと知り会いに来た。久しぶり語り合おう」

心からそう思っているような声と笑顔をダスティへと向ける。客席の方は見れなかった。今はダスティへ声をかけるシーンだから見る必要などないのだが、開演前に見たあのたくさんの生徒達がこちらを見ていると思ったら、演技ができなくなってしまうかもしれないと思った。

客の視線が俺に集まっているのがわかる。しかしいまの俺はディックだ。役に入り込まなければ、この緊張と体調不良に耐えられそうにない。

二人の再会のシーンが終わり、暗転する。藤村達は舞台の袖へと消え、残された瀬田にスポットライトが当たる。ディックの独白のシーンだ。

「ようやく俺の人生をめちゃめちゃにした、あの男に会えた。ここまで上り詰めるのにどれだけ苦労したことか」

独白なので、瀬田は一人舞台の上で客と向き合う。汗が背中をつたっていくのがわかる。声を張り上げ、何度も何度も練習してきた台詞を叫ぶ。

普段から好奇の目や嫌悪の目にさらされてきた。瀬田柊二目当てで客が集まったとはいえ、全員が好意的に見ているわけではないだろう。瀬田を笑い者にしてやろう。そう思っている生徒だっているかもしれない。いくら疑心暗鬼になっても、瀬田ができるのは精一杯演技をすることだけだ。

「奴に与えられた屈辱の日々、俺は絶対に忘れない。必ずダスティに復讐してみせる!」

その台詞と同時に再び暗転。瀬田は小さく息を吐いて、ふらつきそうになる足を一歩一歩踏み出しながら舞台袖へと戻った。

「柊二」

足音をなるべくたてずに戻った瀬田を、夏目がそっと支える。

「俺……」

「大丈夫、良かったぜ。舞台に立ってるのが瀬田柊二ってこと忘れるくらい役になりきってた。でも次のシーンまで時間がない。早く汗拭いて、着替えるぞ」

「うん…っ」

夏目に褒められて思わず笑みが溢れる。頼むから最後までもってくれと祈りながら、瀬田は夏目が差し出してくれたタオルをつかんだ。


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あきゅろす。
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