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日がな一日
007


演劇の練習は滞りなく進んでいたが、瀬田はとある終盤のシーンで一人だけ躓いていた。それは劇中の見せ場とも言える殺陣シーンだ。仮面をつけ正体を隠した、瀬田扮するディックがダスティに剣で襲いかかる一番盛り上がる場面だが、これには演技力にプラスして体力と技術が必要だった。


「今のどうだった!?」

部長の藤村とプラスチックの剣での立ち回りを終えた後、瀬田は夏目をはじめとする部員全員に出来を訊ねた。全員が視線をそらす中、監督兼演出家になっていた夏目が笑顔で答えた。

「50点かな」

「低っ」

「最初よりは良くなってるけどな。ただスピードがないのと部長に受けてもらってる感がすごい」

「そ、そんな……」

「短期間に習得は難しいだろうしなぁ。部長さえよければもう少しこのシーンの時間削っても……」

「それは嫌だ…!」

自分のつたない演技のせいで劇の出来を悪くすることは瀬田には耐えられない。アクションシーンの経験などない瀬田は素人以下の動きしか出来ていなかったが、どうしても簡単に諦めたくはなかった。

「俺、放課後も残って練習するから。……お願いします」

息を切らしながら頭を下げて頼み込む。この練習に時間をとられると全体の進行に遅れが出て迷惑をかける事がわかっていたので、瀬田は深々と頭を下げた。

「助っ人の瀬田くんにそこまで言われたら、こっちも頑張るしかないよね。部活終わったら僕と残ろうか」

「あ、ありがとうございます部長!」

部長の優しい言葉に頭を下げたまま叫ぶ瀬田。そろそろと顔をあげると藤村の横にいた夏目が任せろとばかりに親指を立てていた。

「なら俺も残るぜ! 横から見てる奴がいる方がやりやすいだろ」

「ほんとに…? ありがとう夏目くん」

「いーってことよ」

他の部員もこころよく許してくれたので、瀬田はその後はずっと基本の型の練習をしていた。そして部活後は少しだけ残って藤村、夏目と共に殺陣シーンの練習をすることになった。





その日の放課後、椿礼人からメールが届いた。その内容を見た瀬田はいてもたってもいられず、気がつくと彼の部屋の前に立っていた。ドアをノックすると、少しの間のあと分厚い扉がゆっくりと開いた。

「……瀬田くん」

「いきなり来てごめん。メール見て……って大丈夫?」

いつもの煌めきが消え、やつれている椿を見て瀬田が声をかける。文化祭を間近に控え、明らかに疲労が蓄積しているがそんな姿も格好いいと、罰当たりな事を瀬田は密かに思っていた。

「最近あまり寝てなくて……。まだ文化祭を始められる状態じゃないのに、学校側が今のままで進めようと……ああ、いや。こんな話はどうでもいいんだ」

(椿くん、頑張って疲れてるんだな……疲れてる顔も格好いい……)

学校では弱った姿を見せない椿が、こんなに無防備な姿を見せてくれるなんて。椿礼人のファン魂に火がつくのを必死に我慢して、瀬田は平静を装った。

「入ってくれ、瀬田くん。お茶くらい出す」

「いや、ここで! ここで話すよ」

疲労した椿にもてなしてもらうのは悪い。それに瀬田は弘也に簡単に部屋に入るな入れるなとキツく言われている。部屋まで来た時点で弘也の言いつけを破っていたが、瀬田はどうしても椿に直接礼を言いたかった。

「椿くん、演劇部と軽音部の時間が被らないように調整してくれたんだよね。俺、ちゃんとお礼言わないとと思って。ありがとう」

椿はこの忙しい時にわざわざ他の部活に頭を下げて、順番を変えてもらってくれたのだ。これでもう軽音部が演劇部を目の敵にする理由も、瀬田が脅される理由もなくなった。

「でも結局、30分しかずらせなかった。だが軽音部の方が早く始まるから、演奏を気に入ってくれた生徒は劇が始まっても残るだろう。これで向こうの溜飲が下がるといいんだが」

首を横に振りながら何度も礼を言う。椿がこんな忙しい時に自分のためにここまでしてくれたことが瀬田は嬉しくてたまらなかった。

「こんな直前で時間変更なんてよくできたね。大変だったんじゃ……」

「第二体育館を使う他の部にこっそり頼んでまわったんだ。軽音部には時間が変更になったとしか伝えてないから、僕が瀬田くんとの事を知ってるのはバレてないと思う」

「椿くん……!」

「礼はいい。僕も劇を楽しみにしてる一人だからな。瀬田くんが出られなくなるのは困る」

綺麗な顔でさらっとそんなことを言われて、瀬田は抱きつきたい衝動を必死で抑えた。気を取り直して椿に向き直る。実は瀬田がここに来たのはお礼を言うためだけではなかった。

「椿くんに、ちょっとお願いがあるんだけど……」

「何?」

「椿くんの写真、こっそり持ってちゃ駄目かな」

本当は写真ではなくポスターだ。瀬田のもう一つの目的は真結美がとっておいてくれたポスターを飾る許可をもらうことだった。さすがに盗撮写真を特別に引き伸ばしたものを勝手に買い取ったとは言えないが、何も言わず部屋に飾るのはどうしても気が引けた。

「もちろん悪用はしない。ただ椿くんの顔を見ると元気が出るというか、御守り? みたいな感じで持っておきたくて」

完全に危ないストーカー一歩手前の発言だが、椿は真っ赤になる瀬田に女ならば一瞬で恋に落ちそうな甘い笑顔を向けてきた。口を半開きにしたまま見とれる瀬田の手を優しく握り、その形のいい唇を開いた。

「僕の写真? いいよ、何枚でも撮って好きなだけ見てくれ」

「あ、ありが……」

「入って、瀬田くん」

椿に手を引かれ、片足だけ部屋に踏み込む。弘也の声が聞こえた気がして、瀬田はすんでのところでとどまった。

「いや、俺は……部屋には入れないから…」

「瀬田くん」

椿の声から甘さが消える。ハッとした瀬田が顔をあげると、その表情に笑顔はなく物言わぬ圧力を感じずにはいられなかった。

「僕はお願いしてるんじゃないんだよ。『入れ』と言ってるんだ」

椿は常に上に立つ立場の人間だったが、瀬田に対して無理な圧力をかけてきたことはなかった。孝太が言う、偉そうで我が儘な椿礼人の裏の顔。その片鱗が見える事はあっても、瀬田にとって憧れであることには変わりなく、そして彼はいつも優しくしてくれた。
その椿からの命令は、弘也の忠告をもってしても抗うすべはなく瀬田は従うしかなかった。憧れの対象である彼を心底崇拝していたからだ。
背後で扉がゆっくりと閉まる。椿の部屋は何故か照明を消しているためとても暗く、もはや彼の顔しか見えなかった。


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あきゅろす。
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