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日がな一日
005


「……椿」

咄嗟にその男の名前を呼んでいた。彼は孝太の存在に気づくと、一瞬意外そうな顔をした後、小さく微笑んだ。

「やあ、孝太」

孝太は用事もないのに嫌いな人間に話しかけたりはしない。それをよくわかっていて自分が嫌われていることも知っているだろうに、まるで気にした様子もなく孝太に接してくる椿。彼のそんなところが昔から腹立たしかった。

椿は孝太をまるで相手になどしていない。対等には見ていない。
孝太の方も、椿と真っ向から勝負しても勝てないと心のどこかで思っていた。けれど今の孝太は椿に負ける気も、彼から逃げる気もなかった。

「お前、本気で瀬田が好きなわけ? 男なのに?」

「……」

核心をついた孝太の言葉に椿の表情が固まる。はじめて椿が自分の方を見た気がした。

「何が言いたい」

「いくら瀬田がお前を見てたからって、何でお前が瀬田に襲いかかったりしたのかって訊いてんだよ」

本人の言う通り、瀬田は椿に押し倒されてもろくに抵抗しなかったのかもしれない。それを合意と受け取ってしまったことに関して、椿を責められはしない。自分だってそれを利用して奴と同じことをしたのだ。椿を責める権利などあるわけがない。

ただそれはすべて結果論で、椿がなぜそんな衝動的で無鉄砲な真似をしたのか。それがずっとわからなかった。瀬田が受け入れなければ何もかもを失う危険性もある。相手はろくに話したこともない男なのだ。冷静になって考えてみればどうしたっておかしい。

「襲いかかる? バカな、そんなことはしていない」

「瀬田に自覚がねぇんだから、そうかもな。でも俺は知ってるぜ。お前が何でそんな馬鹿なことをしたのか」

怒るのをいったんやめて、冷静になって考えた結果ようやく答えが出た。孝太は椿に近づき、彼にしか聞こえないような声で話し続けた。

「お前は大事な跡取り息子で、ちゃんと婚約者候補までいて、恋人を作ることすらできない。でも女なんかにこっそり手を出すのはリスクが高すぎる。間違って妊娠でもさせたら終わりだ。お前の家に取り入ろうとする輩はたくさんいるし、下手な真似はできねぇだろ。あんなに言い寄ってくる女がたくさんいて、何もできないってのはつらいよな」

「…何が言いたいんだ」

「童貞卒業するには、男とでもヤるしかねぇって話。瀬田は男にしては綺麗だし、責任とれだのとわめくような奴じゃねえし。都合が良かったんだろ。瀬田が許したんだから俺がとやかく言うつもりはねぇ。ただ、」

孝太は椿を見据えて、挑発的に笑った。

「やらせてもらったからって、あいつがお前のこと好きだなんて思うなよ。俺が押し倒したって、アイツはろくに抵抗しなかったぜ」

「孝太、お前まさか瀬田くんを無理やり…」

「お前とは違う。俺はあいつが好きだ。瀬田を守っていく覚悟もある」

瀬田をこんな男にみすみす奪われてたまるか。彼をみているとその思いばかりが強くなる。孝太はどんなことをしても瀬田を自分のものにするつもりだった。

「瀬田のことはもう諦めろ。お前はこれまで通り親の敷いたレールの上で良い子にしてるんだな」

孝太の言葉に、椿は目を細めてこちらを見た。

「お前が僕に勝てるとでも思ってるのか。本気で?」

椿は虫けらでも見るような、冷たい目を孝太に向けていた。馬鹿にされていると肌で感じていても、こうもはっきり言われた事など一度もない。彼が初めて見せた本性に孝太は笑った。

「ははっ、顔に本性が出てるぜ。格下相手に偉そうに言われてイラついてんのか? 悪いけどこの勝負、俺に分があると思うぜ」

「孝太、お前には立脇さんがいるだろう。彼女はどうする気だ」

「お前が詩音の心配? 笑えるな。アイツに気でもあんのかよ。悪いけどお前みたいな男、詩音の好みじゃねぇぜ」

「お前の浮気癖で生徒会が混乱するのを避けたいだけだ。お前が僕を分析するのは勝手だが、そんな思い込みを瀬田くんに吹き込んで彼を傷つけるのはやめておけ。彼はもう十分にお前に傷つけられてるんだからな」

「……」

「これ以上瀬田くんのことでお前と話すことはない。不誠実なのは男として最低だ。正直言って、お前なんかライバルとも思えないな」

すれ違い様に孝太を睨み付けて、椿は歩き出す。孝太は殴りかかりたくなる衝動を抑えて、やつの背中を見送った。

「……言うじゃねぇか、温室育ちの坊っちゃんのくせして。最低なのはお互い様だろ」

絶対に瀬田には自分を選ばせてやる。どちらが正しいかは瀬田が証明してくれると、孝太は椿の後ろ姿を見えなくなるまで睨み付けていた。








「……で、これは何の冗談なんだ」

翌朝、遅刻して登校した弘也が見たのは、孝太にべったり張り付かれている瀬田の姿だった。さながら酔っ払ったたちの悪い上司に絡まれる後輩の様だ。顔をしかめる弘也に、瀬田は助けを求めた。

「弘也! 何で昨日電話に出てくれなかったんだよ! 部屋にもいないし遅刻するし」

「叔父さんがなかなか離してくれなくて……何でお前こんな張り付かれてんの?」

「それは……」

「付き合うことになったからだよ、俺たち」

孝太から出た言葉にぎょっとなる弘也。瀬田に視線を向けると大きく首を振っていた。

「付き合うって何? あんたら揃ってホモになっちゃったわけ?」

「だから付き合ってないってば!」

「この眼鏡がオッケーくれたら、付き合っていいって言ったじゃねえか」

「弘也はオッケーしてないだろ。な、弘也」

「へ?」

視線で訴えてくる瀬田に疑問だらけの弘也は首を傾げる。孝太はようやく瀬田から離れて弘也を見上げた。

「杵島くん、俺、瀬田と付き合ってもいいよな? 良いって言えよ」

「え…いや、駄目だけど」

「は?」

「だって瀬田は俺の親友なわけで、親友の恋人が男でしかもお前とか…こっちまで迷惑被りそう」

「んだとこのクソ眼鏡」

「孝ちゃんっ」

瀬田に止められて孝太は不満そうな顔をしながらも再び席につく。大人しくなった彼の姿に、たった一日でこのホモ大嫌い男にどんな心境の変化があったのかと弘也は不思議に思った。
さぞかしクラスメート達は驚き引いていることだろうと周囲を見ると、彼らは何故か揃いも揃って和やかな顔をしていた。

「あの二人仲直りしたのか、長かったなぁ。孝太はもう許さねぇのかと思ってたけど」

「ホモとかドン引きしても仕方ねぇよ。でも孝太ずっと機嫌悪かったし、元に戻って良かったのかもな」

孝太の友人の京川と矢形は、吹っ切れた様子の孝太を見てのんびりと雑談していた。弘也は知らないことだったが、瀬田と孝太は一年の時から有名なコンビで、元々親友同士だったことは誰もが知っていた。

「孝太、あんなにいじめてたくせに仲直りできてよっぽど嬉しいんだな。はっちゃけすぎて何か付き合うとか言ってるし」

「瀬田がホモだからって悪ノリしすぎだろ。孝太が珍しく笑い取りにきててウケる」

突然堂々と男に迫る孝太を見てドン引きするかと思えば、クラスメート達は皆笑っていた。詩音という可愛い彼女がいる孝太の言葉を誰も本気にはしていなかったのだ。それよりも孝太の瀬田いじめで空気の悪かったこのクラスが、二人の仲が戻ったことで明るくなって喜んでいる生徒の方が多かった。

「おい孝太ぁ、冗談も程々にしとかねーとそいつ困ってるぞ」

「冗談じゃねーよ。俺は本気だ」

「そのネタ笑えるからやめて、腹痛い」

普段くだらない冗談など言わない孝太の真剣な表情に友人二人は笑いが止まらないようだった。瀬田はこっそりと隙をついて孝太の拘束から抜け出し、弘也の背中へ避難した。

「瀬田さぁ、お前もしかして昨日あいつに会いに行った?」

「ギクッ」

「ギクッじゃねえよ。俺が駄目だって言ったのに無視したろ。そのせいでこうなってるとか、全部自業自得じゃねーか」

「……おっしゃる通りです」

「後で詳しく話聞かせてもらうぞ。…別に怒ってないから落ち込むなよ。俺にも責任ある気がするしな」

しゅんと項垂れる瀬田を撫でながら弘也はため息をつく。すると瀬田の逃亡に気づいた孝太が、弘也を睨み付けながら口を開いた。

「杵島、お前が俺と瀬田の仲を認めてくれんなら、生徒会に入れんの承諾してやってもいいぜ」

「……マジで?」

「弘也?」

売られる、と焦った瀬田は目の色が一瞬で変わってしまった親友の肩を掴む。弘也は心配しなくても大丈夫だとでもいうように、瀬田に優しく微笑んでから孝太に向き直った。

「俺をあまり見くびるなよ、萩岡。条件次第で検討しよう」

「弘也!?」

なぜか握手をする孝太と弘也に顔がひきつる。杵島弘也は信用ならない男だと、瀬田は改めて実感させられた。


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