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日がな一日
005


「う、嘘…」

開始からものの数分で、瀬田は弘也に負けていた。ハンデとして二つ隅を取らせてもらっていたにも関わらず、すべてのマスが埋まることなく瀬田の黒石はひっくり返されてしまっている。

「お前、本気でやってる?」

「やってるよ! 弘也が強すぎるんだよ! 何でそんなに強いんだよー!」

弘也の性格からして何も考えず思うがままに打ちそうだったが、予想に反して隙はまったくなかった。一応頭で考えていたつもりの瀬田は息つく間もなくトドメを刺されてしまった。

「俺は叔父さんと毎日勝負して鍛えてるから。お前が勝つとは思ってなかったけどもっとやる気見せろよ」

「俺オセロとか殆どやったことないんだもん。それでもこんな圧倒的に負けたことは今までなかったけど!」

訳がわからないうちに負けていた、というのが正直なところだった。一応本気で考えながらやったのに、気づくと置くところがなくなっていたのだ。

「ああ…そうだな。普通はそんなもんなんだよな…悪い瀬田、俺やっぱ叔父さんとするからどいてくれ」

「……!」

戦力外通告をされた瀬田は落ち込みながらも席を理事長に譲る。叔父は博也と向かい合うように座りながら真面目な表情になっていた。

「弘也、大会前でナーバスになってるのはわかるけど、せっかく瀬田くんが来てくれてるんだから今日は…」

「え、やらねぇの? 叔父さんがそう言うなら俺は別にいいけど? それで俺が負けることになってもかまわないっていうならさぁ」

「いやいや、負けてもらったら困る。それは困るよ弘也」

「だったらやるぞ、ほら」

この学校の理事長であるはずの壮年の男性も弘也の前ではまるで威厳もなく、孫にデレデレのおじいちゃんのようになっていた。彼が弘也を溺愛しているというのは本当らしい。

「瀬田くん、気にしなくていいからね。弘也は容赦ないから。けして君が弱い訳じゃないよ。私も最近は負けてしまっているし」

「理事長さんはいつも弘也とオセロを?」

「理事長サン? はは、オジサンでいいよ。私はこの子の大会が近いから練習相手になってるんだ」

弘也と理事長が向かい合うと、彼らの表情は真剣そのものになった。瀬田は遊びではない二人の雰囲気を感じとり、控えめに声をかけた。

「あの、大会って。オセロの大会があるんですか」

「ああ、そうだよ。弘也の相手ができるのは私くらいしかいないからね」

「はっ、よく言うぜ。叔父さんがずーっと負け続けた因縁の相手が大会に出るから、自分の代わりにボコボコにしてくれっていって俺に泣きついてきたくせに」

「ひ、弘也」

引きつった表情の理事長を弘也は容赦なくいじめている。それと同時に彼は黒石を置いてゲームを始めた。

「じゃあ弘也と叔父さんだったら、弘也の方が強いの?」

「そりゃもちろん」

「いやいや、私は一応五段だから。弘也はまだ三段」

負けじと反論する理事長に余計なことを言ってしまったと後悔する瀬田。弘也は眉間に皺を寄せて叔父を睨み付けていた。

「段なんか関係ねーよ。それはただの経験値で大事なのは今現在どうなのかってことだろ」

「弘也は確かに私よりも素質があるし、強くなるだろう。ただ正式に私よりも強いと断言するのは、せめて同じ五段になったときにしてもらわないと」

「あっ、そう。だったら次の大会もあんたが出場して自分で勝ってくりゃいい」

「待って、待ってくれ弘也。何もそこまで拗ねなくても」

「拗ねてねーよ」

「あ、タンマタンマ! 今のやり直しさせて」

「駄目、タンマなし」

言葉で追い詰められオセロでも追い詰められ、叔父は最早理事長という肩書きはないに等しい。最初の方は緊張していた瀬田も二人の口喧嘩を聞いていると自然と笑みがこぼれた。瀬田は和気藹々と話しながらも、ひたすら二人がオセロをしている姿を横で見ていた。



「…んん。…あれ、俺……いたっ」

いつの間にか眠っていた瀬田は、姿勢の悪さからくる痛みに思わず顔をしかめた。一瞬ここがどこかわからなかったが、すぐに弘也の部屋だと理解した。

「よう瀬田、起きたか」

「ご、ごめん俺、寝ちゃってた」

座っていたソファーがあまりにも気持ちよくて、理事長の前だというのに眠りこけていた。謝ろうとしたが、理事長は目の前のオセロに集中している。自分がどれくらい眠っていたのか確かめるために時計を見て、瀬田は仰天した。

「嘘っ、もう1時!?」

「……ああ、もうそんな時間か」

弘也達も瀬田にいわれて気づいたらしく、二人揃って時計を見上げながら驚いていた。どうやらあれからずっとオセロをし続けていたらしい。

「残念だけどこれで終わりにしよう。私は帰るから、弘也もすぐ寝るんだよ」

「はいはい。じゃーね、叔父さん」

理事長は瀬田にも挨拶すると荷物を持って玄関へ向かう。弘也は手を振っただけで見送る気はないらしい。瀬田は半分寝ぼけたまま、非礼を詫びなければと理事長をつたない足取りで追った。

「すみません、わざわざ来てもらったのに俺ずっと寝てしまって……」

「いやいや、瀬田くんに会えただけで良かった。君みたいな子が側にいてくれたら私も安心だ」

ただ眠りこけていただけの自分にそこまで言ってくれて、瀬田は何と言葉を返していいかわからなかった。清掃員の格好をした理事長はその服に似合わない高そうな革靴を履き、それから瀬田に小声で話しかけた。

「弘也は自分勝手でマイペースな所があるから君にも迷惑をかけてるだろう。それでも私には可愛い甥っ子なんだ。私のこの趣味に興味を持ってくれたのはあの子だけでね。才能もあったものだから私がどんどん持ち上げて甘やかしてしまって。そのせいかオセロさえできれば後はどうでもいい、なんてことまで言い出す始末だ。このまま友達ができなかったらどうしようかと思ったけど、杞憂だったみたいだ」

「…お、俺も、弘也がいてくれて良かったです」

その言葉は弘に也の叔父が頬笑む。おそらく彼が考えているよりずっと、瀬田は本気だった。理事長は優しく微笑みながら一礼して、部屋から出ていった。
今更ながら、弘也との関係を疑ってしまったことに申し訳なくなる。自分が男を好きだからといって、自分の感性に他人を巻き込んでどうしようというのか。弘也にも悪かったと思いながら部屋へ戻ると、彼はテレビゲームを起動させていた。

「いやもう寝ようよ! 明日学校あるよ?!」

「嫌だ。まだ眠くない」

「しかもゲームもオセロだし! 今まで散々やったのにまだ足りないのかよ!」

「機械相手にはどうしても勝てないんだ。だから勝てるまで諦められない」

「そんなんだから遅刻するんだろー!」

その後も瀬田は何とか弘也をベッドへ引きずり込もうとしたが、本気でキレられたので無理強いできなくなった。色々と謎に包まれていた友人は、蓋を開けてみれば中にはオセロしか詰まっていなかったと知り、瀬田は嬉しいようなむなしいような何とも言えない気持ちになった。


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あきゅろす。
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