日がな一日 だから君が好き 萩岡と椿とひと悶着あったせいで精神的に疲弊していた瀬田は、すぐに自分の部屋に戻ろうとした。しかし下へと続く階段に立ちふさがるように人が立っているのが見え、足をとめた。 「杵島、くん…?」 「よう、瀬田。俺の部屋には寄ってくれないのか?」 杵島が明らかに怒っていたので、瀬田はいま唯一の友人の前で怯えるはめになった。なぜ彼がここにいるのか。これではまるで瀬田を待ち構えていたかのようだ。 「ど、どしたの杵島くん。何でここに」 「それはこっちの台詞だ。これはどういうことだよ」 「何がですか…」 「萩岡だけじゃなくて会長とも仲良しなんだなぁ、お前」 「え」 杵島の言葉に瀬田は思わず絶句する。なぜバレているのか。まさかあれだけ注意したのに、彼の部屋に入るところを見られていたのか。 「俺、さっきお前の部屋に行ったんだよ。瀬田が意気消沈してんじゃねえかと思ってさ。そしたらお前いなくて、何か嫌な予感がして探したんだ」 「ほんとに? ごめん、電話くれたら良かったのに」 「携帯部屋に置きっぱなしだったからな。警備室の監視カメラ見せてもらったんだよ。理事長の甥特権ちょっと使って」 「え!? そんなことしたの!?」 「お前が心配だったからな。そしたら椿の部屋に入るお前が映ってたからさ、いったいどういう事なのか問い詰めてやろうかと待ってた」 「…!」 杵島が怒っているのは、隠し事ばかりの瀬田に苛立っているからか。それとも椿とこそこそ会っていたからなのか。けれど自分は悪いことをしているわけではない。杵島には全部話すべきだ、と瀬田は思った。 「とりあえず、俺の部屋に入れよ」 「…わかった」 杵島の命令口調にも逆らわず、彼の部屋へと向かう。瀬田は今まで誰にも言えなかった椿との事を、すべて話す覚悟を決めていた。 椿礼人の事は、本人を見る前からよく知っていた。同じクラスの友達、萩岡孝太から彼の話を聞かされていたからだ。 従兄弟である椿と仲が悪い萩岡は、親の命令で同じ高校に入ることになってしまった事をよく愚痴っていた。彼いわく、椿礼人という男は見た目と人当たりは良いが、中身は我が儘で身勝手。椿一族の大事な跡取り息子として大切に甘やかされて育ったせいか、萩岡達従兄弟の事を見下しているらしい。 クラスは違えど、椿礼人の評判はまたたく間に広がった。美形で高身長、何をやらせても完璧。新入生学力診断テストではぶっちぎりの一位を取り、それでいて気さくで頼りがいのある男。 萩岡の言葉とは裏腹に、椿の評価はうなぎ登り。生徒会役員候補になるのに時間はかからなかった。 けれど萩岡はずっと瀬田の横で言い続けていた。みんな騙されている、あいつは周りの人間を都合良く動かすために好青年を演じている、ただの偽善者にすぎないと。中身は大人になりきれていないただのガキで、とても人の上に立てるような男ではないと。 そのおかげで萩岡の周りはアンチ椿が多かったが、瀬田は彼の事を嫌いにはなれなかった。元々話したこともない相手を嫌いになるというのもおかしな話だ。たまに見かける椿はとても綺麗な顔をしていて、男とわかっていてもつい見惚れてしまう程だった。 萩岡の手前、それがバレないように気を付けていたが、椿の事を盗み見るのはやめられなかった。萩岡の椿の悪口には賛同せず、ただ黙って彼の話を聞いていた。 萩岡と友達である以上、椿と仲良くなれることはないのだろうが、一度で良いから彼と話してみたいという思いが瀬田の中にはずっとあった。 それからしばらくして、椿が生徒会役員に選ばれたばかりの頃、彼とよく目が合うようになった。 瀬田が彼を見ているように、椿も瀬田を見ている。最初は自分がそう思いたいだけなのか、萩岡を見ているのを勘違いしているのかと考えていたが、ある日突然それは来た。 「瀬田くん」 放課後の掃除の時間、図書室の床を掃いていた瀬田は突然彼に呼び止められた。他のクラスメイトはゴミを捨てに行っていたため、その時たまたま瀬田は一人だった。 「えっ、つ、椿くん…!?」 「どうもはじめまして、今ちょっと話して良いか?」 なぜ彼が自分に話しかけるのかわからなかったが、ひたすら頷くことしかできなかった。まさか名前を知っていてくれていただなんて。瀬田の心の中は驚きと喜びでいっぱいいっぱいだった。 いつも遠目でちらっと見ることしかできなかった彼が目の前にいる。間近で見てもやっぱり綺麗だ。 「いつも僕の事見ていたろう。だから気になってたんだ」 「あ、ごめん…っ」 反射的に謝ったが、椿に熱い視線を送っているのは瀬田だけじゃない。彼のことが好きな生徒はそれこそ山ほどいるのに、なぜ自分だけこんな風に問い詰められているのだろうと瀬田は疑問に思っていた。 「別に怒ってるわけじゃない。ただ、どうしてかと思って」 理由なんて、ただ椿の顔が綺麗で見ていたかっただけの事だ。芸能人を追いかけるファンの心理だ。ただそれを本人に伝えるのはかなり勇気が必要だった。 「椿くんの事、ずっとすごいと思って、憧れてたから…」 萩岡は椿がいつも特別扱いされていて、本人も自分が周りよりも格上の存在だと勘違いしていると言っていた。けれどこの学校の定期テストで毎回一番を取るなんて並大抵の努力で出来ることではない。プレッシャーに晒されながらも周りの期待に答える椿を瀬田は尊敬していた。 こんな図体のデカイ男に憧れと言われて嬉しいのかはわからないが、瀬田は自分の正直な気持ちを伝えた。案の定、椿は驚いて目を丸くしている。 「瀬田くんって、孝太と仲良いんだろ。彼は僕を嫌っているから、色々面白い話も聞いているはずだが」 「…人から聞いた話は鵜呑みにはしないようにしてるので」 特に悪口は、と心の中で付け加える。自分で会って話してみるまではその人の中身なんてわからない。椿をどう思うかは萩岡ではなく瀬田が決めることだ。昔地元でそこそこの有名人で、よく知りもしない相手から色々言われて嫌な思いをした経験が山ほどあった瀬田だからこそ、余計にそう思っていた。 「あの、多分そろそろ孝ちゃんが来ると思うんだ。だから、その…」 萩岡はいつも自分が掃除当番でなくとも、掃除が終わる頃に瀬田を迎えに来て一緒に出掛けていた。萩岡と椿はクラスが離れているので今のところ大きな問題は起こっていないが、ここで二人が鉢合わせればどうなるか考えるだけで恐ろしい。 「わかった、僕は帰る」 「ご、ごめんね」 「よければ瀬田くんの連絡先をおしえてくれ。また話したい」 「えっ」 願ってもない申し出に、瀬田はその場で喜びのあまり叫んでしまいそうになった。あの椿が自分の連絡先を訊いてくれるなんて、こんなに幸せなことがあっていいのか。すぐにでも携帯を取り出して番号を交換しようとしたが、一瞬萩岡の顔がちらついて手が止まる。 しかし目の前の椿を見て、断るという選択肢など持てるはずもなかった。 その後、瀬田と椿は結構頻繁にメールをやり取りするようになった。当たり障りのない会話だけで椿の家の事も萩岡の事もお互いに触れることはなかった。 瀬田は萩岡を裏切っているようで少し心苦しかったが、それを差し引いても憧れの椿と親しくなる事ができて幸せだった。 椿に憧れている生徒なんて瀬田以外にもたくさんいる。なぜ椿が自分のことを気に入ってくれたのかわからないが、瀬田と椿のやり取りは終わることなく続いていた。 そして、その後の瀬田の生活を大きく変える運命の日がやってきた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |