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日がな一日
002


「瀬田ー! 危ないぞー!」

「え──いたっ!」

体育の時間、飛んできたバレーボールが顔に直撃して瀬田はそのまま床に倒れた。心配した杵島が敵陣営から慌てて駆け寄ってくる。

「大丈夫か? 立てる?」

「うん…」

杵島に引っ張られて立ち上がるもめまいがしてよろけてしまう。頭を押さえて顔をしかめる瀬田に体育教師が近づいてきた。

「またお前か、瀬田。ぼーっとしすぎだぞ」

「…すみません、先生」

「いいから、しばらく隅っこで休んでろ」

「はい…」

杵島の肩を借りて、痛む頭を押さえながら体育館の隅まで歩いていく。結局その後の体育を、瀬田は見学することになってしまった。






「あぁ、あれってやっぱ欠席扱いになるのかなぁ…」

「そんなこと気にすんなよ瀬田ぁ。仕方ねーじゃんか」

体操服から制服に着替えて、自分の教室に戻る途中、瀬田は氷の入った袋を頭にあてながらため息をついた。瀬田の着替えは杵島が持ってくれていて、袋ごとぶんぶん振り回されていた。

「先生にまたとか言われてたけど、よくあんの? こういうこと」

「あー、うん。まあね。俺どんくさいから」

「意外だな。瀬田って運動できそうなのに」

それはこれまで何百回と言われた台詞だ。なまじ恵まれた体格なだけに色んなスポーツから勧誘されたことがあるが、あまりに動作が遅いので何度見かけ倒しと揶揄された事か。

「体育はとにかく出席率が大事なんだよ。なのに俺ってば、あれくらいの球よけれないでダウンするなんて…」

「だから一回休んだくらいで気にしすぎ。授業なんか俺何度も遅刻したことあるけど、普通に進級できたぜ」

どんな事情があったかは知らないが、一度高校をやめさせられてる男の言うことなどあまりあてにならない。この学校ではあまり頭がいい方ではないので、瀬田は成績を下げないように必死だった。

「それに今日は遅刻したおかげで、すげぇ可愛い子が見れたしな」

「可愛い子…って、立脇さん?」

「ちげーよ。背丈は平均的だったけど、ハーフみたいなちーっちゃい顔の1年の女子。あんまり美人だったから生徒会の一人かと思ったんだけど、体操服着てたから確かめらんなくて」

「ええ…そんな子いたかな…」

「茶髪だったし化粧も濃かったから、多分生徒会じゃねぇと思う。でも俺的にはゆり子様とか立脇さんよりタイプだったな〜」

「ああ、もしかして化粧の濃いギャルっぽい子の事? それなら多分、生徒会の中村さ──」

「誰がギャルっぽいって?」

「うわああ!」

突然後ろから耳元で声をかけられ飛び上がって驚く瀬田。そこにいたのは水色シャツの茶髪の女子だった。

「おはようございます、瀬田先輩。何ですかその顔、人を化け物みたいに」

「な、中村さん」

「あ、今朝の……瀬田、いま言ってた茶髪のってこの子だぞ」

「今朝…? 一応いっときますけど、この髪は地毛ですから! 生まれつき色素が薄いんです」

杵島の言葉に目の前の1年女子が髪の毛を引っ張って力強く言い切る。彼女に捕まってしまって、瀬田は今日の自分の運の悪さを恨んでいた。

「俺、転校してきたばっかりだからあんたのこと知らなくて、瀬田に聞いてたんだよ」

「ふーん、こっちはあなたの事知ってますけどね。編入生ってマジで珍しいですから。はじめまして、杵島先輩。生徒会1年中村真結美です」

中村真結美、と名乗ったその女子は田中ゆり子に負けず劣らずスカートが短く、くるくる巻いた茶髪にバサバサのつけまつげという、どう見ても生徒会という風貌じゃない姿をしていた。

「杵島先輩は…男に見えます。ってことは瀬田先輩と付き合ってるんですか」

「中村さん!? 何変なこと言ってんの!? 付き合ってないから!」

ありえない質問に瀬田が叫ぶように突っ込む。喚く瀬田に真結美はがっかりしたように呟いた。

「なんだ、残念。ようやく椿先輩の事、諦めてくれたのかと思ったのに」

「……」

「何度でも言いますけど、椿先輩はまゆがもらいますから。男相手には絶対に負けませんから」

中村真結美は入学してすぐ椿に一目惚れし、それ以来彼に猛アタックを続けている。つまり瀬田の恋のライバルだ。
椿礼人はモテるが、その近寄りがたい雰囲気から堂々と彼にベタベタまとわりつく女子は真結美以外にはいない。そのため椿ファンの女子から彼女はゆり子以上に嫌われていた。

「会長ほど完璧で格好いい男子は他にいないですもん。必ず椿先輩を惚れさせてみせます。だから瀬田先輩はさっさと諦めて、そこの眼鏡さんに乗り換えてください」

「ちょっと、杵島くんに失礼だろ」

怒ってないかなとこっそり杵島の様子を窺うと、彼は何がおかしいのか楽しそうに笑っていた。これはこれで不安になってくる。

「椿先輩は優しいからはっきり嫌がれないだけで、本当なら萩岡先輩みたいな反応が正しいんですよ? まゆが生徒会に入ったからには、もう先輩に勝ち目はありません」

「でも中村さん、田中さんに食堂から追い出されてたじゃん。しかもまだ許してもらってないし」

「う……。ゆ、ゆり子先輩にはちゃんと謝って許してもらいます…」

その時の事を思い出したのか、真結美は暗い顔でぼそぼそと呟いた。うるさかった1年は真結美だけではないが、彼女がなりふり構わず椿にまとわりついていたのは確かだ。あのまま放置していたら、遅かれ早かれ不満を持つ生徒は出てきていただろう。

「そんなことより成績ですよー。今のままじゃ絶対生徒会に残れないですもん。下から数えた方が早いなんて…」

瀬田は彼女の順位など知らないが、以前聞いた話ではどうやら来年までに50位以内に入れなければ次の年から生徒会を追い出されてしまうらしい。
毎回、中間、期末考査の順位は点数開示で上位だけ掲示板に張り出される。同じ1年の夏目正路は常に10位以内には入っていたが、彼女の名前は見たことがなかった。

「生徒会云々は置いといて、椿くんの事は諦めた方がいいと思うけど。俺もとっくに諦めてるし……」

「そんなこと言って油断させて、横から椿先輩かっさらうつもりでしょう? その手には乗りませんから!」

「いや、別にそういうわけじゃ──」

「瀬田先輩だけには、絶対に負けませんから! 覚えといてくださいね!」

捨て台詞を残して小走りで走っていってしまう真結美に、ほっと息をつく瀬田。彼女、中村真結美は瀬田がもっとも苦手とする女子で、萩岡よりも田中ゆり子よりも怖い存在だった。

「良かった…やっと行ってくれた…」

「ははっ、俺としては面白かったけど。何でそんなビビってんの? 気は強そうだけど、普通の子じゃん」

「……俺、ギャルが心底苦手で。中村さんに何かされたわけじゃないんだけど」

杵島の言っていることは間違いではないが、人間誰しも理屈抜きに拒絶したくなる存在がある。瀬田の場合、ばっちりメイクの今時女子が何よりも駄目だった。

「何故かすれ違うたびに俺に絡んでくるんだ…。次もしあの子見つけたらこっそりおしえてよ。すぐ逃げるから」

「いや〜、あれは単にお前と話したいんだろ。女子は嫌いな男には、自分から話しかけたりしない生き物なんだぞ。モテるね瀬田クン」

「違うって、中村さんは椿くんが好きで、俺を勝手にライバル扱いしてるだけ」

「でも、それならゆり子様のがよっぽど強敵だろ。あの人も会長に気があるんじゃなかったっけ」

「え? 違う違う、ゆり子様は椿くんの事好きじゃないよ。本人に聞いたから、間違いない」

「マジで? お前が聞いたの?」

以前瀬田が男の椿を好きだという噂が広まった時、ゆり子が直接噂の真偽を確かめにきたことがある。当時の瀬田は彼女も椿が好きだと思っていたので自分の気持ちを素直に認めた。
その時の彼女があまりに呆然としていたので、彼の事は好きだがとっくに諦めていると説明した。しかしゆり子にも同じ質問を返したところ、物凄く嫌そうな顔をして否定されたのだ。
だったらなぜろくに話したことのない瀬田にそんな質問をしてきたのかと思ったが、ただの興味本意だったのかもしれない。それにしてはかなり切羽詰まっているように見えたが。
その事を杵島に説明すると、彼はしたり顔で笑った。

「それってもしかして、椿くんじゃなくてお前の方に気があったんじゃねーの?」

「だからそれはないって。杵島くんってなんでも恋愛に絡めてきて、女子みたい」

「……なんだろ、はじめてお前の発言に本気でイラついたな」

「え!? ごめ……」

「お前なんかムカつくからこうしてやる!! えいっ!」

杵島が瀬田の体操服が入った袋を思いっきり投げ飛ばす。ゴロゴロと廊下を転がっていく袋に瀬田が叫んだ。

「あー! 何すんだよ杵島くん!」

「うるせぇ! この無自覚モテ野郎!」

「こら! 廊下で暴れるな!」

通りがかった先生に怒鳴られ、慌てて謝る瀬田にそ知らぬ顔の杵島。すでに次の授業に遅れそうだった二人は、急いで自分達の教室に戻った。


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