日がな一日
003
その日の二時間目は体育だったので、体操服に着替えて瀬田は杵島と体育館へ向かっていた。体育があまり好きではないらしい杵島は授業が始まる前からやる気無さそうにだらだらと歩いていた。
「瀬田ってさぁ、やっぱ野郎が着替えてるとこ見てドキドキしたりすんの?」
「全っっ然しないよ」
「なーんだ」
なぜかガッカリする杵島にいい加減にしろと心の中で突っ込む。椿が相手ならドキドキす るだろうと思ったが、それを言えばまた面白がって茶化してきそうなので黙っておいた。
「話変わるけど、杵島くんって数学得意?」
「え、なんで」
「いや〜、実は俺苦手で。前は友達が教えてくれて何とか追い付けてたんだけど、2年になってからはもう意味わかんなくて」
「ふーん、瀬田って勉強できそうなのにな。悪いけど、俺アホだから教えられることなんかねぇよ」
「嘘だぁ、だってうちの編入試験って死ぬほど難しいんだよ。アホが入れるわけないじゃん」
「俺、裏口だから」
「うら、ぐち?」
「裏口入学な」
「うらぐちにゅうがく……!?」
たった今衝撃的な暴露をされたのにまるで頭が働かない。それって倫理的にどうなんだとか簡単にバラしていいものなのかという疑問がひたすら頭の中をぐるぐるしている。
「この学校の理事長、俺の叔父さんなんだ。前の学校やめることになって、叔父さんがここに入れてくれた」
「へぇ……ヨカッタネ」
血の滲むような努力をしてここに入学した瀬田にとってはあまり聞きたくない話だった。それよりも何故前の学校をやめることになったのかが気になったが、会ったばかりの人間の内情に踏み込んでいけるほど図々しくはなれなかった。
「てか、それより瀬田って友達いたんだ。そいつに勉強おしえてもらってたんだろ」
「1年の時はね。でも春休み入る直前に俺が男が好きだっていう噂流れちゃって、そっからは一人だったから」
「なんだよ、その友達も薄情な奴だな。お前自身は無害なのに」
瀬田と違って杵島はずけずけと遠慮なく人のデリケートな部分に踏み込んでくる。けれど今の瀬田にとってそれは不愉快なものではなかった。
「それは仕方ないよ、俺が悪いんだもん」
「え、まさか襲ったとか?」
「襲ってない!! 人聞きの悪いこと言うな!」
「冗談だって。瀬田は優しすぎるだろ〜。俺なら噂流した奴らを一人残らず叩きのめして、ついでにその友達も潰すけど」
「そ、その発想はなかったかな……」
「柊二〜!」
杵島の危ない発言に若干引いていると、瀬田の名前を呼びながらやけに目立つ男が前方からやってくる。瀬田の下の名前を呼ぶ男子はこの学校では一人しかいない。
「夏目くん、おはよう」
彼の名前は夏目正路 (まさみち)。瀬田ほどではないが背も高く大人びた雰囲気の美丈夫である。水色シャツを着ていたため彼が生徒会役員であることが杵島にも一目でわかった。
「一ヶ月ぶりだなぁ、夏休み実家に帰っちゃうから会えなくて残念だったよ。元気にしてたか?」
「うん、夏目くんは?」
「おれはまあ相変わらず、かな。……あれ、こいつ誰?」
「えっと、二学期からうちのクラスに転校してきた、杵島くん」
夏目と呼ばれた男が瀬田の隣に視線を移す。紹介された杵島はにっこり笑いながら頭を下げた。
「はじめまして、杵島弘也です。瀬田の友達やってます」
「友達?」
杵島の言葉に目を見開いて驚く夏目。端整な顔をくしゃっと崩して優しい笑顔を見せた。
「柊二友達できたのか、良かったなぁ」
「う、うん」
その表情に一瞬みとれたミーハーな瀬田は照れながら顔をふせる。夏目に笑いかけられるたび、椿といる時ほどではないが心臓が高鳴った。
「でも俺とも遊んでくれよ。メールの返事なかったら泣いちゃうから。杵島、柊二をよろしくな」
部下を励ます上司のような言葉を残し、笑顔で手を振りながら歩いていく夏目。その後ろ姿をキラキラした眼差しで見送る瀬田の横で杵島が呟いた。
「なんだ瀬田、今も友達いんじゃん。しかも生徒会だろ、あれ」
「いや、友達ってわけでは…。夏目くんって皆にあんな感じなんだよ。特に俺はいつも一人だから気にかけてくれて」
彼とはじめて話したのは、傘を忘れた彼に頼まれて寮まで送っていった時だ。その時からちょくちょくすれ違うたびに声をかけてくれるようになった。夏目は疎外されている瀬田が放っておけなかったのだろう。瀬田に友達がいないと知り気を使ってメールしてくれたり、 遊びにつれていこうとしてくれた。迷惑をかけるのが嫌で断っているが、正直あんな友達がいたら楽しいだろうとは思う。
「ふーん、あの人って2年? なんか3年ぽいけど」
「いや、夏目くんは1年生だよ」
「1年!? ……留年?」
「ううん、今年から入った1年」
「う、嘘だ! だってあいつ下手したら3年どころか新米教師並みの貫禄あったぞ!? しかもずっとタメ口呼び捨て! 瀬田にも俺にも」
「そういう人なんだよ」
「!?」
夏目正路は、超平等主義で誰にでも分け隔てなく接する。そのため相手が先輩だろうが何だろうが敬語は使わず、常にタメ口らしい。前に萩岡にも敬語を使わずキレられてるところを見て、その徹底ぶりに戦慄したものだ。
「瀬田はそれでいいのかよ」
「いいんじゃない。夏目くん格好良いし」
「お前はほんとそればっかだな……」
呆れた様子の杵島に深いため息をつかれる。夏目がお気にめさなかったのか、新たな生徒会役員に杵島はさらに不満げな顔になっていた。
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