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日がな一日
003


「待って!」

食堂から飛び出した瀬田は、背後から呼び止める声が聞こえて振り返る。そこには先程まで萩岡に絡まれていた杵島弘也が息を切らせながら立っていた。どうやら瀬田を追いかけてきたらしい。

「ありがとう、助かったよ。確かうちのクラスの人だよな。俺の斜め前くらいに座ってる」

上機嫌で話しかけてくる転入生を、瀬田はこの時初めてまともに見た。杵島は長めの黒髪に黒縁メガネ、体型は中肉中背で、すれ違っただけでは二秒で忘れるであろう印象の薄い男だ。メガネをはずして髪型を変えられたら絶対に見つけられない自信がある。

「えっと、知ってるかもだけど俺、杵島弘也。弘也でいーぜ。名前きいてもいい?」

「…瀬田」

「瀬田か。よし、覚えた。瀬田って目立つから、実は顔はもう覚えてたんだけどな」

にこにこと笑ってくる杵島がふと何か気づいたようにこちらを仰視する。見られることが苦手な瀬田は視線をそらして一歩引いたが、相手はよりいっそう顔を近づけて考え込んでいた。

「何か見覚えあるんだよな……俺達どっかであったことある? この学校以外で」

「ないよ。会ったことなんかない」

即答するも杵島は納得していないのか顔をしかめたままだったが、すぐに諦めて人懐っこい笑みを浮かべながら瀬田にさらに近づいてきた。

「なあ瀬田、なんかお礼させてくれよ。好きなもの奢ってやるし」

「いい、いらないから。てかもう俺に話しかけないで」

「えっ、なんで」

「…俺と話してたら、杵島くんまで友達できなくなるし」

「? どゆこと??」

人通りがあまりない廊下とはいえ杵島とこれ以上談笑しているわけにはいかない。杵島は知らないだろうが、瀬田は転入生と気軽に話せるような立場ではないのだ。

「…すぐにわかるよ。じゃあ、俺はこれで」

唖然とする杵島を置いて足早に歩き出す。彼も事情を知れば瀬田と話したいとは思わないだろう。だからこれは杵島のためでもあるのだ。

「待てって! よくわかんねぇけど、お礼くらいさせてくれよ」

「別にいいってば。あんなのたいしたことじゃないし」

「たいしたことだろ。……だって、瀬田以外誰も助けてくれなかったんだから」

杵島の言葉に瀬田は静かにため息をついた。瀬田にとっては、自分のした事はけして褒められたものじゃなかったからだ。

「それは当たり前だよ。萩岡くんに反抗するなんてあり得ない。例え向こうが間違ってたって謝るしかないんだ。それがこの学校の常識なんだから」

「じゃあ何で瀬田は助けてくれたんだよ」

「それは…」

理由を聞かれて初めて、そんなものがない事に気がついた。考える間もなく体が動いていたのだ。彼を助けるのが自分の役目だとなぜか思い込んでいた。

「俺は、萩岡くんにとっくに嫌われてるから。だから別にもう…どうでもいいっていうか…」

「ええ? 何で嫌われてんの?」

杵島は遠慮という言葉を知らないのか何でもかんでもズケズケと訊いてくる。これ以上彼と一緒にいない方がいい。色々な意味で。

「すぐにわかるよ。だからそれまで俺と関わらないで」

「えっ、ちょっと瀬田!」

今度は呼び止められても振り返らない。面倒な男と関わってしまったことに後悔しながら瀬田は走って杵島から逃げ出した。


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