日がな一日
002
「柊二、行こう」
残された夏目は、瀬田の手を取って外へと向かう。孝太がそれを止めようとしたが、弘也に腕を掴まれた。
「何だよ杵島」
「俺らはやれることはやったんだから、もういいだろ。お前らが決着つけることと、アイツらのことは別なんだから」
弘也に行けと目で合図され、瀬田は口の動きだけで礼を言った。夏目があまりにも早足なので若干引きずられるように進みながら部屋を出る。瀬田は恐る恐る夏目の様子を窺った。
無言で廊下を突き進む彼の表情は見えない。沈黙が怖くてそっと彼に声をかけた。
「あの……夏目くん」
呼び止められて、夏目が足を止める。瀬田の腕を掴む力が強い。怒っているのか嘆いているのか、呆れてしまったのかもしれない。
「……俺、有り得ないよな」
付き合ってもいない相手、しかも二人と身体の関係を持ってしまって、それが顔が格好いいからという理由だなんて、なんて馬鹿なんだろうか。瀬田自身が自分に嫌気が差す。
「幻滅されてもおかしくないし、本当、こんなんでごめん……」
「柊二に幻滅なんかするわけないだろ! 嫌なこと…言うなよ」
少し強い口調で叱られて言葉に詰まる。身体を強ばらせて硬直していると、夏目が怖い顔をしている事に気がついた。
「ただ……あいつら殺してやりたくなっただけだ。あのクソ野郎共、絶対許さねぇ」
夏目の本性を知ってもなお、そんな言葉は夏目に似合わない気がした。そして彼が何か早まったことをする前に止めなければと思ったが、ここで二人を庇うとさらに夏目を逆上させてしまいそうだ。
「あの場で殴り飛ばしても良かったけど、あんな奴ら、いつでもどうにでもできるし……それより、二人で話したかった」
昔、塾で一緒だった少年とわかってからは、とても大人に見えた夏目がなんとなく幼く見えた。ほんの少しだが面影もある気がする。しょんぼりした顔を見ると可愛く思えてくるから不思議だ。
「文化祭、せっかくだから一緒に見て回ろうと思ってたけど、今は二人になれるとこに行きたい」
夏目の言葉に瀬田は頷いた。彼は人気者だから、歩き回っていては二人になどなれないだろう。瀬田は手を引かれるまま夏目の後についていった。
お昼がまだだったので、屋台で売っていたフランクフルトを買って食べながら寮へ向かった。校内に流れるBGMがここからでも微かに聴こえてくる。再び夏目の部屋の前まできた瀬田は、緊張しながら口数の少なくなった夏目の様子を窺っていた。
「柊二、入って」
前に来た時と何も変わらない夏目の部屋。しかし今回通されたのは前の和室ではなく寝室だった。薄暗い部屋のカーテンを開き、室内に光が差し込む。外は清々しい程の晴天で絶好の文化祭日和だ。
八畳ほどの部屋にはセミダブルのベッド、そして本棚が置いてあった。夏目に手を引かれ、ベッドの上に彼と共に座る。窓は閉めきっているので、外からの音は聞こえない。
「ここは特に、誰も入れられない場所なんだ。俺の秘密があるから」
「……?」
夏目は本棚からアルバムを取り出すと、中から1枚の写真を取り出し瀬田に見せた。そこには幼い頃の、昔懐かしい姿をした夏目が写っていた。
「これって……」
「昔の俺の写真。戒め的な意味でこれ持ってんだけど、見るに耐えなくてさぁ。この顔、見覚えないかな」
落ちそうな頬に垂れた唇。まん丸なその姿が懐かしすぎて思わず笑ってしまいそうだった。あの時、夏目と過ごした日々がよみがえってくる。
「すげぇ太ってたからわからなくても仕方ないけど、昔、柊二と会ったことがあるんだよ」
「知ってる。塾で一緒だったろ」
面食らった表情の夏目につい笑ってしまう。嫌われたと思っていたあの少年が夏目だったことが瀬田は嬉しかった。
「……気づいてたのか?」
「いや、格好良くなってるから全然わかんなかったよ。言ってくれたら良かったのに」
「言いたくなかった。だって、そんな姿してた俺じゃ惚れてくんないだろ。柊二、面食いだし」
「なんだよそれ。俺を振ったのは夏目くんの方じゃんか。お別れの日、連絡先おしえてくれなかったのに」
瀬田が夏目の事を忘れかけていたのはそれが原因の一つでもある。ショックだった出来事を無意識的になかったことにしようとしていたのだ。
「あれは……ごめん。俺が悪かった」
瀬田が思う以上に夏目は昔の事を後悔していた。瀬田と並んで座り、手を重ねる。しゅんとした表情の夏目に慌てて首を振った。
「い、いいんだよ。そんな…昔の事なんだから。小学生だったんだし」
「俺はあの時、学校でいじめられてたんだ。それを瀬田くんに知られて、恥ずかしくて……。そんな下らない理由で逃げて、ずっと後悔してた」
「……瀬田くん?」
「あ」
突然、呼び方が変わったので思わず聞き返す。瀬田に指摘されると夏目は手で顔を覆って呻いた。
「この学校に来るまで、ずっと瀬田くんって呼んでたから……心の中で」
「心の中?」
夏目は再びアルバムを手にすると、違う写真を取り出す。彼が大切に持ちわたしてきたのは中学生の瀬田の時の瀬田だった。
「……地元にいた時の俺だ。これ、どうしたの?」
「ネットで知り合った他の柊二ファンの人に譲ってもらった。多分盗撮写真だろうと思うんだけど、勝手にごめん」
「いや……いいよ。それよりも俺のファン? って何?」
瀬田も椿相手に似たようなことをしているので夏目を責められない。自分のファンがいるなんて思わなかったので、瀬田の顔は赤くなった。
「ネットで探したら結構いるもんだよ。子役引退したもんだから、数少ない情報を交換したりしてさ。あ、俺達の間では大園律花は有名だぜ。柊二の彼女だって」
「え!? りっちゃんは違うよ! 違うってみんなに言っといて!」
「この学校に入ってから疎遠になってるからなぁ。でも別に俺がわかってたらいいだろ」
絶妙に照れ臭いことを言う夏目に、瀬田はどう言葉を返せばいいかわからなかった。幼い頃の引込み思案だった夏目の姿と、今の学校の人気者になっている姿。そうかと思えば詩音にひどい言葉をぶつけたりして、どれが本当の夏目の性格なのかわからない。けれどそのどれも瀬田が好きだという気持ちは本物で、それさえあれば他に何も求めないと思えた。
「今日までずっと、俺は柊二のこと考えてた。この学校に入ったのも柊二と仲良くなりたかったからだ。全員の名前を呼び捨てにするのも、柊二って名前を自然に呼べるようにするためだからな」
「え、そうだったの?」
「もちろん。誰にでも馴れ馴れしく話しかけてたのは柊二にそうしてもおかしくないようにだし、生徒会に入ったのだって柊二の憧れだった会長にちょっとでも近づけるようにだし」
夏目のこれまでの行動が全部自分のためだったと言われ、瀬田は感極まって夏目を抱き締めた。照れた顔を見られたくなかったのもある。ストーカーだろうが性格が少し乱暴だろうが、瀬田にとって夏目は大事な人だった。
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