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日がな一日
002



その後、夏目は仕方なくたった今来たばかりのふりをして自分の席に戻った。隣にいた瀬田は何事もなかったように笑顔で話しかけてくる。瀬田ならばあんな話を聞いたからといって、今日でもう会うことのない相手にいきなり態度を変えたりはしないだろう。何も知らないふりをして無難にさよならを言う、これが一番正しい道だ。夏目もなるべくいつも通りを装い、瀬田に形だけの笑顔を見せていた。


授業が終わり、夏目は瀬田にお別れを言った。そしてこれまで仲良くしてくれたお礼も。瀬田ともう会えないのは悲しかったが、学校での自分の姿がバレてしまった以上これで良かったのかもしれないと思った。


「夏目くん!」

帰ろうとした矢先、瀬田に呼び止められる。振り向くと瀬田が少し躊躇いがちに携帯電話を出していた。

「あの……俺、今日で最後だから、良かったらアドレスおしえてもらおうかと思って……」

「えっ」

瀬田のまさかの言葉に思わず身が竦む。何故そんなことを聞いてくるのかわからず目が泳いだ。もしかして瀬田は塾をやめてからも、自分と仲良くしたいと思っているのだろうか。あんな話を聞いた後なのに。

「……」

瀬田の優しさに泣きそうになったが、それ以上に情けなかった。いじめを受けていることもそうだが、夏目にとっては瀬田にそれを知られることが何よりつらかったのだ。あの時盗み聞きしていなかったら、瀬田の申し出も快く受け入れただろう。だが可哀想な奴だと思われているとわかった今、ただ話しているだけでもつらかった。

「俺……携帯、持ってなくて……」

「あ、そうか。なら家の番号でも…」

「ごめん、俺、急いでるから…っ」

「あっ」

瀬田にこれ以上何か言われる前に、夏目は走り出した。自分で選んだことなのに、悲しくて涙が出そうだ。唯一の友達で、憧れの存在だった瀬田から逃げなければならない自分が惨めだった。でも、どうしてもこれ以上瀬田の隣にいられる自信がなかったのだ。



そして、瀬田と夏目の時間は終わった。本当に短い期間だった。長い人生の中の、短い幸せな時間。そして苦い思い出。瀬田がいなくなってからの夏目は塾でも誰とも関わることなく、勉強に取り組むだけの時間となった。

もう瀬田のことは夢だったと思って忘れよう、そう思っていた矢先のこと、授業が始まるまでの間自習をしていた時に、突然誰かに話しかけられた。

「なあ、夏目くん」

「えっ」

ここでも友達のいない夏目にとって、もちろん一度も話したことのない相手だった。見覚えがあると思ったら、前に瀬田に話しかけていた男子だ。夏目の嫌な噂を瀬田に吹き込んだ張本人でもある。もちろん夏目にとってはある種のトラウマだ。

「な、なに……」

「夏目くんって、まだ瀬田くんと会ってたりすんの?」

「えっ、……会って、ないけど」

「連絡先とかは?」

「しらない……」

「ふーん」

あんなことがあったものだから、いつも以上にぼそぼそとした話し方になってしまう。挙動不審な夏目に、その男子は眉間に皺を寄せて離れていった。

なぜ相手が突然話しかけてきたのかわからず、平常心を取り戻すのが難しかった。彼は夏目の学校での扱いを知っているのだ。もしかしたらここでも嫌なことを言われたりするのだろうかと夏目は怖くなった。

「お前、何であいつに話しかけてんの?」

「いや、瀬田くんのアドレスとかわかんないかなーっと思って」

先ほどの男子の声が衝立越しに聞こえてくる。悪意はなかったらしいのを知ってほっとした。

「あー、やっぱあの時に聞いとけば良かった。瀬田くんと知り合いだったら何か自慢できんじゃん」

「あいつは知らないだろ、そんなの。仲良かったのだって隣の席だったからだろうし」

「だよなぁ。瀬田くんはあいつと話すの楽しいとか言ってたけど、俺は無理っぽいわ」

二人の笑い声を聞きながら、夏目は悄然としていた。自分と話すのが楽しいなんて、瀬田がそんなことを言っていたとは知らなかった。夏目が逃げ出したときの瀬田のショックを受けた顔を今になって思い出す。
今になって、あの時瀬田を拒絶した事をとても後悔した。瀬田は夏目がいじめられていようが、そんなことは関係なしに友達でいようとしてくれていた。周りの評価など関係なしに夏目を見てくれていたのだ。

(……わかっていたのに、俺は自分で瀬田くんから離れた。俺は本物の馬鹿だ……。)

この息苦しい世界から、いつだって逃げ出したかった。けれど退路を塞いでいたのは他ならぬ自分自身だった。あの時もし、瀬田に番号をおしえていたらずっと友人でいられたかもしれない。向こうからきいてくれたのだから、ただ連絡先をおしえるだけで良かったのに。

その時の後悔を、夏目はずっと忘れられなかった。瀬田にもう一度会って謝りたかった。しかし彼と連絡をとる手段はもうない。通っている学校がわかっているのだから会いに行けないこともないが、それは何の解決にもならないことを夏目は知っていた。
あの時、瀬田を拒絶したのは自分に自身がなかったからだ。自分が嫌いで嫌いで、そんな自分をこれ以上瀬田に見てほしくなかった。
ならばそんな自分自身をまず変えていかなければならない。瀬田と会うのはそれからだ。

自分を変えるというのは口で言うのは簡単でも、実際に行うのはとてつもなく難しいことだった。まずはこの見た目を変えようと自分を鍛えることから始めた。母親に頼んでスポーツジムに通い、中学に入ってからは厳しいと噂の空手部に入った。何をやっても情けない思いをすることがわかっていたので、今まではそういったものからずっと逃げていたのだ。この行動はすべて、もう一度瀬田に会いたいがためにできたことだった。

ひとまずの夏目の目標は、瀬田と同じ高校に入ることだった。中学は無理でも、高校なら努力次第で同じところに通える。だからこそ夏目は勉強にも力を注いだ。
勉強と部活を優先してばかりいたが、ずっと瀬田のことはネットで調べていた。元有名子役なだけに、瀬田の情報はわりと容易く手に入れられた。
この辺りの地域の学生が集まる掲示板ではよく瀬田の話題が出た。その大半はなぜか悪口で、性格が悪いとか不良だから友達がいないとか根も葉もない噂話だった。夏目は彼と何年も会っていなくとも、そんな話はいっさい信じなかった。彼女がいるのに他の女に手を出したとか、勉強も運動もできない顔だけの男だとか好き勝手に言われていることに憤りを感じていた。

他の部員が次々とやめていく中、部活で徹底的にしごかれた夏目の身体はどんどん引き締まって筋肉もついていた。身長もどんどんのびて小学生の時とはまるで別人だった。相変わらず人と会話をすることは苦手だったが、いつか瀬田に会ったとき堂々としていたいとそこからも絶対に逃げなかった。なるべく積極的に人と関わるようにしていたが、突然触れられる事だけは苦手なままだった。

その間も、夏目はずっと瀬田の非公式のファンサイトで情報を仕入れていた。地元の女子中学生が中心となってできたサイトで、そこでは彼の盗撮写真が出回っていた。せめて写真でだけでも瀬田の姿を見ていたいと夏目はその画像をひとつ残らずダウンロードしていた。実際に印刷してアルバムまで作る信者っぷりで、そこの瀬田のファンの子達とはネットの中ではあるがとても仲良くなっていた。

三年生になり、そのサイトで瀬田が他県の有名な私立の進学校に入ったことを知り、その瞬間から夏目の志望校はそこになった。全寮制のセレブ高に入ることを両親は驚いていたが、夏目の熱意に負けて入学を許してくれた。いよいよ本物の瀬田に会えると思ったら、勉強など苦ではなかった。

常に成績上位だった夏目は危なげなく受験に合格し、両親を喜ばせた。入学前から夏目の頭にはどうやって瀬田と親しくなるかということしかなかった。他県に行ってしまってから瀬田の情報は殆どなかったが、きっと人気者になっているだろうから近づくのは難しいかもしれない。同じ部活でも委員会でも何でもいい。昔のことを詫びるために話しかけに行っても良い。それくらいできる自信がこの時の夏目には備わっていた。


しかしいざ入学してみると、そこでの瀬田の扱いは信じられないものだった。瀬田は有名人だったが、それは元子役だからではない。男相手に告白してフラれたゲイとして、周りから距離を置かれていたのだ。
何かの間違いかと思い調べたが、どうやらそれは本当らしかった。そしてそこで一気に、夏目の瀬田を見る目が変わってしまった。もちろん侮蔑的な意味ではない。これまで夏目はただ純粋に、昔の後悔を取り戻すため瀬田と再び友達になりたかった。あわよくば瀬田の一番の親友になれたらとも思っていた。しかし瀬田が男を好きになるとわかった瞬間から、自分のことを好きになってほしいと思ってしまったのだ。
夏目は男を恋愛対象に見たことはない。しかし昔からのトラウマでどんなに人と関わろうとも人間嫌いは変わっていなかった。そこには当然女子も含まれていて恋など当然したことはなかった。
しかし本物の瀬田を見ていると、もはや親友などという関係では物足りなかった。誰よりも瀬田の近くにいて彼を幸せにしてあげたかった。その感情は恋というよりは愛と呼ぶ方が相応しいだろうが、瀬田を性的対象とするのは簡単で、むしろ瀬田以外にはそんな気にはとてもなれなかった。

夏目は瀬田に近づくために必死に努力したが、それは自分を変えること以上に難しかった。学年の違いというものがここまで距離を持つ事は予想外だった。瀬田は部活にも入っていない上に、修学旅行委員などという活動もろくにない委員会に所属していた。瀬田を恋人にしたいと思う前は、塾で一緒だった夏目正路として話しかけようと思っていたが今ではそれもできない。
なぜなら、瀬田が告白してフラれたという相手がこの学校の生徒会長、椿礼人だったからだ。
彼は見た目も成績も人望も、そのすべてがパーフェクトで、並みの人間なら恋慕することすら躊躇われる相手だ。瀬田に恋愛対象として見てもらうためには、夏目はどうしても椿礼人のスペックに近づく必要があった。かつていじめられていた夏目正路では、瀬田の親友にはなれても恋人にはなれないだろう。瀬田には昔の夏目正路を忘れてもらって、格好いいと思える存在になりたかった。

瀬田とさえ仲良くなれれば他の人間はどうでも良かったが、そうも言ってられなくなった。次期生徒会長と目された椿に少しでも近づくため、必死で愛想を振り撒いた。すでに平均以上の見た目になっていた夏目は、誰にでも平等で気さくに接することで自分の地位を確立していった。そのキャラをいかして、瀬田と接点を持つこともできた。実際に生徒会に入ると予想以上に自意識過剰な人間ばかりでうんざりしたが、一人部屋の確保と瀬田の恋人になるためだと思えば頑張れた。

いつか自分があんな孤独な生活から瀬田を救いだしてみせる。夏目の意気込みは、転校生の杵島弘也の存在によって打ち砕かれることになる。

彼は瀬田のよからぬ噂を気にすることもなく、みるみるうちに距離を縮めていった。瀬田をとても気に入ったのか、他の人間には目もくれず瀬田の側にいたがった。

当然、最初は自分の役目を横取りされたと杵島弘也に嫉妬もした。しかしそれは彼の横で楽しそうに笑う瀬田を見るまでだった。
学年の違う夏目はどうしてもそれができなかった。プライベートで彼の支えになることはできても、学校の中で常に側にいることはできない。校内で一人でいる瀬田を見るたび夏目はどうしようもなく悲しくなった。それを変えてくれた弘也に、夏目は嫉妬以上に感謝していた。学校に瀬田の居場所ができたことが嬉しかった。あんな生活は瀬田には似合わない。瀬田の幸せこそが、今の夏目の本当の望みだった。


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