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日がな一日
夏目くんは性格が悪い





昔はいつでもどこにいても、逃げ出したくて仕方なかった。だが逃げ込むあてがあるわけでもなく、この先にそれが見つかる希望もない。

夏目正路、小学五年生。これといった取り柄もなく、食べることを趣味にしていたら物心ついたときには太っていた。内向的でどんくさくて、もともと同級生からはバカにされる対象だったが学校での扱いは年々酷くなっている。担任教師が何度かやめさせようとしていたが、そのたびに晒し者になるだけで根本的解決にはならなかった。
いつしか夏目が触れたものは何でもバイ菌扱いされ、夏目と身体がぶつかろうものなら皆本気で嫌がり避けられる日々を送っていた。

最初はなぜそんなことになるのかわからず、ただただ悲しかったが、いつかはこんな生活が変わると信じていた。しかし時間をかけて自分がいかに価値のない人間か思い知らされ、ようやく気がついた。
このどうしようもない状況を作り出したのは他でもない自分自身だ。何の取り柄もなく、おまけに性格も暗くて卑屈で、いいところなど何一つない。だからきっとこれからどこにいこうと、取り巻く環境は変わらないのだろうと思った。

逃げ出したいのに、行き先が見つからない。自分の人生は永遠に同じように進み、浮上することなく死んでいく。これからくる絶望的な未来をただ待つだけの時を、幼い夏目はただ漫然と過ごしていた。



しかしそんなどうしようもない人生にも、素晴らしい出来事は起こる。何もないならせめて悪くはなりたくないと、勉強に没頭することに決めた夏目は親に頼み、個別指導の塾に通わせてもらうことになった。個別といっても一対一ではなく、教師一人に対して二人の生徒を受け持つ形式だ。よって生徒が同じ学年、同じ教科である必要はなかった。

集団に属するのが苦手な夏目でもこれならばと思い、勇気を出して入ったがそこで担当となった先生に紹介されたの隣の席の生徒は、いつも画面越しに見ていた憧れの存在だった。



「はじめまして、瀬田です」

挨拶されただけなのに息が止まるかと思うような衝撃で、返そうと思った挨拶は言葉にならなかった。夏目は現実逃避の一環で漫画やテレビ、本などに没頭していたが、数年前、好きだった探偵もののドラマの主役を演じていた瀬田柊二が目の前にいたのだ。

「夏目くんはここに通いだしたばかりなんだ。ひとつ年下だけど、色々おしえてやってくれよな」

「はい先生」

講師の言葉など殆んど聞いていなかった。彼はテレビで見ていた姿より成長しているものの、実物の方が何倍も格好良かった。少し大人になった彼は、クールな役柄ではめったに見せなかった笑顔を夏目に向けてくる。

あのドラマ以来、彼をテレビで見たことはない。子役は引退したらしいと噂で聞いた。この中途半端な田舎町では有名人だったので、彼の住むマンションらこの辺りの人間ならだいたいわかっていたし、彼を実際に見たことのあるクラスメートも何人かいた。夏目ももしかするとどこかで偶然すれ違ったりするかもしれないと妄想したこともある。

それがまさか、こんな形で会うことになるなんて。一生ぶんのツキを使ってしまっただろうがそれでもかまわないと、夏目は生まれてはじめて神様に感謝した。

とはいうものの、ここは塾で二人の間には勉強をみてくれる先生がいる。何の面白味もない自分と瀬田が仲良くなれるとは思っていなかった。瀬田がここでも有名人で周りの生徒達も彼に話しかけたがっているのはすぐわかった。ただ瀬田の一番近くで彼の声を聞き、姿をみられるだけで十分だと思った。

しかし意外にも、瀬田はよく夏目に話しかけてきた。夏目が持ち込んだ漫画を読んで、話しかけなくても良いオーラを出しているにも関わらずだ。先生が来る前だけでなく、例え勉強中でも先生を交えて三人で話した。はじめはドキドキしてまともに返せなかった返事も、少しずつ慣れて会話になっていった。何度見ても格好良い瀬田は面倒見のいい兄のようで、いつでも夏目に優しかった。

つらい学校生活に変化はなかったが、夏目はこの時間こうやって過ごせることが幸せだった。週に二回たった二時間、瀬田が隣にいて自分に笑いかけてくれる。嫌な顔もせず気さくに接してくれる。
以前自分の小さな逃げ道だったものが、突然実体化して目の前に現れたのだ。夏目にとってそれはつらいだけの生活の救いでもあった。

一度、肩に瀬田の手が触れそうになり、思わず振り払ってしまったことがある。彼は驚いていたが、挙動不審になりながらも触られるのが苦手なのだと伝えると、それ以上何も追求することなく気を付けるとだけ言って笑ってくれた。

学校では誰も夏目に触れようとしないし近づいてもこない。夏目に触れたら汚れると皆がいう。それでつい瀬田を拒絶してしまったが、本当は嫌なんかじゃなかった。嬉しかったのだ。
どんなに嫌なことがあっても毎週あの時間には彼と会える。自分を蔑むクラスメートは誰も知らない秘密の時間だと思うとそれだけで気分が浮上した。

しかしその幸せは長くは続かなかった。瀬田は中学に上がるのを機に塾をやめることになったのだ。

「母親がパートの時間増やしたから、俺の送り迎えできなくなってさ。もっと近場の塾にするしかなくて」

明るく言いながらも瀬田は悲しそうだった。長い付き合いらしい先生も寂しそうにしていたが、夏目はそれ以上にショックを受けていた。その日の授業はまったく身に入らず、瀬田に話しかけられても上の空だった。
もう少しで瀬田と会えなくなる。そう思うと涙が出そうになるくらい悲しかった。夏目にとって瀬田は憧れの存在であり、唯一友人といってもいい相手だった。どうすればいいかわからず何もできないまま時間ばかりが過ぎ、あっという間に瀬田が塾に来る最後の日となった。


あれから夏目は少しでも瀬田と一緒にいたくて早めに塾に来るようになった。瀬田が来る時間は変わらないのでたくさん話せる訳ではないが、例え数分でも長く彼を見ていたかった。
その日も夏目は早く来ていたので、近くの自習スペースで勉強をしていた。しばらくして時間になり、前の時間の生徒達が次々に立ち上がり部屋を出ていく。

「あっ、瀬田くん」

誰かが瀬田の名前を呼び思わず振り返ると、来たばかりの瀬田が何人かの男子に囲まれていた。

「瀬田くん今日でここやめるってほんと?」

「うん」

「えー、残念」

いつも夏目と話しているので気づかなかったが、瀬田には他にもここに友達がいたらしい。彼らに囲まれた瀬田に話しかけることができず、夏目は座ったまま小さくなって聞き耳を立てていた。幸い簡単な仕切りがあるので向こうからは夏目が見えていなかった。

「うちの母親が瀬田くんのファンで、迎えに来る時いっつも瀬田くんどこってきかれてさぁ」

「俺も俺も。瀬田くんに話しかけろってうるさくって。でも瀬田くんっていっつも隣のやつ? ばっかと話してたじゃん」

「夏目くん?」

「そう、そいつ」

自分の名前が突然出てきて夏目の心拍数がはね上がる。彼らは席についた夏目を囲むように話を続けていた。

「俺の弟、あいつの学校に友達いてそいつから聞いた話なんだけど、あいつ学校ではかなりキモがられてるらしいぜ」

「マジで? 何かわかる気もするけど」

その名前も知らない男子達の言葉に俺は息が止まりそうになるくらいショックを受けた。誰も自分を知る人はいないと思ってここに通っていたのに世間は狭い。よりによって、一番知られたくない人に最後の最後で知られてしまうなんて。瀬田は驚いたように彼らに尋ねていた。

「……そうなの? 何で?」

「あんまよくは聞いてないけど、全然しゃべらないし何考えてるかわかんねぇんだって」

「確かに何か見るからに暗そうだもんな〜」

これ以上聞きたくないのに、彼らの声はしっかり届いてくる。この話を聞いて瀬田はどう思っただろうか。やっぱり、そうだろうなと納得しているかも。瀬田は優しいから、可哀想だと同情して話しかけてくれるかもしれない。

瀬田がどう答えるのか聞きたくないし、自分がここにいることも知られたくない。
夏目は素早くノートや教科書をしまうと、彼らがこちらを向いていないうちに静かに部屋を飛び出した。


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