「愛してる」を全力で
002
「安曇……さん?」
恐る恐る呼びかけると、彼はチッと舌打ちして掴んでいた男から手を離す。……って舌打ち? いま舌打ちした?
「くそ……もういい。わかったらさっさと行け。二度と九ヶ島に近づくなよ」
「ひぃ! ごめんなさい!」
ほんとにあの天使から出ているのかと思うほど低く冷たい声に、俺は胸ぐらを捕まれていた男以上にビビっていた。安曇に睨まれたその生徒は情けない声をあげて逃げていくが、安曇はその後ろ姿を白けた目で見ている。普段の彼とは180度違うその態度に、俺の頭の中は真っ白だ。
「で、僕に何か用?」
「いや、用というか……」
用ならもちろんあるが、それはあくまで俺の優しくて健気な安曇悠人にだ。こんな他人の胸ぐら掴み上げているような男にではない。
「ほ、ほんとに安曇なのか?」
「当たり前だろ。ずっと付きまとってたくせに、顔も忘れたのか?」
つっけんどんな物言いに少々立ち眩みが。昨日見た優しい笑顔が嘘のような冷めた表情だ。
「あの……今いったい何をして……」
「何でそんなことあんたに言わなきゃならない。関係ないだろ」
「……」
端から見れば、ごくごく普通の男子生徒を脅していたように感じたのだが。しかし、安曇はさっき九ヶ島の名を口にしていなかっただろうか。
「九ヶ島に何か関係があるのか?」
「……しつこいな、アンタも」
帰れとばかりに俺を睨み付ける安曇。しかし俺がてこでも動かないことがわかると、諦めたように深くため息をついた。
「九ヶ島に近づく野郎を追い払ってたんだよ。あいつ、九ヶ島に告白しようとしてたから」
「追い払う?」
安曇がそんなことをしていたこと自体驚きだが、そんな力があったことにもっとびっくりした。俺の中の安曇はか弱い普通の男子で、誰かを暴力で従わせるなんてできないはずなのに。
「上山君はさぁ、僕のこと勘違いしてたんだよね」
俺の思考を読んだのか、困ったような顔をする安曇。すべてを見透かすような視線を向けられ、思わずたじろいでしまう。
「大人しくて、気の弱い奴だって思ってたんだろ? 別に演技してるつもりはないんだけど、どうも他人にはそう見えちゃうらしいんだよな。上山君だって、よく知らない相手には畏まるだろ。それとおんなじ」
「さっきの男、なんか脅してたように見えたんだけど…」
「そうだよ。あいつ、九ヶ島に告白しようとしてたから、調子に乗んなって忠告してやったんだ」
「……」
「なんだよその顔。こう見えて僕、結構強いんだよ。昨日みたいに数人相手じゃどうしようもないけど、タイマンだったらまず負けない」
「……」
今までの安曇の姿が俺の中でガラガラと崩れ落ちていく。そして同時に俺に暴力をふるった女共と安曇が重なった。嫌だ、こんなの俺が好きだった安曇じゃない。
「い、いつもこんなことしてるのか? 九ヶ島に告ろうとしただけで、こんな……」
目を白黒させながら訪ねる俺を見て、安曇が鼻で笑う。そして俺の胸ぐらを掴み上げ、鋭い目付きで俺を睨んだ。
「誤解させたんなら悪いけど、僕はもとからこんな性格なんだ。勝手に幻想抱いて勝手に幻滅しないでくれる? すっげー迷惑」
「…う」
この時点で脳内キャパシティーをとっくに超えていた俺は安曇の手から逃れ後ずさる。フラれた時以上の衝撃に、俺は涙を必死にこらえて安曇から、この場から逃げ出した。
「………」
「ど、どうしたんだ千昭…」
教室に帰ってきて早々、亡霊のように立ち尽くす俺を見て光晴が不安そうに声をかけてくる。優しい友人の声に俺はもう辛抱たまらなかった。
「う、ぅっ、うああああ」
「!?」
先ほどの安曇の姿を振り払うように俺は光晴にすがり付く。俺の長年の恋が一瞬にして散った瞬間だった。
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