「愛してる」を全力で 006 帰り際、下駄箱の近くで何やら困った表情で友人と話す安曇と会った。 話を聞くとどうやらその友達に用事ができてしまい、一緒に下校できなくなってしまったらしい。これ幸いと、俺が自分と帰らないかと安曇を誘ってみると、二つ返事で了承してくれた。 そういうわけで、俺は安曇と二人っきりで下校する、というかなりの幸運に恵まれることとなった。 「千昭が誘ってくれて良かった。あやうく帰れないところだったよ。ありがとう」 俺の隣を歩く安曇が天使の笑顔でお礼の言葉を口にする。友人となってからは敵愾心を持たれることもなくなったため、時々彼のあの口の悪さを忘れそうになってしまう。 「帰れないって、何で?」 「九ヶ島に1人で帰るなって言われてるからさ」 「九ヶ島ぁ?」 「僕が学校の外でも襲われるかもしれないって思ってるんだよ。心配しすぎだって言ってるんだけど」 「……」 そう話す安曇は心なしか照れくさそうだ。九ヶ島に心配してもらうのがそんなに嬉しいのだろうか。 しかし学校の外の事まで口を出しているとは、奴が安曇の身を本気で案じている証拠だろう。なんだか本当に安曇に気がないのか疑わしくさえ思えてくる。 「じゃあ安曇、もし俺がいなかったらどうしてたんだよ」 「知り合い探して一緒に帰ってもらうか、九ヶ島に連絡するかのどっちかかな。1人で行動したのがバレたらすごく怒られるし、帰る相手がいない時は遠慮なく呼べって言われてるから」 「すげぇ過保護っぷりだな……。てか、それなら俺むしろ余計なことしちゃったんじゃないか。九ヶ島と帰りたかっただろ?」 「そんなことないよ! 千昭が誘ってくれて良かった」 せっかくの九ヶ島と帰る口実を俺のせいでつぶしてしまったのではないかと思ったのだが、安曇はすぐに首を振って否定してくれる。へらっと笑うその表情になんだか胸の奥がむずむずしたが、無視した。 「九ヶ島の手を煩わせるのは嫌なんだ。それに……」 「それに?」 「九ヶ島、最近元気ないし。多分、久遠と喧嘩でもしたんだと思う。最近全然一緒にいないから」 「それは……」 それは、安曇にとってはチャンスなんじゃないのか。何でそんなに浮かない顔なんだ。 「だったらお前、今こそ九ヶ島誘って相談に乗ってやれば良かったんじゃねえの?」 「いや、本当に誰かが必要な時は呼んでくれてるよ。連絡ないってことはいらないってことだから、九ヶ島が自分から話してくれるまでは何も聞かない」 「いやー…お前、聞き分け良すぎねぇ? 俺が前付き合ってた女なんかさぁ……ああ、いやこれはどうでもいいんだけど」 よみがえる過去の嫌な記憶に再び慌てて蓋をする。あれは俺のトラウマだ。しかし、俺以上に浮気者なはずの九ヶ島には俺と同じような経験はないのだろうか。相手が男なら尚更ありそうなものだが。 「九ヶ島と付き合ってる他の奴も、みんなそんなんなのか? 自分の番が来るのを黙って待ってんのかよ」 「基本的には。中には不満言ってくる奴もいるらしいけど、みんな九ヶ島に一度は振られてるから、そう強くは言えないんじゃない」 「……ふられてる?」 「うん。九ヶ島、告白されたら一回は絶対に断るから。まあ僕の場合は特殊だったから、すぐにオッケーしてもらったんだけど」 「待て待て、だったら何でアイツにあんな恋人がたくさんいるんだよ」 「…いや、それは――」 俺の言葉に困ったような顔をする安曇。辺りをちらちらと窺い、声を潜めて話を続けた。 「…あの人、人の涙にかなり弱いんだよね」 「…………はい?」 「泣かれると駄目っていうか、つい涙ながらに頼まれると断れないんだって」 「いや、なんだよその典型的なモテモテ優男みたいな理由は」 誰も悲しませたくないから全員と付き合っちゃおう、なんて男が現実にいるとは思わなかった。ドラマとか漫画だって、今時めったにお目にかかれないだろう。 「違う違う。そういうんじゃなくてさ、何て言うか……多分、トラウマみたいなものなんだと思う」 「トラウマだぁ?」 「そう。九ヶ島、僕に結構色んなこと話してくれるんだけど……」 安曇の話(正しくは九ヶ島が安曇に話した内容)を、要約するとこうなる。 九ヶ島には年の離れた姉がいる。両親が家をあけることの多かった九ヶ島は半分この姉に育てられた。そのため九ヶ島は随分と姉を慕っていたのだが(俺に言わせればただのシスコンだ)、この姉の彼氏がまた酷い男だった。暴言を吐くわ金を平気で巻き上げるわ、暴力こそ振るわなかったものの男としてかなり最低の部類に入るわけで。当然、九ヶ島はそんな男とは別れろと説得したが、姉は聞く耳を持たない。仕方なく、というかもう我慢の限界だった九ヶ島は彼氏に直談判。姉と別れてくれと頭を下げたが、男は平然と言い捨てた。 『あんな都合のいい女、手放してたまるか』と。 そこでぷっつんきた九ヶ島は男を問答無用で半殺し。男はようやく姉と別れて、めでたしめでたし――となるはずが、男に別れを切り出された姉が、今度は九ヶ島を責め立てた。姉は九ヶ島が思う以上にその男に惚れ込んでいたらしい。幼い九ヶ島の面倒を1人で見て、両親にも誰にも甘えられなかった当時の彼女の心の支えだったのがその彼氏だったのだ。今までどんなにつらい時も九ヶ島の前で涙を見せなかった姉が、この時ばかりは大泣き。大好きな姉に責められたばかりか泣かせてしまった九ヶ島はショックを受け、そのことをずっと悔やんでいる。今では姉との関係もなんとか修復し仲良くやっているそうだが、1年近くまともに口もきいてくれなかったらしい。 「……で、その話が何なんだ?」 「だから、その時からなんだって。人が泣いてるの見てられなくなったの。別に怪我とかで泣きわめいてるのを見ても何とも思わないんだけど、精神的涙、特に恋愛がらみは駄目らしい」 「……マジか」 そういや俺が襲われそうになった時、涙を滲ませてた俺を見て奴はかなり慌てていたっけ。あ、駄目だ。これは思い出しちゃいけない俺の黒歴史だった。 「ここからは僕の考えだけど、酷い男に振られて泣くっていうシチュエーションそのままだから、どうやったって自分の姉と被って罪悪感持っちゃうんじゃないかな。で、泣かれると断りきれない。おかげで九ヶ島に告る奴が増えすぎて、牽制してるこっちが大変なんだけどさ。僕が排除してなかったら九ヶ島、たぶん体がいくつあっても足りないよ」 ということは一応、安曇のあの牽制という名の脅しには意味があったのか。安曇は変なところでヘタレな九ヶ島に代わって、憎まれ役をやっている。そう思えばあの暴挙も少しは理解できる気もしてきた。 最近、安曇と一緒にいて色々話してみたが、どうやら彼が幸せになるためにはやっぱり九ヶ島の存在が必要不可欠らしい。だから安曇の恋が上手くいくように、俺は出来る限りのことをする。それがきっと俺を助けてくれた安曇への恩返しなのだろう。 だがまさかこの次の日に、安曇と九ヶ島、そして俺と安曇の関係が急変する事態が起ころうとは、この時の俺は思ってもみなかった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |