未完成の恋(番外編)
003
それから数日後の昼休み。
俺は久遠の教室でコンビニで朝買ったパンを食べていた。ウチの親は育児放棄か何なのか、3日に1度くらいしか弁当を作ってくれない。おかげで俺はひどい金欠。まわりの連中は何故だか俺が金持ちだと思い込んでいるが、羽振りがいいのはバイトしてるからであって、貧乏ではないがこれといって裕福なわけでもなかった。確かに家は少しデカいが、平均的な一般家庭だと思ってる。
「九ヶ島…また、パン?」
自らも購買で買ったサンドイッチをくわえながら、久遠が俺に尋ねた。
「ああ。でも今日はパンだけじゃねえ。おにぎりもセットだ」
そう言って昆布おにぎりをちらつかせると、久遠は興味なさそうに廊下の窓に目を向けた。
けっ、なんだよ。自分がきいてきたくせに。
いらついた俺がふと目の前の机を見ると、見慣れた紙パックが置いてあった。そこにはポップな字体で『フルーツ・オレ』と書かれてある。
うわー、またこんなもの飲んでるよコイツ。
「なあ、久遠」
「ああ?」
俺は名前を呼ぶと同時に席を立ち、久遠の席を無理やり奪った。落ちそうになる久遠の腰に手を回し自分の膝に座らせる。
「ぅあ! やめろバカ!」
「いいからいいから」
暴れる久遠を無理矢理おさえつける。俺が力で負けるはずがなかった。
あきらめたのか、やっと大人しくなった久遠の耳に俺は口を近づけ、もう一度名前を呼んだ。
「久遠」
「なんだよ」
「それちょーだい」
“それ”とは久遠が毎日のように好んで飲んでいるフルーツ・オレのことだ。コイツも颯太と同じで味覚がおかしい。
「やだ」
きっぱりと拒否される。もちろん俺は本当にそれを飲みたかったわけじゃない。その言葉を待ってたんだ。
「あっそ。じゃあこっちからもらうか」
逃げようとする久遠の顎を強くつかみ無理矢理口づけた。
「んっ…!」
俺の口にさっきまで久遠が飲んでいた例の味が広がるが、気にならなかった。もっと久遠の驚いている顔が見たかったが、本気で嫌がる前に口を離した。
「…な、にすんだよ! こんなとこで、頭おかしいんじゃねえの!」
「悪い悪い、んな怒んなって」
ここは人のいる久遠の教室だ。彼が怒るのも無理はない。だがこのクラスは気を使ってるのかなんなのか、普段のギャラリーのように騒ぐ奴がいない。視線はすごく感じるがそれには慣れっこだ。
けれどその瞬間、このクラスに似つかわしくない、歓声が聞こえた。
「な、何なんだ一体」
思わず立ち上がった俺の耳に男の野太い声がこだまする。もちろん俺達に向けられたものじゃない。
「気にすんな九ヶ島。この時間はいつもこうだ」
この騒ぎに免疫がついてるのか、俺の膝から解放された久遠はしらけた顔で側にあった別の椅子に座った。
「この教室、窓から渡り廊下が見えんだろ。そこを移動教室から帰る1年4組の団体が見えんだよ。毎週、この時間」
「……だから?」
怪訝な顔をした久遠の目が俺を睨んだ。
「知らないのか? 1年の、天谷ひなた。有名だろ。叫んでんのはソイツのファンだよ」
俺は顎に手を当てて記憶の糸を手繰り寄せた。
「あー…、なんか俺のダチが言ってたな。すげえ可愛い1年の淡麗美少年」
「たん…、…なにそれ」
「知るかよ。杉崎にきけ」
杉崎とはその例の1年にはまってる俺のクラスのダチだ。奴がいうことはいつも話半分で聞いてるのでよく覚えてない。
急に視界が暗くなったので顔を上げると、そこに久遠のにやけた面があった。手は俺の両肩にもたれるようにそえてある。
「九ヶ島は見に行かなくていいのか? その1年」
突飛なことを訊かれ、俺は反射的に眉をよせた。
「なんで」
「興味ねえの?」
「まったく」
即答すると同時に久遠の腰を掴んで引き寄せた。バランスを崩した久遠が俺に寄りかかる。
「俺はそんな可愛い男より、お前の方がタイプだ」
耳元でくすぐったいぐらい優しく囁いてやった。久遠は突き飛ばすように慌てて俺から離れる。顔が真っ赤だ。
「な、んだよ…! お前ってほんと口ばっか達者…」
「嘘じゃねえよ」
久遠が信じたかどうかわからないが、俺は久遠のひかえめな容姿も、もちろん内面も、大好きだった。だいたい可愛い奴と付き合いたいんだったら女と付き合えばいい。男に見た目の可愛さを求める方が間違ってる。そんなのは女がいない閉鎖空間に耐えきれなくなった馬鹿な男の考えることだ。俺は違う。
「…まあいいけど。噂の天谷君にはすでに彼氏がいるしな」
「は? そうなの?」
これまたお早いことで。もともとそっちの気のある奴だったのだろうか。
「お前ほんとに何も知らないんだな。相手は同じクラスの木月圭人。四六時中一緒にいんじゃん」
「きづき? へぇー、変な名前」
特に興味もなかった俺はあいまいな相槌をうつ。しかしまあ、四六時中一緒って。そんなの最初のうちだけだろーに。
「………つーかさ九ヶ島、確かお前、今日1年に呼び出されてなかった?」
久遠の言葉に俺は顔面蒼白になった。
「あーーー! 忘れてた!!」
すぐに教室に壁にかかった時計を見ると、指定された時間まで後3分しかない。
「悪い久遠、俺行ってくる! そこにあるパン食っていいから!」
「…はいはい」
俺は呆れ顔の久遠を残し、騒ぐ生徒たちをうまく避け、駆け足で教室を後にした。
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