未完成の恋(番外編)
◆
弟のとんでもない現場を目撃し、ショックのあまり意識を飛ばしてしまった姉を、俺は自分のベッドに寝かせた。俺がどんなに頬を叩いでも肩を揺すって呼びかけても、姉貴が目覚める気配はなかった。
「言ってなかったんだな、お前」
申し訳なさそうにこちらをうかがっていた圭人が、床に腰をおろしながら呟く。言葉足らずではあったが、圭人が何を訊きたいのかはすぐにわかった。
「そんな簡単に言えるかよ、男が好きだなんて」
「学校ではあんな大っぴらなくせに?」
「あそこは特別だ、わかってんだろ。そのためにあの学校に入ったんだからな」
俺は小さく呼吸を繰り返し、静かに眠る姉貴の手を優しく握った。早く目を開けて欲しいと願う一方で、意識が戻った瞬間なにを言われるのかという不安もある。
「姉貴には特に言えねえよ。親よりも長い時間、一緒にいるからな。もし軽蔑されたら立ち直れそうにない」
「……ごめん」
「なんでお前が謝るんだ」
「俺のせいで、お姉さんにバレただろ。しかもこんなことに…」
圭人は相当落ち込んだ顔をしていたが、結果がどうであれ、いつかは告白しなきゃならないと思っていたのだ。ぶっ倒れてしまった姉貴には悪いが、きっかけを作ってくれた圭人には感謝している。今回のことがなければ、俺はいつまでも秘密を打ち明けることはできなかったかもしれない。
「別に圭人のせいじゃねえよ。姉貴にバレたのは俺が……。…っ、悪かった圭人。つい我を忘れてお前を」
「いや、それは別に…」
圭人は信じないかもしれないが、俺は先程までの暴走を心の底から後悔していた。言葉だけじゃなく態度で示すと誓ったはずなのに、もう少しで自分を見失うところだったのだ。
でも、嬉しかった。圭人は俺に少なからず好意を持ってくれている。たとえそれが俺が圭人を想う気持ちの十分の一程度であったとしてもかまわない。俺にとってはそれで十分だ。
もっと好きになってもらうためには、一体どうしたらいいのか。頭の他の部分ではそんなことばかり考えている。人の気を引こうとした経験の少なさが、ここにきて仇となってしまった。
「なんか今日の九ヶ島マジ調子狂うな…。お姉さんホントに大丈夫か? 救急車呼んだ方がいいんじゃ」
殊勝な俺に気まずさを感じつつ、姉の心配をする圭人。こいつはうちの暴君であるこの女を、どこぞのか弱い乙女と思い込んでいるのかもしれない。
「平気平気。倒れた原因はわかってるし、姉貴は見た目よりずっと頑丈だから」
「だとしても……あっ」
圭人の表情につられ振り向くと、姉貴が瞼を震わせているところだった。ゆっくりと開いた瞳に映る俺の顔に気づき、瞳を丸くさせる。
「な、成瀬? ここって…」
「俺の部屋。大丈夫?」
状況が飲み込めていないのかしばらくおろおろしていた姉貴だが、急に動きが止まり食い入るように俺を見つめた。
「……夢?」
その問いかけに、うなずくこともできた。なんのことだとごまかすことも。姉貴はそう言って欲しかったのだろうし、最後のチャンスだったのは確かだ。でも俺はもう、嘘はつきたくなかった。
振り返った俺に圭人が頷く。自分のことを含めて話してもかまわないという合図だろう。
「夢じゃないよ、姉貴。俺は……男しか好きになれないんだ」
唇が震える。心臓の音が相手に伝わってしまいそうなほど、激しく脈打っている。
「う、嘘…」
「こんな嘘つくかよ。今まで黙ってて、ごめん」
勢いに任せて告白したものの、とにかく恐くて恐くて姉貴の反応をうかがう余裕もない。姉貴が俺を突き放すなんてこと有り得ないと信じていながらも、もしかして、という不安を完全に消すことはできなかった。
そんな張り詰めるような空気の中、姉貴がようやく口を開いた。
「男が好きって……女のカッコとか、したいタイプなの?」
「いや、俺は心も体も完全に男だから」
姉貴の的外れな考えがなんだかおかしくて、俺はつい苦笑してしまう。だが相手は、そんな態度が気にくわなかったらしい。
「あんた何笑ってんの! ちょっとはカミングアウトされた身にもなりなさい! おかしいと思ったのよっ。いつまでたっても女っ気はないし、いきなり男子校に行くとか言い出すし!」
がなり立てる姉に肩を強く掴まれ、少し身を引く。俺はいま怒られているのか、責められているのか。どちらにせよ殴られる覚悟をした方がいいかもしれない。
「ああもう! あたしきっと呪われてるんだわ。昔好きだった人もゲイだったし、今度は弟まで! 成瀬、あんたほんとに男が好きなわけ!? こんなかっこいいのに!?」
「あ、ああ」
「もったいない…!」
顔は関係ないし圭人の前でブラコン晒すし、我ながら散々な姉だ。だいたい、もったいないって何なんだ。こいつは女にモテることが男の生きる意味だとでも思っているのだろうか。
とりあえず身構えていた最悪のシナリオは避けられそうだが、今は表面上だけでも認めてもらわなければ俺が困る。姉貴がずっと否定的なままでは圭人が気にするかもしれないし、弟を思うあまり圭人をなじるかもしれない。そんなことになったら大変だ。
焦った俺は、今の姉貴には1番効果的な方法で強引に説得することにした。
「やっぱり、気持ち悪いよな…」
俺の卑屈な言葉に、姉貴が反応する。肩を掴んでいた手の力がゆるみ始めた。
「ごめんな、姉貴」
「な、なんで謝るのよ。気持ち悪いわけないでしょう! 成瀬はあたしの、大事な弟なんだから」
こんなドラマみたいなセリフを叫んでくれるとは思わなかったが、俺を力一杯抱きしめる姉の言葉は胸に染みた。まだ理解してくれたとは思えないが、今の言葉だけは本心だと信じられる。
「男が好きでも関係ない。あたしは何があっても成瀬の味方だからね。困ったことがあったら、すぐに相談するのよ。…──圭人君」
姉貴は俺から離れ、後ろで正座をしていた圭人に向き直る。名前を呼ばれた圭人は慌てて背筋を正した。
「成瀬のこと、お願いね」
勘違いするのも無理はないが、厳密に言えば俺達は付き合っていない。圭人が返事に困る前に、片思いなのだと告げようとした。
けれどしばしの沈黙の後、圭人は姉貴の顔を真っ直ぐ見て、はっきりと言ってくれた。
「…───はい」
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