未完成の恋(番外編)
◇
夕日も沈み外が暗くなり始めた頃、少し早めの夕食を食べ終えた俺達は出来上がったケーキを八等分にカットしていた。ひなたに包丁を持たせるのは恐すぎるから、切るのは主に俺だけなのだが。
「ねえ、圭ちゃん」
「……」
「圭ちゃんってば!」
「…え? あ、ごめんひなた。なに?」
1番大きく切り取れたケーキを、ひなたの小皿に取り分ける。集中していたせいか、はたまた別のことを考えていたせいか、俺はひなたの声に反応できなかった。そんな俺を見て、ひなたはいたく不機嫌になってしまった。
「圭ちゃん、さっきから僕といるのに上の空だよね」
「そ、そんなこと」
「どうせ九ヶ島先輩のことでも考えてたんでしょ」
「ぶっ!」
「…やっぱり」
心の中をズバリ見透かされて、俺は返す言葉もなかった。元はと言えば、ひなたが九ヶ島九ヶ島とうるさかったせいなのに。
「このケーキ、先輩に持っていきなよ。僕ここで待ってるから」
「だから、俺は別に…。せっかくお前といるのに、九ヶ島のとこなんて」
「圭ちゃん」
ひなたのキツい口調に俺は思わず身を堅くした。また、この目だ。俺が絶対逆らえない目。
「気になってるくせに知らんぷりしてる圭ちゃんを見るのは嫌なの。さっさとケーキわたして、そのもやもやを取っ払ったらいいじゃん」
「……」
ひなたは家に持ち帰るため用意していたケーキ用の箱を、鞄から取り出し組み立て始める。まさか、コイツ…
「ほら、この箱使っていいから。これに入れて先輩にわたすだけだよ」
「でも、それはお前の…」
「いま行かなきゃ、絶対あとで後悔する」
ひなたの言葉に、俺ははっとさせられた。後悔…するかもしれない。今日、九ヶ島に会いに行かないことで何かが変わってしまうかもしれない。
「…ひなた、俺やっぱり行ってくる。待っててくれるか?」
頷くひなたに、俺はありがとうと礼をいった。ひなたは俺のことを思って、九ヶ島のもとに行くよう言ってくれたんだ。その気遣いを無駄にしちゃいけない。財布と携帯、そしてひなたが用意してくれたケーキを持って、俺は家を飛び出した。
電車に乗って比較的すぐの場所、高級住宅街の一角に九ヶ島の家はある。一度、九ヶ島に連れてきてもらったことがあるため、俺は迷わずたどり着くことができた。
「相変わらず、でけー家…」
自分のアパートとは比べるのも馬鹿らしくなるその家を見上げながら、俺はぼそりと呟いた。テレビで紹介されてもおかしくない、スタイリッシュなデザインの家だ。こんなところに住めたら、と思わずにはいられない。確か両親は共働きと言っていたが、何の仕事をしているんだろう。
「……はぁ」
インターホンに手を伸ばすも、あと一歩が踏み出せない。もう辺りも暗くなってしまった。事前に何の連絡もなく、いきなり家に押しかけたら迷惑なのではないか。それに、いま九ヶ島に会うのはなんとなく気まずい。
「どちら様?」
突然、後ろから声をかけられ俺は振り向いた。そこにいた女の人を見て、俺は言葉をなくしてしまった。
「もしかして、成瀬の友達?」
「え…」
「あーいきなりごめんね。あたし、成瀬の姉」
「あ、姉!?」
九ヶ島から姉がいることを聞いていたにも関わらず俺が驚いたのは、その容姿だ。一言で表すと、清楚。九ヶ島に似ていないのはもちろんのこと、すごく上品ないいところのお嬢さんって感じだ。弟はあんなにチャラチャラしているというのに。
「木月圭人、っていいます。弟さんとは学校が一緒で…」
「そんなかしこまらなくてもいいよー。ほら、入って入って。成瀬、中にいるから」
「え、ちょ」
九ヶ島の姉は俺の腕をつかみ、慣れた手つきで門を開けずんずんと歩いていく。この強引なところはきっと九ヶ島似だ。
「成瀬の奴ー、17にもなって彼女の1人もいないのよ。しかも外に出る気もないとかで、夕飯作れってあたしを呼び戻したの。どう思う? 枯れてるわよねー」
「はあ…」
笑顔を絶やさずにペラペラとしゃべる九ヶ島の姉さん。どんなに上品そうに見えても、おしゃべりなのは女の人だからだろう。
にしても、九ヶ島に彼女だなんて。奴は俺の知る限り男としか付き合えないはずだ。家族にはカミングアウトしてないのだろうか。
「わざわざ来てくれてありがとね。成瀬、全然学校のこと話さないから。家に友達もほとんど呼ばないし、そのくせ帰りは遅いしで外で何してんだって感じなのよ。さあ、どうぞ入って」
「お邪魔します」
お姉さんにドアを開けてもらい、九ヶ島の家に足を踏み出す。ここまで来たら、もう会うしかない。俺は腹をくくった。
とその瞬間、トコトコと床を走る足音が聞こえ白い中型犬がこちらに向かって走ってきた。
「チャッピー!」
俺の隣で成瀬姉が手を広げ、飛びついてきたわんこを抱き込む。こいつは確か、前回俺が来た時ずっと足元にくっついてきた人懐っこい犬だ。九ヶ島には全っ然懐いてなかったけど。チャッピーって名前だったのか。
「ただいまチャッピー! あたしがいなくて寂しかった? ごめんねっ、成瀬なんかと2人きりにして」
「姉貴ー! 帰ったのか?」
突然、遠くから成瀬の声がして俺はビクついた。姿は見えない。目の前に階段があるから、きっと今の騒ぎを聞いて二階から声を張り上げているのだろう。
「成瀬、あんたの友達来てるよ!」
「はあ? 誰、颯太?」
「違ーう」
「じゃあ追い返して」
「木月圭人君、だって!」
成瀬姉がそう言った瞬間、二階からドドドドという大きな足音がして、スウェット姿の成瀬が階段から転がるようにおりてきた。弟の突然のおかしな行動に、靴を脱ぎかけていたお姉さんの手が止まった。
「圭人…」
「………よう」
チャッピーにじゃれつかれながら、俺は唖然としている九ヶ島に向かって片手をあげた。
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