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未完成の恋(番外編)
015


横にいるのが彼だと気づいたのは、声だけが理由じゃない。いつもの射るような視線、近くにいるせいか普段ほどあからさまではなかったが、確かに俺は木月圭人に見られていた。
颯太なしで木月をこんな間近に感じる機会は今までなかったので、俺はつい彼に目を向けてしまった。そして案の定、俺が木月を見た瞬間、彼はものすごい速さで視線をそらしてしまう。
この男が、俺になんらかの感情を持っていることは確かだ。でもそれが何なのかはわからない。

俺を見たいのなら、別に隠れることないのに。
俺に言いたいことがあるなら、話しかけてくれればいいのに。

ついそう口にしてしまいそうになったが、話したこともない相手にそんなこと言えるわけがない。だいたい用事もないのに初対面の人間に話しかけるなんて、俺はそんなこと一度もしたことなかった。
そのうえ今の木月圭人はかなり不機嫌で、誰も近寄るなといわんばかりのオーラをまとっていた。理由は多分、彼の後ろで小さく縮こまっている天谷ひなただ。

木月の制服の裾をぎゅっと握る天谷は、体を小さくさせて俯いていた。まるで人間が怖いものであるかのように、周りの人の動きに反応して体を震わせている。無理もない。彼は男に襲われかけたんだ。あの日からしばらくたったが、天谷ひなたの心が元に戻るほどの時間ではなかったようだ。
あまりに見ていたせいか、天谷は俺がいることに気がついた。そのまま俺にぺこっと頭を下げるので、俺は彼に笑顔を返した。けれど天谷はなぜか、さらに顔をうずめ木月の背中に隠れてしまう。話しかけようかとも思ったが、隣にいる木月を思うとそれは出来なかった。

「九ヶ島! ひなたちゃんがこんな近くに…」

「わかったから、ちょっと黙ってろ」

小声ではしゃぎだす杉崎を牽制し、俺が再び木月の横顔を見たとき、目の前にどんっと『フルーツ・オレ』とかかれた紙パックが置かれた。たった1つだけ。

「ごめんなさいね、これもう1つしかないのよ」

おばさんは、その俺が颯太に頼まれたフルーツ牛乳を指差してそう言った。確か木月圭人もこれを欲しがっていたはずだ。

普通なら先に頼んだ俺がもらうのが筋だが、俺は別に木月にゆずってやってもいいかと思った。だってこれは俺のじゃなくて颯太のだし、颯太だって可愛い後輩が喜んでくれるなら本望だろう。それにこの状況は、木月に話しかける絶好のチャンスなのではないだろうか。ここで木月と親しくなれれば、彼が俺を見る理由も聞けるかもしれない。

だが俺のそんな目論みむなしく、木月は俺の目の前でさも当たり前のように、お目当てのフルーツ牛乳を手に取った。彼の頭の中には遠慮するという選択肢はなかったらしい。

「てめっ、何を勝手に…」

「杉崎、落ち着け」

木月の態度にキレたのか拳をかまえる杉崎。けれど、もとより喧嘩が苦手で威勢だけしかない杉崎は、俺がなだめるとすぐにその拳を引っ込めた。

俺はなんでもないような顔をしていたが、心の内でちょっとガッカリしている自分に気がついた。木月が俺に好意的でなかったことと、彼と関わる理由がなくなったことに対してだ。そのまま難癖つけて絡んでみるという方法もあったが、後ろで木月の腕をキツく握っている天谷を見るとそういう気にはなれない。

けれどあきらめた俺が颯太に何を代わりに買おうか悩んでいたとき、隣から声をかけられた。

「おい」


心臓が、飛び出すんじゃないかと思った。それほどまでに驚いた。まさか向こうから話しかけてくるなんて。俺がすぐさま横を向くと、木月が俺にむかって手に持っていたフルーツ牛乳を投げた。

「やる」

俺が受け取ったと同時に木月が言い放つ、短く愛想もない言葉。それでも俺がその時思ったことは、嬉しいという感情だけだった。でも俺が礼を言う前に、木月は身をひるがえし天谷と共に歩いていってしまった。

「九ヶ島? どうした?」

杉崎から声をかけられても返事なんて出来ない。もう俺はそれどころじゃなかった。
ああ、どうしよう。木月が俺に話しかけてきた。ただそれだけのことなのに、ものすごく嬉しい。俺、なんか変だ。嬉しいだけで心臓がこんなにも激しく脈打つなんて、そんな馬鹿な話あるもんか。


なあ久遠、もしかしてこれが──


「九ヶ島!」

目の前でパチンと手をたたかれ、俺は現実に引き戻された。目の前には杉崎の訝しげな顔。

「なにぼーっとしてんだよ、帰るぞ!」

杉崎に腕をとられ、そのまま引きずられる。俺は周りのギャラリーにふぬけた顔をさらしたまま、教室へと向かった。













「ちょ、九ヶ島」

「なに」

教室に戻る途中の廊下、杉崎がじろじろと変なものでも見るかのような目で俺を凝視してきた。

「それ、颯太のだよな?」

「ああ」

それ、とは今まさに俺がストローを差し込み飲もうとしているフルーツ牛乳のことだ。杉崎はそれとしらっとした俺の顔を交互に見ていた。

「なんでお前が飲んでんの?」

恐る恐る慎重にといった感じで、杉崎は俺に尋ねてくる。まるで聞いちゃいけないことを聞いてるみたいに。

「いいんだよ、これは俺がもらったんだから」

「はあ?」

訳が分からないとばかりに首をひねる杉崎。俺は彼を無視して紙パックからのびたストローに口をつけた。

口に、慣れない味が広がる。不思議と嫌いじゃなかった。


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