未完成の恋(番外編)
012
颯太にかりたバイクを走らせ、俺は急いで空港に向かった。外は相変わらずの悪天候だったが気にもならなかった。
やっと空港のロビーについた時、髪も服も靴も、下着までびしょ濡れだった。当然一目をひいたが、周りの目にかまっている暇はない。いったん気を静めてから、久遠の友人からの情報を頼りに、俺はチェックイン・カウンターの受付の女性に搭乗口の場所を尋ねた。今さら行っても間に合わないかもしれないギリギリの時間だったけど、諦めるなんて出来ない。俺はどうしても久遠に言わなきゃならないことがあった。
「くそっ…いねえっ……」
激しく脈打つ心臓をおさえ、立ち止まって呼吸をととのえる。いつもなら、たくさんの人の中でも久遠のを見つけることなんて簡単なのに。どこにもいない。もしかしてもう飛行機に乗ってしまったのだろうか。
一瞬、もう久遠には会えないんじゃないかという絶望的な予感がしたが、天は俺に味方した。俺の20メートルほど先に、手荷物検査のアーチをくぐったばかりの久遠の姿が見えたのだ。
「久遠!」
俺は声を張り上げ、全速力で彼のもとに駆け寄る。そこには久遠の両親もいて、俺の呼び声に2人とも振り向いた。
「お前…っ」
久遠は小さい驚きの声をあげ、俺の姿を目を丸くさせて見ている。本気で驚いてるみたいだ。俺が来るとは夢にも思っていなかったのだろう。
「九ヶ島くん、よね?」
久遠の母さんが息も切れ切れな俺に、遠慮がちに話しかけてきた。
「…はい」
全身ずぶ濡れの俺を変に思ったのだろう。久遠の母さんが怪訝に眉を顰めた。けれどそんな表情から一転して、すぐに俺に笑顔を見せる。
「珠希を見送りにきてくれたのね、ありがとう。──珠希、母さん達先行ってるから、ちゃんとお別れ言いなさい」
「えっ…」
久遠の両親はとまどう息子を残して、2人で先に搭乗口に向かってしまった。周りに人はたくさんいたけれど、ここにいるのは俺と久遠、2人だけのような気分だった。
「久遠」
「…………」
久遠はなかなか俺の目を見ようとしない。彼と俺の間には鉄の棒で出来た隔たりがあって、俺の方から近づくことは出来なかった。高さはないので乗り越えるのは簡単だったが、そんなことをすれば警備員に捕まってしまうだろう。
「話があるんだ。こっち来て」
「………」
「頼むよ」
俺の切実な声に意地を張っても仕方ないと思ったのか、久遠はゆっくり歩み寄ってきた。俺は内心、ほっとした。
手を伸ばせば顔に触れることが出来るほどの距離まできたとき、俺は俺の胸元ばかり見る久遠の腕をとり思い切り抱き寄せた。
「なっ、ちょ…」
「このまま聞いて」
久遠の服が濡れないよう、強くは抱きしめない。この感触、この匂い、俺は知ってる。つい最近のことなのにすべてが懐かしく思えた。
「…俺はお前のこと、どうでもいいなんて思ってない。久遠に悪いとこなんて1つもなかった」
震える声で、一番早く伝えるべきことを言葉にした。非は、すべて俺にある。久遠と話す上でそれが何よりも重要だった。
「それなのに俺は、お前のことを特別には、好きにはなれなかった。それは全部、──俺の、俺自身のせいだ」
久遠の素直じゃないところ、意地っ張りなところ、時々俺にだけ、ありのままの自分を見せてくれるところ、全部全部、大好きだった。もちろん色んな風に変化する表情も男らしいところも、俺の好みだ。
でも俺は、環境に慣れすぎていた。求めずとも周りにはたくさんの人がいて、俺のことを好きだと言う、この環境に。
「…俺の中途半端な優しさがお前を傷つけてた。きっとお前だけじゃない、色んな奴を傷つけてたと思う。酷い、よな。でも俺、自分がそんなことしてる自覚なかった。…だって、どうせ俺のこと好きだなんていう奴は、俺の顔しか見てないんだろって、思ってたから…」
鼻をすすって、初めて、俺は泣いてるのかもしれない、と思った。なんだか目の奥が熱い。自分の汚い感情が次々と溢れ出してくる。
「だから俺、もしかして優しくしてたら、俺の中身も好きになってくれるんじゃないかって…そう、考えてたんだと思う。馬鹿だよな…そんな偽善じみたことして。お前がそんなんじゃないって、ちょっと考えればわかることなのに」
俺の情けない話を、久遠は黙ってきいてくれていた。いつもなら人前で抱きついたら怒るのに、今は大人しく俺の胸の中にいる。俺の話を真剣に聞いてくれてるんだと思ったら、急に嬉しさがこみ上げてきた。
「──久遠」
その嬉しさは顔に出ない。俺はまだ、久遠に一番言わなきゃならないことを、言ってないから。
「…ごめん。ほんとに、ごめんな、久遠……」
つい久遠を抱く腕に力が入る。慌てて力を抜く俺の背中に、何か暖かいものが触れた。けれど背中が圧迫されたのはほんの一瞬で、すぐに胸を押され距離をとられてしまう。でも少し離れたおかげで、俺を見上げる久遠の顔がよく見えた。
久遠は、笑っていた。
「今さら謝ったって、遅いんだよバカ」
この小馬鹿にしたような憎まれ口。それを聞いてしまった途端、今までためてきた思いと嬉しさが一気に俺の中にこみ上げてきた。
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