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未完成の恋(番外編)
010


久遠に言われたことを考えていた。あの衝撃的な言葉を聞かされてから、俺はずっと上の空だ。下校中も、バイト先でも、ベッドの中でも。受信したメールをすべて無視して考えたけれど、結局答えは見つからない。

別に俺は常日頃から自分はいい人だ、なんて馬鹿なこと思ってる訳じゃない。でももし久遠の言うことが正しくて、本当に俺が酷い人間だと言うなら、どうして“どうでもいい”奴に優しくなんてしてるんだ。

正直、ここまで自分のことを考えたのは生まれて初めてだ。俺は昨日まで、自分のことなんてよくわかっているつもりでいた。だからこそ久遠のあの言葉は、俺のすべてを否定された気がした。

次の日の学校には、やっぱり久遠の姿はなくて、結局あれが最後の別れだったのかと俺は虚しくなった。その日、一日中不機嫌オーラを振りまいていた俺に声をかけてくる奴はいなくて─1人になりたかった俺としては良かったのだが─それが逆に悩む時間を増やす結果となってしまった。

そして放課後、俺は何年かぶりに1人で帰ることにした。今日はいつもなら久遠と帰ってる日だ。でも今、久遠はいない。この時間なら、多分もう空港だろう。今から行けば間に合うかもしれないが、到底見送りなんてする気にはなれなかった。

すっかり人の少なくなった下駄箱で、俺は最近母親が買ってきたスポーツシューズを紐を丁寧にほどいてから履いた。そのまま紐を強く引っ張り、キツく締める。こうしておいた方がいざという時、ふんばりがきくのだ。

ペラペラの指定カバンを手にぶら下げたまま肩に担いだとき、俺は昇降口を出た所の端に人がいることに気がついた。
その男は、出来るだけ目立たないように縮こまっていたが、俺が簡単に見つけてしまったように、それはどだい無理な話だった。

「───天谷くん?」

驚かせないようにそっと声をかけたつもりだったが、彼はびくんと体を震わせ、恐る恐る俺の方に顔を向けてくる。だが俺の顔を見た瞬間、警戒感丸出しの猫みたいだった天谷の体が、気をゆるめていくのを感じた。

「なにしてんの?」

「…九ヶ島先輩」

俺が天谷に尋ねると、彼が俺の名を呼んだ。こっちが名前を知っていたように、天谷も俺の名前を知っていたらしい。

「人を、待ってるんです。あの、委員会で」

相変わらずの綺麗な顔、それに負けないぐらいの澄んだ声で彼がそう言った瞬間、俺はすぐ合点がいった。

「それって、もしかして木月圭人?」

「あ、はい! どうしてわかったんですか? すごいですね!」

天谷は本気でびっくりしているようだったが、俺でなくとも普通にわかったと思う。

「でも、こんな所で待ってたら危ないぞ。特にお前みたいな奴は」

天谷と木月は本当に理想のカップルだ。でももし俺が木月なら、こんな人気のないところで天谷ひなたを待たせたりしない。この男子校じゃあ襲われる可能性だってあるんだ。

「それ、圭ちゃんからも言われました」

俺の心配なんてなんのその、天谷は笑いを含みながらのろけ始める。その顔はたいそう可愛らしい。

「じゃあ何で帰らないんだ?」

俺の質問に天谷は照れくさそうに顔を傾けた。

「圭ちゃんと一緒に帰りたいので…。こっそり待ってるんです」

恥ずかしそうに顔を赤らめる天谷を見て、タイプでもないのに俺の胸が高鳴った。なんか、こう、庇護欲を掻き立てられる奴だ。

「じゃあ俺も一緒に待つよ」

「え!?」

驚く天谷の横に、断りもなく腰をおろす。たとえ拒否されても、無理矢理ここにいるつもりだった。だいたいそのために声をかけたんだから。

「この学校の怖さ知らねえの? 天谷くんみたいな子が1人でいちゃ危ないからな〜」

「でも、悪いですよそんなの。僕、1人でも大丈夫ですから」

「いいからいいから、どーせ暇だし」

もしかしたら天谷は本当は迷惑に感じていたのかもしれないが、俺は嫌がられることに慣れてはいなかったし、彼の身の危険があるかもしれないことに変わりはない。それに天谷の口調はけして迷惑だとか、そういう感じではなくて俺は遠慮なくその場に居座った。

「……唐突だけどさ、天谷くんってモテるだろ」

「え!? そんなことないですよ!」

いきなり俺が変なこと言うもんだから、天谷は目を丸くさせて頭を振った。

「この学校に来てから、告白されたことないの?」

「そ、それは…ありますけど」

やっぱりな。そりゃ当然だ。

「じゃあそういうときって、どうやって断ってんの?」

「な、何でそんなこと聞くんですか!?」

「参考までに」

俺なにやっと笑ってそう言うと、天谷は困ったように顔を赤らめる。そうやって彼はしばらく考えこんでから、話し出した。

「ごめんなさい、って謝ってます」

「でもしつこい奴もいるだろ?」

「そういう人は、圭ちゃんが対応してくれるんで…」

そうきたか、と俺は内心、頭をかかえた。これじゃ参考にならない。

「そっか…、彼は天谷くんのこと、大好きだもんな」

俺がそう言うと、天谷の表情は目に見えて明るくなる。うらやましい、単純にそう思った。木月も天谷も、お互いがいればそれでいいんだろう。俺には出来なかったことだ。

「木月圭人は、天谷くんの“特別”?」

「…はい。一番大事な人です」

一番、とか特別とか、やっぱり天谷は、俺にはないものを持っている。照れくさそうにはにかむ天谷は、本当に幸せそうだった。

「……九ヶ島先輩?」

何も言わないままうつむく俺を見て、天谷が心配そうに顔をのぞき込んでくる。俺は自然と笑みがこぼれた。

「……なんかさ、いいよなぁ、そういうの。うらやましい」

「え…?」

うっかり出た本音は天谷を困らせるばかりで、俺は彼の頭に手を置きその艶のある髪に指をすべらせた。

「いい奴なんだな、木月くんは」

「……はい! 圭ちゃんはすごく優しい人なんです」

俺は“優しい”という言葉につい反応してしまったが、天谷は木月をほめられたことがよっぽど嬉しかったのか、興奮で頬が赤く染まっていった。

「でも、九ヶ島先輩だって、モテるでしょう?」

自分のノロケ話をしすぎたと思ったのか、天谷はそんなことを訊いてきた。

「…まあ、な。でも俺のは、違うんだよ」

「え?」

また困らせたかな、と俺は今度は無理やり笑みを作る。

「なんでもない」

とっさに心にもない笑顔でごまかした。正直、自分でもなぜそんなことを言ったのかわからなかった。

俺だって、恋人は誰か1人いれば十分だと思う。でも、俺にはそれが出来なかった。

もし俺がどこにでもいる普通の顔をしていたなら、きっとこうはならなかっただろう。
平凡な顔をした俺なら、きっと──


いや、ちょっと待て。


俺、いま、なにを考えた?



「先輩…?」

天谷の不安げな声がする。俺を心配してるんだ。
重苦しい雰囲気から抜け出すためにも、俺が何か話そうとしたそのとき、ポツリと地面に雫が落ちて黒いシミを作った。

「…雨、か」

「嘘!?」

空を見上げる俺の横で、天谷が必死にカバンの中をあさっていた。

「どうした?」

「……折りたたみ傘、忘れました。圭ちゃん傘なんて絶対持ってないし、どうしよう…」

うなだれる天谷を後目に雨足はどんどん激しくなって、もう目で確認出来るほどになっていった。

「じゃあ俺の傘かそうか? つね教室に置いてあるんだよ。あれ結構デカいし、2人ぐらい余裕だろ」

「でもそれじゃあ先輩が…」

「俺は折りたたみあるから平気!」

よっこらせ、とジジくさく立ち上がった俺は、教室に傘を取りに行くことにした。

「いいか、ちゃんとそこで待ってろよ!」

「え? あ、ありがとうございます!」

天谷に遠慮される前に靴をぬぎ、廊下をこけない程度に早く走った。彼を置いていくことに抵抗はあったが、俺の教室は1階。すぐそこだ。まさかこんな短時間では何も起こらないだろうと、俺は誰もいない廊下を駆け抜けた。


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あきゅろす。
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