未完成の恋(番外編)
009
「お、おいどこ行くんだよ!」
久遠は俺を来るなりいきなり腕をつかみ、そのまま無言でぐいぐい引っ張ってくる。俺はよたつきながらも彼に大人しくついていった。久遠は人気のない階段の隅で止まり、振り返って怪訝に眉を顰める俺を見る。
「残念だけどな久遠! 俺はお前のクラスメートから飛行機の出航時間とか聞いてんだからな! 絶対見送りに行ってやる!」
クラスメートによると久遠がのる便は明日の夕方。あまりに早い出立に驚いたが、見送りだけなら急げば学校が終わってからでも間に合う。バイトは休めばいい。それにどれだけ俺をかわそうとしても、今さら飛行機の時間は変えられないだろう。そこを狙ってやるまでだ。
「つーか何だよ久遠、昨日のアレは。いきなりなに…」
「九ヶ島」
思いっきり責めてやろうと思っていたのに、いつも以上に冷めた声で名前を呼ばれ、俺はほぼ強制的に口を閉じさせられた。
「俺、あれから昨日のこと、考えた」
周りに漂う冷えた空気。いつもとは違う。嫌な予感がした。人通りが少ないと言っても、休み時間。何人もの生徒が俺達の後ろを通り過ぎたが、俺達の普通ではない雰囲気を察してか、誰1人近づいてこようとはしなかった。
「…それでわかったのは、お前が本当は酷い男で、俺が呆れるほどバカな奴だったってことだ」
「はあ!?」
酷い男。それだけが俺の胸に響く。
どうして俺がそんなこと言われなきゃならない。コイツは昨日のこと、謝りに来たんじゃなかったのか。
「なんだよそれ! 別れるって言ったのはお前だろ!」
「そうだよ! …俺が言った」
俺はコイツの考えてることが全然わからなくなった。酷い、なんて。そりゃ俺をボコろうとしてきた奴らには、酷いこともしてきた。けれど、俺を好きだと言ってくれる相手には、俺なりに誠意を見せてきたつもりだ。
「でも…」
ぐっ、と久遠に制服をつかまれる。彼は額を俺の胸に押し付けた。
「引き止めてくれると、思ってた…!」
久遠の手が震えてる。泣いてるのかもしれない。でも俺は、今言われた言葉を頭の中で理解することだけで精一杯だった。
「俺、たとえ九ヶ島が何人と付き合っていようと、耐えられた。自分は他とは違う、特別なんだって、…そう、思ってたから……」
でも、違った。
と、久遠は言った。
「お前は、俺のことを特別なんて思ってなかった。俺もみんなと同じ、優劣なんかない。お前がしてること俺は浮気だと思ってたけど、実際は違う」
俺は久遠の話を、信じられない気持ちで聞いていた。また俺のブレザーをつかむ手の力が強くなる。
「九ヶ島が一番好きなのは俺、それが自分の勝手な思い込みだってことに、気づかなかった。昨日まで、ずっと」
「………久遠」
そう涙声で話す彼に、俺は何も言えなかった。なぜなら、久遠の言うことに間違いなんてなかったからだ。
俺は1度たりとも久遠のことを、特別だと思ったことはなかった。でもそれは久遠にだけ言えることではない。もし、いま誰か1人を選べと言われても、きっと俺は誰も選べないだろう。
でもそんなこと、久遠は知ってると思ってたのに。
「九ヶ島はたくさんの奴らと付き合ってたけど、みんな長くは続いてなかった。俺はお前とずっと付き合ってるからって自惚れてた。でもそれはただ、俺が別れを切り出さなかったってだけのこと。…そうだろ? 九ヶ島」
「…………ああ」
嘘は言えなくて、肯定してしまう。俺をつかんでいた久遠の手が、離れた。
よっぽどの理由がない限り、俺は自分から別れるなんて言わない。一度受け入れたものを簡単に切り離すことは、無責任だ。相手を傷つけることになる。俺が付き合った奴と長く続かない理由は、相手が誰でも受け入れる俺に耐えられなくなるか、俺と遊ぶことに飽きるか、そのどちらか。
「…お前は結局さ、“俺達”のことなんて、どうでもいいんだよ」
「…は?」
俺が悪い、それはわかってる。でも久遠の言い方はすごく癇に障った。俺はどうでもいいなんて薄情なこと、思ったことないのに。
「なんだよそれ、勝手なこと言うな! だったらお前は、俺にどうしろっつうんだよ!」
どいつもこいつも、話したこともないのに告白してきて、断ったら泣いて、優しくしたら酷い奴ってか? もうたくさんだ! 俺はただ、傷つけたくなかっただけなのに。
「九ヶ島、俺は…っ」
初めて聞くであろう俺の本気で怒った声にてっきりビビるだろうと思っていたが、久遠は少し肩を震わせただけで話し続けた。
「好きじゃないなら、優しくなんてして欲しくなかった…」
そのまま崩れるように、廊下に座り込む久遠。かける言葉もなく俺は呆然と立ち尽くしていた。
優しくして欲しくなかった、だって?
これまで俺はずっと、向こうの意志を尊重してきたつもりだった。来る者は拒まず、去る者は追わず。でもそれが、お前の言う“どうでもいい”ってことなのか? 俺と付き合いたい奴は付き合えばいい、俺と別れたい奴は勝手に別れてくれ。この考えは、“どうでもいい”ってことだったのか?
「…九ヶ島。お前ってさ、興味がある奴とかいるの?」
か細かったがはっきり聞こえた。久遠の、俺に対して諦めたような声が。
「そんなんじゃきっと、お前はずっと1人だ」
久遠は無理矢理作ったような笑みを見せると、壁に手をついて頼りなく立ち上がり、うつむいた。
「…俺が馬鹿だったんだ。お前のこと全然わかってないのに勘違いして。でも、俺も悪いけどさ、九ヶ島。お前はやっぱり、酷い男だよ」
「………っ」
言葉を失くした俺の前から、久遠は去った。もう二度会えないかもしれないのに、一度も振り返らず未練も見せずに。
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。けれど俺は、そこから動くことが出来なかった。
なあ、どっちだ久遠。俺か、お前か。
本当に酷いのは、どっちなんだろうな。
[*前へ][次へ#]
[戻る]
無料HPエムペ!