未完成の恋(番外編)
008
その日はいつもと何ら変わりのない、平凡な日だった。
嫌な予感も、虫の知らせも、何もない、いつもの朝。
ただ少し違っていたのが、通学中の電車に揺られていた俺に届いた一通のメール。
送り主は久遠だった。受信メールには、大事な話があるから今日の放課後、いつもの場所に来て欲しい、とのことだった。
俺は少し変だなと思いつつ、それ以上深く考えるのはやめて久遠に了解メールを送り、携帯を閉じた。
いつもの場所、というのは南校舎1階にある空き教室のことだ。ここはめったに使われないし人通りも少ない。誰にも聞かれたくない話をするには最適だった。
俺は言われた通り、そこで久遠を待っていた。放課後、もちろん校内は騒がしく遠くから騒ぎ声がする。この人のいない空間で待たされ、しびれをきらした俺がメールをしようと携帯を開いた瞬間、ガラガラとひかえめな音をたててドアが開いた。
「おせーっての」
座っていたロッカーからおりて、久遠に毒づいた。かなり待たされていた俺はいらついていて、彼の様子がいつもと違うことに気づかなかった。
「で、話って何。明日じゃ駄目だったのか?」
明日は、水曜日。いつも久遠と帰る約束をしている日だ。それなのに今日呼び出してきたのには、それなりの理由があるに違いない。
「九ヶ島」
俺の名を呼ぶ声は震えていて、気づいた。何かおかしい、と。
「──俺達、別れよう」
「……は?」
久遠から告げられたのは、別れの言葉。突然のことに俺はただただ驚いていた。
別れてくれ、なんて言葉、今まで何人もの奴から言われた。けれど久遠とはもう1年の付き合いになる。それらしい素振りも何もなかった。それなのに、急にどうして。
「……なんで?」
俺が尋ねると久遠は体を震わせ、口を開いた。でもそこから言葉はなかなか出てこない。
「……引っ越す、んだ。親の都合で、遠くに」
やっと聞けたその理由に、俺は言葉を失った。引っ越す、って久遠が? そんな馬鹿な。
「もう簡単に会えなくなる、から。だから…」
うつむいたままの久遠に俺は気の利いたセリフは言えなかった。高校で転校なんていくら親の都合とはいえ、どんなにつらいか。
「そっか…、じゃあ、しょうがないな」
今の俺に出来ることは、久遠に最高の思い出を残してやることだ。俺も久遠がいなくなったら寂しい。何か、記憶に残ることをしてやろう。
「いつ引っ越すんだ? 俺、見送りに行くよ。もし時間があるなら2人でどっか…」
久遠の頬にのばした手は、彼の手によって払われた。その場の空気が一瞬で凍りつく。
「久遠…?」
いきなり攻撃的になった久遠に、俺は動揺するばかりだ。いったいどうしたんだ。
「…来るなっ」
涙混じりの冷たい声。俺はその場で固まった。
「見送りなんて、来なくていい…!」
「あ、おい久遠!」
吐き捨てるように叫ぶと、俺の制止もむなしく久遠は逃げるようにドアを開け教室を飛び出してしまった。慌てて追いかけようとした俺の鼻先で扉が閉まる。
教室に残され、また1人になった俺は、訳が分からないまま呆然とそこに突っ立っていた。
「っつー訳なんだよ!」
次の日、俺は昨日あったことを颯太に話した。あの後いくら電話してもメールしても、久遠は完全に無視。俺の感情は驚きを通り越して怒りに変わっていた。
「なんだよアイツ! いきなり怒り出しやがって。意味わかんねえっての。なあ、颯太」
やりきれない苛立ちを颯太にぶつける。久遠のクラスに足を運んでみたりしたが、彼は俺をさけているらしく会うことは出来なかった。
「…颯太、お前どうしたんだ?」
俺の愚痴をいつもなら宥めつつも笑顔で聞いてくれる颯太が、今日は険しい顔をしていた。何かあったのだろうか。
「…成瀬」
「なに?」
「お前、ってさあ……」
けれど颯太の言葉は、クラスメートの俺を呼ぶ声でかき消された。
「おい九ヶ島!」
「なんだよ、今取り込み中」
「久遠が呼んでんぞ」
久遠、ときいて俺ははじかれたように立ち上がる。廊下を覗き込むとそこには見慣れた男の姿が。
あの野郎、やっと謝りに来たか。俺も一言言ってやらなきゃ気がすまねぇ。
「悪ィ颯太、ちょっと行ってくる!」
その時の俺は、久遠がここに来た意味も知らずに、急いで彼のもとへ駆け寄った。
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