未完成の恋(番外編)
006
「久遠く〜ん」
水曜日の放課後。ちょっと声を高くして呼び掛けると、久遠は俺にぎろりとした目を向けてきた。なかなかの反応だ。
「キモい」
かと思ったらそっぽを向かれて、俺は思わずこけそうになる。まあいい、そんな態度をとれるのは今のうちだけだ。
「待たせて悪かったよ。掃除なかなか終わんなくて」
「別にいい」
久遠はそう答えると立ち上がり、ズボンの砂を払った。
「ところで久遠くん。俺、携帯教室に忘れてきちゃったんだけど、一緒に取りに行ってくんねえ?」
そこで思い切り頼りない笑顔を久遠に向ける。彼にねだるように。だが久遠は俺のお願いにあからさまに嫌そうな顔をした。
「やだよ。1人でいってこい」
「頼む!」
俺は両手をあわせて頭を下げる。前方からうんざりしたようなため息が聞こえた。
なんだかんだ言って俺についてきてくれる久遠はいい奴だ。根は優しい、ただ素直になれないだけ。
「あれ〜、ないなぁ…何でだろ」
「ちゃんと探せよ」
自分の机をあさる俺から目を離して、久遠はカーテンにおおわれ外が見えないはずの窓を見ていた。今がチャンスだ。
ガチャリ、という音で久遠は顔をこちらに向けた。怪訝な表情を浮かべて。
「何で鍵しめるんだよ」
困惑している久遠に、俺は笑顔で歩み寄った。
「邪魔されたら嫌だからな」
その言葉と同時に久遠の手を引き寄せ、てきとうな机にその体を押し倒す。彼は抵抗するでもなく、ただ驚いていた。
「ちょ、何してんだ九ヶ島」
久遠の固まった体を両手でつかみ、半分強制的に口づけた。そしてそのまま自分の唇を頬や首につたわす。
「…っ、やめろって! 今日バイトだろ? 急いでんじゃねえのかよ!」
久遠の言うとおり、この日は普段なら俺が寄り道することなく家に帰らなければならない日だ。でも今日は、いつもとは違う特別な日だった。
「いいんだよ、今日は直接バイト先に行くから。時間はある」
「な、何でそんな…」
俺は戸惑う久遠を無視して、彼のブレザーを手際よくぬがしシャツのボタンを外した。嫌がっている、というわけじゃないが俺が無理やり押し倒し、ことに及ぼうとしたのは初めてなので、久遠は驚いているようだった。
「久遠、目ぇ閉じて」
「…どう、して」
「キスするから」
久遠は一瞬ためらう素振りを見せたが、俺に言われたとおり大人しく目をつぶった。俺は左手を久遠の頬に添え、ポケットに突っ込んでいた右手を取り出し、久遠の左手と絡ませる。
「んんっ…、んぅ…」
キスした口に舌を入れ、久遠が何も考えられないようにした。思惑通り、久遠の薄く開いた目は焦点をなくしたように揺れている。
「んっ、はぁ…」
唇を離したとき、久遠の息は荒かった。いつまでたっても慣れない奴だ。俺は彼がまともな思考を取り戻すのを黙って待っていた。
「…九ヶ島、お前急にどうし……って何コレ?」
久遠は自分の指にはめられた、見覚えのないシルバーリングをしげしげとながめている。
「プレゼント」
それは俺が今あげた指輪だ。キスしてる間に指にはめてやった。けれど、どっきり大成功と言わんばかりに微笑む俺を、久遠は無表情で見つめていた。どうやらまだよくわかってないようだ。
「久遠」
彼の体をいきなりぎゅっと抱きしめてやる。ちょっと苦しく感じるぐらいに。
「誕生日おめでとう」
あまりにキツく抱いていたから、久遠の肩が少し震えたことに気がついた。でもそれから、いくら待っても久遠からの反応はない。
あれ、ひょっとしてあんまり嬉しくない?
俺はゆっくり久遠の体をはがし、彼の顔を覗き込んだ。
「わ…」
久遠の口がゆっくりと開く。
……わ?
「…忘れてると、思ってた」
少しばかり聞き取りづらい声で久遠は言った。どうやら本気で驚いてるみたいだ。顔にそう書いてある。
「何バカなこと言ってんだよ、忘れるわけないだろ」
背中に手をまわし、もう一度強く抱きしめた。変なことを言う奴だ。たとえ何人と付き合っていたって、誕生日を忘れるような男じゃないって知ってるだろうに。
「…ありがとう」
やっぱり普段素直じゃない分、素直になったとき一段と可愛い。小さく礼を言った久遠の手は、俺の制服をゆるむことなくつかんでいた。
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