last spurt
5日前
「ふざけてんじゃねぇぞ!」
晴天、平日の真っ昼間から、俺は路地裏で見知らぬ男を殴っていた。男は40代か、もしかしたら50代。服装からしてサラリーマンだ。
こんな事になったのにはちゃんと理由がある。つい30分ほど前、人ごみの激しいバスに乗っていた俺はコイツに酷い目にあわされたのだ。
「テメェ、俺をよく見ろ! えぇ? どっからどー見ても男だろーが!」
再び腹に一発。微妙に急所をはずしたのは気絶されると困るからだ。のびてる相手を殴る趣味は俺にはない。
「ほら見ろ、この筋肉! これが女に見えっかよ!」
そんな事する必要はないのだろうが、頭に血が上っていた俺は鍛えた腕を見せた。鍛えたといってもそんな他人に見せられるほどでもないが、女みたいにひょろひょろしてるわけでもない。俺は、自分は着やせするタイプなんだと自身に言い聞かせ、男を上から睨みつけた。
「二度とこんなこと出来ねぇようにしてやるよ…!」
手をポキポキ鳴らして嘲笑を浮かべながら男に近づく。そして男の胸ぐらにつかみかかり拳を振り上げた途端、
「ちょっと、何してるんですか!」
見られた、第3者に。
これが補導員だのおまわりだの、そういう奴だったら厄介だが、妙に丁寧な言葉遣いからわかるようにそうではなかった。俺を止めたのは身なりのいい若い男。いかにも通りすがりの善人って感じ。
「今すぐその手を放しなさい!」
男は俺を目で威嚇しながらずかずかと人のもめ事に割り込んでくる。こりゃ絶対早死にするタイプだ。
「うっせえな。テメェには関係ねえだろうが」
「関係あるなしの問題じゃありません! 殴られてる人を見て見ぬ振りは出来ない」
「俺は被害者なんだよ、何も知らねえくせに口出しすん──」
俺が名も知らぬ介入者に気をとられていた瞬間、男が俺の手をすり抜け一目散に逃げてしまった。
「あーっ! 待ちやがれこの野郎!」
慌てて追いかけようとするも腕をつかまれ阻止される。俺は邪魔してきたお節介な男の手をなんとか振り払った。
「お前のせいで逃げられちまったじゃねえか! どうすんだよ、まだぶん殴りたりねえ」
「人を一方的に傷つけるのはよくないことです。しかも君みたいな子供が…」
「子供じゃない! それに殴ったのにはちゃんと理由があんの!」
「理由? どんな?」
「それは──」
言えなかった。男が痴漢にあったなんて、そんな恥さらしなこと。しかもこれが初めてじゃないなんて。
「とにかく! 俺はアイツに侮辱されたんだよ。俺の復讐を邪魔しやがって、ただですむと思うなよ」
腹の虫がおさまらない俺の怒りは、すっかり目の前の男に向けられていた。理不尽といわれるかもしれないが、ここで引き下がってしまったら男の沽券に関わる。
「私を殴るんですか?」
「安心しろ、手加減はしてやる」
拳をかまえた俺は男の腹の部分にねらいをさだめた。むろん渾身の力をこめて殴るつもりはない。そんなことすれば骨が折れてしまう。
だが距離をつめ腹を優しくえぐろうとした俺の拳を、男はまったく無駄のない動きでなんなくかわした。
「っ……!?」
俺は自分の力には自信がある。そりゃもう絶対的な自信が。中学に入ってから今まで強さだけを求めていたといっても過言ではない。それなのにこの通りすがりの一般人は、そんな俺に警戒心というものを芽生えさせた。
「お前、何者だよ」
ただ単に武術をたしなんでいる奴か、それともどこかのチームに属しているのか。後者だと厄介だ。
「何者って──あ、名前…ですか」
「は?」
張りつめていた緊張の糸が一気にほぐれた。名前なんて全然訊いてない。ふざけているのか天然か。希望としては前者だがコイツのクソ真面目な顔を見る限り後者だ。
「私は南という者です。あ、もちろん東西南北、の南」
「だから訊いてねぇって」
──みなみ。軽口を叩きながらも俺の胸はその名を聞いただけで激しく脈打った。あの人とは関係ないことはわかっている。でも俺にとっては特別な名前だ。
南と名乗ったその男はかなりの無謀野郎、もしくはバカらしかった。あの人とはまるで正反対だ。普通オヤジ殴ってた不良に自己紹介なんてするか?
「…まぁいいや、とりあえず南さんとやら、俺と1対1で勝負しろ」
邪魔された仕返しと、強い奴と戦ってみたいという欲望が俺を駆り立てた。この男の力量をはかってみたい。
「断れないんでしょうね」
「当然」
タイマンの勝負を断るなんて男失格だ。コイツが想像通りチームに属していない一般人だったら、そういうプライドもないのだろうが。
「名前、なんていうんですか」
「え?」
「私も言ったんですから、名前、おしえてください」
この緊急時によくそんなのん気なことがいってられるな。これも強いからこその自信なんだろうか。
「…七生(ナナオ)。日浦、七生」
なぜか正直にフルネームを答えてしまう。彼の“みなみ”という名前の力に圧倒されてしまったようだ。
「ま、これで互いに自己紹介もすんだ訳だし、遠慮なくいかせてもらう」
「どうぞ、お手柔らかに」
じりじりと困った顔の南との距離をつめる俺。2人の間隔が1メートルほどしかなくなったとき、俺の方から仕掛けた。けれど南は俺の拳をまたしても避け、俺は前につんのめってしまう。
だが南からの攻撃にそなえるため慌てて振り返った俺が見たものは、全速力で大通りに向かって走る男の背中だった。
「……に、逃げた」
あまりにも潔い、というよりあっさりと男の勝負を捨て走り去る南。足が速いのかその姿はもう小さく見え、俺はただ呆然と突っ立っているしかなかった。
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