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last spurt
003



「俺を拒絶するのは、いい加減やめてほしいな。ナオが大人しく俺に従ってくれれば、誰も傷つかないですむんだけど」

困ったような表情のトキが、首をさすりながら俺の方へ一歩一歩近づいてくる。逃げる段階はとうに過ぎていた。俺は自分自身を落ち着かせてから、ようやくトキと向き合った。

「お前の方こそ、俺を逃がしてくれりゃあ誰も怪我しないですむ。──トキ、俺はお前を傷つけたくない」

俺の切実な口調に反応したのか、トキは足を止める。どう自分に言い聞かせても、目の前にいる男が敵だと俺には思えない。この危機を脱するためにはここにいる全員を倒さなければならないのに、情や罪悪感が邪魔をする。
歯止めのきかなくなった醜い俺をトキに見て欲しくない。打開策はないのかと考えを巡らせる俺に、スピロの一人が不満をぶつけてきた。

「今のは聞き捨てならねぇな、俺らがてめぇに負けるってのかよ。ふざけてんのか?」

「…下っ端が口出しすんじゃねえ。お前達を倒すことなんて訳ねえよ」

「てめぇ…馬鹿にすんのも大概にしろよ!」

また別の男が、俺に対する怒りを露わにさせた。俺を囲む男達のほとんどが、すっかり頭に血が上ってしまったらしい。だがキレた連中ほど扱いやすいものはない。何も考えずに突っ込んでくるからだ。

「すかしたツラしやがって…もう我慢できねえっ!」

1人が俺に向かってきたのを口切りに、男達がいっせいに飛びかかってきた。けれどユライもトキもそれを止める気配がない。俺は覚悟を決めて、自分の理性を心の奥底に封じ込めた。










「もういい、やめろお前ら!」

ユライの声にスピロの動きが止まり、俺ははっとした。真っ赤な血に染まった拳に、足元に倒れる男達。全部俺のしたことだが、いっさいの感情を捨てていただけに罪悪感なんて欠片もない。いったい自分がどんな気持ちで奴らを殴り捨てていたかはわからないが、倒した人数だけは覚えている。いつもそうだ。目標とする人数を把握し、全員を再起不能にするまで殴り続ける。ユライが止めるまでに俺は7人の男を倒していた。残った男達も俺が豹変していたことに気づいたのだろう。今も化け物でも見るかのような目で俺の様子をうかがっている。

「相変わらずだな。昔、俺とやったときと同じ目してたぜ」

「……」

ユライの声はほとんど届いておらず、俺はトキの目ばかり気にしていた。トキは俺のこんな姿を見てどう思っただろう。ただ淡々と人を殴るだけの、中身が空っぽの男。俺なら不気味に思う。
だが意外なことにトキは俺を真っ直ぐ見つめていながら、嫌悪感などはまったくないようだった。そればかりか小さく笑みを浮かべ満足しているようにさえ見える。

「ナオは強いね、肉体的にも精神的にも。強すぎるぐらいだ。もしナオが弱かったら、こんなお膳立てする必要もなかったんだけど」

「…どういう意味だ?」

余裕たっぷりの様子で俺に妖しく微笑みかけるトキ。おかしい、嫌な予感がする。どうしてこいつはそんな平気でいられるんだ。

「どんなに完璧な人間だって弱点はある。後ろを──」

見て、とトキが言い終える前に俺は振り向く。そこには、俺が何よりも恐れていたことが現実として待っていた。

「優哉……!」

金網の向こうで綿貫と知らない男に拘束されていたのは、俺の大切な親友だ。慌てて駆け寄ろうとしたが、優哉達は敷地外にいて間には柵がある。壊すのも乗り越えるのも不可能だ。

「優哉ッ! 大丈夫か? 怪我してないか?」

「…はい、僕は大丈夫です。それよりナオさんが──」

「俺のことはいい! それよりお前っ、逃げろって言ったろ! なんでまだここにいるんだよ!」

「ごめんなさい、ナオさん。ごめんなさい…」

優哉に危害を加えられている様子はなかったものの、ひたすら謝り続けるその姿に俺は胸が締め付けられそうだった。
絶対に優哉を傷つけたくない。あいつは俺が守る。俺は優哉をこの世界に引き込んだとき、そう誓ったんだ。

「お前は俺が助けるから、だから優哉、そいつらに抵抗すんじゃねえぞ。お前に何かあったら、俺はもう生きていけない」

大げさに言っているのでも何でもない、事実だ。もし優哉がいなくなってしまったら、俺はきっとおかしくなってしまう。

「ナオが俺に従ってくれたら優哉を解放する。こうでもしなきゃナオ、大人しくしてくれないし」

トキを警戒しながら、俺は必死に考えた。優哉は助けたいがトキに従属するのは絶対に嫌だ。俺にはここにいる誰より強い力がある。だがたとえ目の前にいる全員を倒せたとして、優哉はどうする。ユライを人質にとるのも1つの手だが、でもそれで本当にうまくいくのか?

「何か考えてるね、ナオ。悪知恵ばかり働くから。でも俺達を倒せても優哉は助けられないよ。とてもじゃないけど間に合わない。ねぇ、ユキ」

「悪いな、日浦。……綿貫、やれ」

優哉を捕まえていた綿貫がユライの言葉に頷いた次の瞬間、突如として優哉に殴りかかった。あまりのことに俺は金網を掴み揺らしながら、必死に叫んだ。

「優哉! 優哉ッ!! やめろテメェ! それ以上やったらぶっ殺すぞ!」

綿貫は半狂乱の俺の言葉をすべて無視して、優哉を殴り続ける。優哉も抵抗しようとしているが、もう1人の男に身体の自由を奪われてされるがままだ。俺は、いたぶられる優哉を前にして何も出来なかった。ただ見ていることしかできない。俺は自分が考えているよりずっと、無力な男だった。

「わかっただろ、ナオ。もうナオは俺に従うしかない」

後ろからトキの囁きが聞こえ、振り向く。ゆっくり近づいてきたトキが俺の肩に手をのせ、今まで見たこともないような冷たい笑みを浮かべていた。

「だからさっさと諦めて、俺のもんになっちまえ」

「いっ!」

乱暴に俺を網に押し付けて、脅すような鋭い視線をぶつけてくる。この時、俺は初めて心の底からトキを憎いと思った。後ろからは優哉が殴られる音が聞こえてくる。もう悩んでる場合じゃない。俺は一心不乱にトキにすがりついた。

「やめさせてくれ! 頼むトキ…っ! 優哉を助けてくれ!」

ついに観念した俺にトキは表情を失い、なぜか俺をさらに柵に押し付けた。驚く俺に、トキは無表情のまま言葉を続けた。

「俺のいうこと、何でもきく?」

「きく! きくから、早く…」

優哉を殴らせることをなかなかやめてくれないトキに苛立ちをつのらせていると、トキが俺の顎に手をかけ唇に触れてきた。

「どうすればいいかわかるよな、ナオ。“何でも”いうこときくんだろ?」

トキの親指は俺の唇から離れない。これから何をすればいいか、俺には嫌というほどわかっていた。これはあの時と同じ状況だ。4日前、こいつが桐生から俺を助けてくれた夜と。

「トキ…」

手をさしのべた瞬間、トキがほんの一瞬浮かべた哀しみの表情を俺は見逃さなかった。けれど今更、後戻りなどできない。俺は感情を押し殺し、そのままトキの頬に手を這わせて噛みつくように深く唇を重ね合わせた。それは俺とトキの望みであり、また同時にどちらの望んだことでもなかった。今この瞬間から、俺達の関係は完全に変わってしまったのだ。


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