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last spurt
006


「未波さんの事はさ、むしろ見直したぐらいなんだよ」

あれだけさらけ出していた怒りをすんなり引っ込めて、トキは柔和に微笑む。だが俺はもちろんトキに対して気を緩めなかった。

「それまでのナオは未波さんに頼りきりってイメージがあったから。もう未波さんなしじゃ生きていけないんじゃないかって思ってた。でもナオは、自分を悪者にしてまで未波さんの幸せを考えてたんだよな」

茫然とする俺にかまわずトキはペラペラとしゃべりだす。違う、俺はそんな立派な人間じゃない。そう叫べたらどんなによかったか。でも言えなかった。この期に及んでまで自分を取り繕おうとしたわけではない。トキがどういうつもりでこんなことを話すのか、まったくわからなかったからだ。

「あの時ぐらいからかな、ナオが気になりだしたのは。元々男を好きになれる体質とはいえ、認めるのには時間がかかったよ。自覚してからは、俺のこと好きになってくれないかなって、かなり努力したつもりだったんだけど少しも報われなかった。これでも本当にギリギリまで待ったんだよ。でもナオは、どうしてもチームをやめるみたいだったから」

トキはそこまで言い終えると、俺の反応をうかがってくる。こんな茶番はもう我慢の限界だった。

「そんなの、そんなの嘘だ…!」

俺は身体を縮めて、なるべくトキとの距離をとろうとする。そして腕をぐっと引き上げ、トキを睨みつけながら目の前に手錠を突き出した。

「本当に好きならこんなこと出来るわけない! 本当のこと言えよ! そんな嘘つかないで、本当のこと…っ」

信じられなかった。トキの口からでる言葉すべてが。好きだというのなら何故こんなことをした。俺を傷つけて何が楽しいっていうんだ。

「あのさぁ、ナオ。そんなのナオだけの理屈だろう。世の中には色んな考え方があるんだよ」

俺の怒りなど意に介することなく、おかしなことばかり言うトキ。柔らかく微笑む彼の目の色が、また変わった。

「つーか、この一世一大の告白にケチつけられるなんて、俺すっげぇ不愉快」

自らの右手で俺の手首をを壁に押しつけたトキは、もう片方の手を腰に回してきた。抵抗しようとも、雄々しい表情のトキの鋭い眼差しを受け、俺の身体は動かない。けれどトキに組み敷かれたその瞬間、昨日自分がトキにしたことを思い出した。
あの時の俺は不可抗力とはいえトキを押し倒し、相手のことを考えず自分の欲望を通そうとした。たとえそれが一瞬であっても、そんな考えがよぎったのは事実だ。

好きならこんなこと出来るわけない、なんて。ただの俺の願望じゃないか。

「本当に…? そんな理由で…?」

「そんな?」

「だって、馬鹿げてる…」

トキの目つきが、いっそう鋭くなる。でも俺は自分が言ったことが間違いだとは思わない。そんな理由、絶対に馬鹿げてる。そんな個人の感情で、未波さん達が残してくれたチームを潰すだなんて。それともこれが、チームを捨てようとした俺への報いなのか。

誰よりも仲間思いで、誰よりもチームのことを考えていたトキ。そんなトキが俺は好きだった。他の誰がやっても、トキだけは違うと信じていた。トキは変わってしまった。俺の知らないところで、誰にも気づかれることなく。

「お前は誰だ、トキ。何があったんだよ。お前はこんなこと、出来る奴じゃなかったはずだ」

不機嫌だったトキがまた微笑んだ。けれどこの笑顔を見ても、もう安堵感など芽生えない。

「…そうだね、ナオ。俺はトキじゃないのかも。当ててみてよ、今」

「な、に…」

「ナオの目の前にいるこの俺が、ヒチかもしれないってこと。ナオが望む仲間思いのトキは、暴力的な弟に脅されているのかも。まともな状況判断ができなくなったナオちゃんは、俺達が入れ替わったことに気づいてない。こういう筋書きも、あながち否定出来ないだろ?」

とんでもないことを言い出したトキの顔を、俺はもう一度しっかりと見た。確かに、喧嘩っ早くて暴力的で俺に異常な執着を見せるヒチなら、今回の事件を起こしたとしてもおかしくはない。少なくともトキよりはずっと可能がある。
俺がいつも2人を見分けられるのは、細かい仕草の違いに気づくからだ。普段のトキは穏やかで、ヒチのような荒っぽさがない。でも今のトキは穏やかでもなんでもなくて、ただの暴力に頼る不良だった。
でも、それでもこの男は──

「…いや、違う。お前はトキだ。俺がお前を間違えるわけがない」

「正解。さすがナオ、最後まで俺の負けだ」

本当に嬉しそうな表情で俺を見つめるトキとは逆に、俺の心は冷え切っていった。もし俺が2人を見分けることができなければ、2人を信じていられたんじゃないだろうか。こんな悲しいだけの事実を突きつけられるより、よっぽどマシだ。

「お前、俺をヒチにやるって言ったんだろ。今さらどういうつもりで…」

「え?…ああ、あれ。だってああでも言わなきゃヒチの奴、ナオにチクりそうだったから。それから、一応忠告しとくけど──」

トキは俺の腰から手を離すと、素早く胸ぐらを掴みあげた。

「ヒチに抱かせたりなんかしたら、絶対許さない。そんなことしたら壊すよ」

トキの冷たくも身勝手な発言に、自嘲めいた笑みがこぼれる。泣くのをこらえるためには、もう笑うしかない。

「許さない、ってなんだよ。お前がそう仕向けたんだろ! こんな拘束されてちゃ、ろくな抵抗もできねえ! ヒチに犯られたからって、何で俺がお前に壊されなきゃいけないんだ!」

俺の思考はこの時点で、すでにめちゃくちゃだった。けれど次のトキの言葉は、俺のまともな思考を完全に吹っ飛ばした。

「誰がナオを壊すって言ったの」

「誰が…って、だって、まさかお前…っ」

トキが言わんとすることを理解した俺は、底冷えするような恐怖を感じた。昔からよく知るトキとヒチの姿が脳裏によぎる。しっかり者の兄と、軽はずみな弟。2人の仲の良さはチーム内でも有名だった。

「ヒチはお前の、弟だろ…」

「そうだよ。あんなにナオにベタベタして、弟じゃなかったらとっくに潰してる」

「トキ──」


俺は大事なことを見落としていた。
ここにいるトキにはもう常識的な理屈は通じない。こいつはこんなことをしでかした時点で、すでにまともではないのだから。


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あきゅろす。
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