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last spurt
003



それは、少し肌寒い日の夜だった。この時間帯めったに人の寄り付かない工場の裏で、俺は1人の男を見下ろしていた。俺の身体は腹部と顔面に怪我を負い血だらけだったが、相手の男には立っていられない程のダメージを与えてやった。にも関わらずいつものような満足感は得られない。そんな気分になれるはずもないのだ。

「…これでどっちの力が上か、わかったでしょう。わかったらさっさとチームから出てってください、──未波さん」

仕掛けたのは俺。未波さんをここに呼び出し、勝負を持ちかけた。俺は本気だったし、向こうもきっと手を抜かなかっただろう。

その時、彼が笑っていたのか泣いていたのか、もはや今の俺に知るすべはない。









「そんな、じゃあナオちゃんが、未波さんを…!?」

俺の口からすべての真実を聞かされ、ヒチは口に手を当てながら顔を真っ青にした。生涯の恩人と尊敬していたはずの未波さんを、俺が叩きのめしていたとなれば当然の反応だ。

「ナオちゃんどうして? ちゃんと理由があるんだよね?」

「……その夜の前日、俺は偶然聞いちまった。未波さんがチームを抜けたがってること。でも俺を残していけないって悩んでること」

未波さんは俺が両親を亡くしたあの日から、ずっと俺のことを考えてくれていた。だから俺を置いていくことが出来なかったんだ。俺がまだ、どうしようもないガキだったから。

「自分のせいで、未波さんの人生をむちゃくちゃにしたくなかった。でも、俺がいくら大丈夫って言ったって、未波さんが納得するとは思えない。このままじゃ、仮に未波さんがチームを抜けても、ずっと俺に対して責任を感じることになる。それだけは絶対に嫌だった。だから、あの夜未波さんを呼び出して──」

「………」

あの日、俺は彼をチームから追い出した。下っ端に負けたとなれば、未波さんがヘッドの地位にいることは不可能。あの時の俺はこれが最善なのだと信じて疑わなかった。

「でも未波さん、ナオちゃんのこと恨んでるようには見えなかった」

「あの人は、一度信じた人間を疑わない。俺の気持ちを汲み取ってくれたんだよ」

未波さんは最後、俺に礼を言った。けれど今感じるのは後悔だけ。ヒチの目だって俺を責めてはいなかったが、それがさらに俺を追い込んでいく。

「でも、今になって思うんだ。俺のした事は本当に未波さんのためだったのか、他にも方法はあったんじゃないかって。前々から未波さんとは一度真剣に闘ってみたかった。自分の力がどれほどのものなのか確かめてみたかった。もしかしたら俺は、自分のために未波さんを…」

誰のために強くなりたいと願ったのか。それを忘れ、いつの間にか俺の目的は変わってしまっていたのだ。

「トキがその一件を知ってるとは思わなかったが、俺が未波さんにしたことを考えれば許せないのも当然だ。あいつも未波さんを慕ってた」

「でも、トキは誤解してるだけだよ。ちゃんと話せば…」

「今更何言ったって無駄だよ。ヒチ、これはあの時の報いなんだ。俺は罰を受けなきゃならない。お前にだって邪魔はさせねえ」

ヒチはなおも俺を説得しようとして口を開く。だがその前に俺がヒチに尋ねた。こいつにはどうしても訊かなきゃならないことがあるのだ。

「それで、お前の理由は何だ」

「え…?」

「てめぇがトキに荷担してる理由だよ。ヒチは未波さんのこと知らなかったんだろ」

「……」

ヒチは少しためらった後、相変わらずの沈んだ表情でぽつぽつと話し始めた。

「トキがユライと電話してるの聞いた後ね、俺すぐナオちゃんにおしえようと思ったんだ。でも電話しようとしたら、トキに見つかって」

「…まさか、脅されたとか言わないよな?」

ヒチは黙って首を横に振り否定する。膝に置かれた手はかすかに震えていた。

「トキはね、俺がナオちゃんのこと好きだって知ってた。俺が話してたから。でも俺の片思いってこともわかってた。だってナオちゃんには優哉がいるから…」

「なっ…! 何言ってんだよヒチ! 優哉と俺はただの友達…っ」

「別に隠す必要ないよ。いくら俺でも優哉を傷つけたりしない」

「……!?」

何故かはわからないが、ヒチは俺と優哉が恋人同士だと決めてかかっていた。俺が男を好きだと言ったからだろうか。だからといって相手が優哉というのはあまりに飛躍しすぎではないのか。確かに俺の優哉に対する態度は、友情の範囲を越えていたこともあったかもしれない。ごく普通に暮らしていた優哉を俺が半ば無理やりにチームに引き入れ、片時も側から離さなかった。優哉は傍目からすれば、まるで俺の所有物のようだったのかもしれない。その関係に悩んだこともある。しかし俺には優哉に対する愛情があったし、優哉もそれを受け入れていたはずだ。けれど、それを恋愛だと周りに認識されていようなどとは、今の今まで考えたことがなかった。

「──トキは、俺にこう言った。ナオちゃんは優哉が好きだから、いくら頑張ったって一生ヒチの物にはならない。けどもし、ユライとの計画を黙認して協力するなら──」

軽く伏せていた目を上げて、ヒチは俺を見つめる。次に来る言葉が予想出来て、息が止まりそうだった。

「ナオをあげる、って」

「……ッ」



わかっていたつもりだ。トキが俺を裏切った理由を知ってから。トキは俺を憎んでいる。未波さんの仇を取りたいと考えてる。でもその後は? 俺を叩きのめして、その後は……?


「俺は、これからどうなる」

「…わからない」

先の見えない未来に怯え、俺はヒチに答えを求めた。けれど所詮、トキの計画の一部でしかないヒチに答えられるはずもなく。

「ナオちゃん、ごめん」

放心状態になった俺の胸にヒチが頭を押し付ける。どうやら泣いているようだ。

「離してやれなくてごめん。好きになって、ごめん…」

見当違いのことで、俺に必死で謝るヒチ。なんて惨めなのだろう。ヒチではない、俺がだ。

その後のことなど、きっとトキは何も考えてなどいない。俺がどうなろうと、どうでもいいのだ。俺という存在が、トキにとって取るに足らないものであるように。


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あきゅろす。
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