last spurt
004
今は無人と化したはずの廃墟には、その昔使われていたベッドやデスクがそのままになっている。ガラス破片や壊れた椅子などが散乱した足場の悪い廊下を、俺はユライを追うために一目散に駆け抜けた。足音を頼りに奴を追うが、姿さえまだ見えない状況だ。てっきり裏口や窓から逃げ出すものだとばかりと思っていたユライは、逃げ出すどころか迷うことなく階段をのぼり2階にあがっていってしまった。
「くそっ、一体どうなってんだ…!」
何かがおかしい、心の中でそう思いつつも俺はユライを追うしかない。2段飛ばしで階段を駆け上るが、姿どころか奴の気配すら消えていた。
「隠れてないで、さっさと出てきやがれ臆病者! 勝負する前から逃げてんじゃねえよ!」
暗い病院には俺の怒鳴り声だけが反響する。頭が完全に沸騰していた。俺はここに追いかけっこをするために来た訳じゃない。正々堂々勝負するためだ。
ゆっくり慎重に廊下を進んでいくと後方から足音聞こえ、俺は瞬時に振り返った。だがそこにいたのはユライではなく、険しい表情のヒチだった。
「何だお前か…、どうしてここに? トキ達を置いてきたのか?」
「ナオちゃん…」
ヒチは今にも泣きそうな顔をしながら、俺に一歩一歩近づいてくる。あまりに不自然なその様子にヒチの腕にそっと手をそえると、ヒチは零れるような口調で話し出した。
「…ごめん、やっぱり俺ナオちゃんを裏切れない」
「…ヒチ?」
「今更、遅すぎるけど…」
コイツは今何と言った。裏切れない、と言わなかったか。まさか、ヒチがそんな、…有り得ない。
「ひょっとしてお前、スピロとグルだったのか」
否定してくれと願いながら、俺が決死の思いで訊ねた言葉にヒチが目を見張る。俺にとって、それは十分な答えだった。
「嘘だろ……、何でそんな馬鹿なこと」
「ナオちゃん、知ってたの? 俺がスピロと…」
「お前だとは知らなかった。俺は、」
俺は、裏切り者なんて絶対いないと信じていた。その結果がこれか。いつヒチがユライなんかと関係を持ったのかは知らないが、よほど巧妙に隠していたらしい。俺はずっと奴らに欺かれていたのだ。
「何でだ、ヒチ。何でそんな事した。一昨日の事が理由なのか? それとも他に理由があるのかよ。俺に不満があるなら、直接言えば良かっただろう」
「……ごめんなさい。ごめんなさいナオちゃん」
ついに泣き出したヒチに俺は驚き、そしてあっさり毒気を抜かれた。俺は裏切り者、と聞いて腹黒い策士を想像していたのだが、ヒチはそこから正反対の場所にいるようだ。まだユライと暗躍していた理由はわからないが、ヒチは俺を恨んでいるわけでも陥れようとしているわけでもないらしい。ただ子供だっただけだ。
「泣くなヒチ。何か理由があったのはわかる。お前は今こうやって謝ってくれたんだから、もういいんだよ」
我ながら甘すぎるとは思うが、ヒチを責めることならいつでも出来る。俺はヒチへの追及を後回しにしようとしたのだが、奴自身はそれを許さなかった。
「…よくない」
ヒチは一言そう呟くと弾かれたように俺の胸を勢い良く押した。
「ナオちゃん、今すぐ逃げて…!」
「ヒ、ヒチ?」
「俺の事はいいから、早く!」
ぐいぐいと俺の身体を押し続けるヒチ。スピロの連中のことを心配しているのだろうか。もしユライが俺をはめるつもりだったのなら、連れてきた仲間は4人だけではあるまい。
「わかった。今はとにかく逃げるから、まずトキ達のところに戻るぞ」
もし本当にユライが俺達を出し抜こうとしているなら、心配なのは自分自身でなくトキ達だ。トキに何かあったらと考えるだけで胸が苦しくなる。
だがすぐに走り出そうとした俺の腕はヒチによって掴まれた。
「何だよ、ヒチ」
「トキのところには戻らない方が…」
「はぁ!?」
俺の頭の中でヒチの言葉がぐるぐる回る。コイツが止めるということは、その場所は危険だということだ。つまりそれはトキが危険が迫っているということで。
「どういうことだ! お前トキに何かしたのか!」
俺はヒチの胸ぐらにつかみかかり揺さぶったが、ヒチは言葉を濁すだけだった。
「ナオちゃん、俺…」
「…くそっ!」
今この瞬間もトキが危ない目にあっているかもしれないのだ。俺を脅す材料がトキだとすれば、ユライが俺とトキを引き離したのにも説明がつく。ああ、どうして気づかなかったんだ!
俺はヒチの胸倉を掴んでいた手を離し、自分がきた方とは逆方向に走り出した。後ろから俺を呼ぶヒチの声が聞こえたが、頭にすっかり血がのぼった俺を止められるものは何もなかった。
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