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last spurt
007


ヒチが立ち去った後も、俺は自分の本来の目的も忘れて、すぐ側の石段に腰を下ろし放心していた。
まさか、ヒチが本当に俺を好いていただなんて。考えてみれば今までそう思う、思わなければならないふしがあった気がする。けれど俺はそれに気づけなかった。いや、無意識のうちにそれは違うと自分に言い聞かせていたのかもしれない。

だが今の話にはわからない点がある。そもそもヒチはなぜ今日言わなければならなかったのか。普通なら俺のようにすべてが済んだ後、告白したいと思うのが普通ではないのか。ヒチには幾ばくの時間もないように見えた。
でも、一体なぜ?



“自分が自分じゃなくなる”

“俺のこと好きになって”

“もう自分を制御出来ないんだ。このままじゃ…”







“ごめんね、ナオちゃん”



ナオちゃんを困らせたから、とヒチは言ったが、本当だろうか。あれにはもっと別の心痛な意味がこめられているような気がしてならない。トキの言動には不可解なものが多すぎる。

誰かが言った。愛と憎しみは紙一重だと。

今の俺にとってその言葉は教訓のようだった。ヒチに好きだといわれて少なからず嬉しい気持ちや、申し訳ないという感情はある。けれど俺の思考を支配しているのは、ヒチに対する疑惑だった。

俺に気持ちを受け入れてもらえないがために、凶行に走る。果たしてそんなことが有りうるだろうか。つい10分前なら絶対ないと断言出来ただろう。でも今は?

……わからない。









それから数時間はたっただろうか。当初の目的をやっと思い出した俺は香澄を見張っていたが、奴にまだ動きはなかった。もとより長期戦を覚悟していた俺はまだまだ待つつもりでいたが、1人でいると考え事も多くなる。

ヒチの真意なんてものはいくら考えても見つかりそうにない。だいたい、ヒチは俺をなぜあそこまで好きだと言える。俺は特にヒチに対して何かした覚えもない。ただの仲の良い友人として接してきたつもりだ。

これまで、そういう目で見られることはあった。この男ばかりの世界で女を見るような目で俺を見てくる連中はいる。俺をあざ笑い、馬鹿にしたような目だ。
俺はそれがすごく嫌だったけど、でも時々考える。男にそういう対象として見られる性質なら、なぜトキには効き目がないのだろう、と。

本当はわかってる。今まで俺をそういう目で見てきた連中が異常で、トキが普通なのだ。トキが俺など鼻にもかけていないことは明白で、そのたびに理不尽な悲しみが俺を襲った。




「まだここにいたんですか。何ふさぎ込んでるんです?」

突然、横から声がして俺ははじかれたように顔を上げた。そこには呆れ顔の優哉が立っていて俺を見下ろしている。

「お前…学校は?」

「終わりました」

「嘘!? もうそんな時間かよ!」

「二者懇談でしたから、短縮授業だったんですよ。でもまあ、もうそんな時間です」

にっこり微笑む優哉が、座り込む俺にすっと手を差し出す。意味がわからない俺はその手をただ見つめていた。

「なに」

「帰りましょう、ナオさん」

「何でだよ、せっかく香澄を見張るって決めたのに」

「待っても意味ないと思いますよ」

優哉は俺の目の前にしゃがみこみ、やけに真剣な顔をして俺を説得しだした。

「香澄さんが、ユライと連絡をとっているとは思いません」

「あのなぁ、何度も言ってんだろ。お前はアイツに騙──」

「もし仮に、そうだったとしても、わざわざ今日会ったりしないでしょう」

「だから、何で」

優哉のやけに自信のある言い方は、はっきりいって癇に障る。どれだけ俺がここで待ったと思ってるんだ。まあ考える事が多すぎて暇にはならなかったが。

「もし僕が香澄さんなら、会いません。バレる危険性が高くなる。連絡するにしてもメールか電話ですませます」

「……」

優哉の話には説得力がある。確かに言われてみればそうかもしれない。

「だから、帰りましょう。ここにいても仕方ないですよ」

だったらもっと早く言っとけよ、なんて身勝手なことを思ったりしたけど、俺は差し伸べられた優哉の手を握った。優哉はそのまま俺を引っ張り上げ立たせた。

「……ナオさん?」

困ったような、照れたような顔をする優哉。でも俺は優哉が離れていくのが怖くて、しばらくのあいだ恥じらいも忘れ、奴の手を握りしめたままだった。


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あきゅろす。
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