last spurt
003
移動中も恥ずかしくなるようなことばかり尋ねてくる優哉を極力無視して、俺は電車を乗り継ぎ早足でバーへと向かった。店に入るといつものようにマスターが丁寧に挨拶をしてきたが、俺は返事ともとれないような受け答えをしただけでVIPルームのドアを素早く開けた。待っていたのは慣れきってしまった仰々しい出迎えだ。
「ナオちゃん! 遅い!」
「ぐっ」
またしてもヒチに飛びつかれる俺の体。マスターに律儀にも丁寧な挨拶をしてきたらしい優哉が遅れて入室し、ヒチに締め付けられよろけたままの俺を楽しそうに見ていた。
「わお、朝からラブラブ」
「てめぇ、これのどこがラブラブに見えんだよ。笑ってねえで助けろ…」
俺の願いもむなしく優哉はそのまま俺を無視していってしまう。そんな俺達を見て香澄は興味がなさそうに顔をしかめていたが、奴の隣に座っていたトキはくすくすと笑っていた。ちょっとは嫉妬とか…する訳ないか。
「ナオったら、ヘッドの面子も形無しだね」
「………」
普段のトキとなんら変わらない口調と表情だったが、俺はまさにその瞬間に気づいた。これはいつもの出迎えじゃない。
「どしたの? ナオちゃん」
ほうけていた俺を心配して、抱きついたままのヒチが顔を覗き込んでくる。その時すでに俺はこの異変の正体に気づいていたが、騒いだりせずにゆっくりと絡みついてくる腕を振りほどいた。
「これで何度目だよ、ヒチ、トキ。何回やったって俺の勝ちだ」
「ナオちゃん…?」
「ナオちゃんはやめろ、トキ」
俺がそう言った瞬間、ヒチ…もといトキは驚きで目を丸くさせたが、すぐに観念したという風に手をあげ、にこっと微笑んだ。
「さすがナオ。過去最短記録だね」
「え〜っもうバレちゃった? つまんねぇぇ」
「お前ら…いい加減このくだらない遊びをやめろ」
くやしそうに頭をかきむしるトキ…のふりをしていたヒチ。俺の予想通り、2人は入れ替わっていたのだ。だがなんのことはない。これは昔から彼らがたまにやるゲームだった。
「どうしてナオにはバレるんだろう。これっぽっちも気づかない人だっているのに。ねえ? レイ」
「うっせえよ、馬鹿」
ソファーに深く腰掛けた香澄がふてくされた顔でトキから目をそらす。どうやら奴はまんまと騙されてしまったようだ。まあ香澄が気づかないのも無理はない。トキとヒチは一卵性の双子だ。外見、声、まばたきの頻度までほぼ同じといっていい。普段彼らの見分けがついているのは、内面から出るオーラと口調、服のセンスの違いからだ。けれどこのゲームの期間中、2人は互いを完全にコピーしてしまう。着ている服を交換し話し方をまね、相手になりきる。お互いをよく知っているからこそ出来る芸等だ。
「すごいですね、ナオさん。僕なんか何度もやられてるのに負けっぱなしです」
「はは…」
本気で感心しているのか優哉が感慨深げな声を出した。俺が奴らを見分けられる理由はただ1つ、俺がトキを好きだからだ。好きな相手は絶対に間違えない。ただ最初にこの入れ替わりゲームを試された時は、まさか入れ替わるとは思っていなかったせいで気づくまでに2時間もかかってしまった。今日のは本当に驚異の記録だ。
「さっすがナオちゃん! すごいっ」
「ぐえっ」
キラキラと目を輝かせて俺の元へ駆け寄りハグしてくるヒチ。これがいつもの激しい抱擁だ。
「一体ナオはどうしてわかるの? 親にだってバレたことないのに」
トキがしごく真面目な顔をして俺を問い詰めてきたため、ついお前が好きだからと言ってしまいそうになった。俺に毎回バレてしまうのが不思議で不思議で仕方がないらしい。謎を解決したがる小さな子供のような目をしたトキを可愛く思いながら、俺は軽い語調で答えた。
「だってお前ら、全然違うじゃん」
「………」
トキはこの答えにまったく納得していないようだった。無理もない、これはある意味嘘だ。なぜなら2人はとてもよく似ている。きっと違う所を探す方が大変だろう。
「違うー? そんなに?」
「ああヒチ、まったくの別人だ」
好きな男とそうじゃない男。俺にとってはまったく違う人間。2人を見分けられる理由をトキに言えたらどんなにいいか。
「じゃあナオは目がいいんだね、きっと」
穏やかな言葉の後に優しく微笑むトキ。彼は笑うと大きな目が緩んで、いつも以上に穏当に見えた。顔のつくりがいちいち丁寧で唇もすごく柔らかそう。こんな変態とさして変わらないような目でトキを見ているからこそ、2人を区別出来るのだろう。実のところ俺が気づく理由はいつもその細かい表情にあった。トキはヒチよりも仕草や顔つきが少しだけ上品に見える。きっと性格のせいだ。一卵性にしては2人の内面はあまり似ていなかった。
「悔しいな、いつもナオにはすぐバレる。でも次は絶対勝つよ、負けっぱなしは性に合わない」
「…そんな大げさな」
どうやらトキはこのドッキリを心底気に入っているらしい。てっきり双子ってやつは、自分を主張して互いが違う人間だということをわかって欲しいものだとばかり思っていた。まさかトキは俺が騙されるまで続けるつもりなのだろうか。
俺もごくたまに、2人の企画に乗ってやるかと思うことがある。なぜならヒチに扮したトキが俺にベタベタしてくれるからだ。この役得を逃す手はない。だがいざ実行しようとすると、すぐに顔は赤く染まり10秒と正気を保てなかった。他人の偽りに付き合って自分の秘密がむき出しになるのはごめんだ。
とその瞬間、コンコンっとドアがノックされ、俺達全員の意識がそこに集まった。ここにはすでにチーム全員がいる。つまりノックの相手は1人しかいない。
「どうした、マスター」
俺が声をかけると、外からマスターのややくぐもった返事が聞こえた。
「皆さんに、お客様です」
部屋の空気が一瞬で張り詰めた。ソファーに座っていた香澄も険しい表情で立ち上がる。
「誰だ?」
「それが……スピロからの伝言だと」
聞き覚えのある名に俺は振り向いて眼差しだけで優哉に尋ねた。奴は険しい表情のまま首を横に振った。
「何人いる?」
「1人ですよ。しかもまったくの丸腰」
「!」
返ってきた返事はマスターのものではなかった。聞き覚えのない男の声に一気に緊張が走る。
「…入ってこい」
「ナオさん!」
「いいから」
止めようとする優哉を逆に牽制し、俺はその見知らぬ男を招き入れることにした。優哉のあの表情から察するにスピロは族のチーム名。俺の頭に残るぐらいだ、よほど強いチームに違いない。
ドアが焦れったくらいにゆっくりと開き、1人の男が姿を見せる。俺の話が先延ばしになることは確実だった。
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