ストレンジ・デイズ
□危険な夜遊び
そういうわけで、俺は次の日からランニングを始めた。唄子の案では俺はマラソン大会で優勝し七竈の野望を阻止、そしてトミーのことは諦めろと奴に命令することになっている。簡単じゃないがこれが一番ベストの作だ。……多分、ベストだ。若干唄子にのせられた感はあるが、ここで引くのは男じゃない。
最初は放課後、居残り勉強を終えて薄暗くなってから走っていたが、クラブ中の生徒にじろじろ見られるわ化粧は汗で崩れるわで散々だったので、走るのを全員が寮に戻る9時過ぎに変えた。化粧もとってカツラもはずし、完全に男に戻って毎日走っている。そのおかげで授業中は寝てるかマフラーを編んでいるかだ。香月には何度も小言をくらった。
その日の夜も、俺は物凄く広い敷地内を一人走っていた。この時間になれば生徒はもちろん、教師も寮に戻っている。唄子には夜中走るのは大反対されたが、GPS付きの警報ブザーを常に携帯することで了解してもらった。これを押せばすぐに唄子に知らせがいくらしい。こんないいものがあるならもっと早くくれよ思ったが、よくよく考えれば使うときなんか来ないだろう。
好調なペースで走っていた時、遥か前方にライトの明かりが見えて急停止する。警備員か何かだろうか、気づかれないようにそっと後退しようとした。
「おい! そこの奴止まれ!」
「……うっそ、マジかよ!?」
だいぶ距離があったはずなのに相手は俺に気づき追いかけてくる。俺はフードを目深に被りすぐさま全速力で逃げた。
「待て! そこで何をしてる!」
「やっべぇ…!」
この声には聞き覚えがあった。俺の天敵、風紀委員の一二三正喜だ。よく怒鳴られるから間違いない。何であいつがここにいるのだろう。
芝生を突っ切り柵を越え、雑木林の中を掻き分けていく。普通なら俺の足についてくるのは至難の技だが、一二三正喜に限ってはそうじゃない。奴はまるで野性動物だ。俺並み、もしくは俺以上の体力で追い回してきた。このままじゃ先に俺がガス欠になる。今の俺は小宮今日子じゃない、この学校にはいない不審な男で、捕まったらまずいことになるのは明白だ。だが焦るあまり前を向いていなかった俺は、何かに盛大にぶつかって転けた。
「いてっ!」
「うおっ、何だ!?」
俺がぶつかったのは人だった。こんな夜中に出歩く奴が他にもいたなんて、今日は何てついてない日なんだ。
「お前いきなり何……」
「しーっ! 一二三が近くにいる!」
「は? マジ?」
一二三と聞いて慌てふためくそいつと一緒に茂みに身を潜める。二人して息を殺して待っていると一二三が通りすぎる足音がした。幸い、俺達には気づかず走り去っていった様だ。
「危なかった……」
「……おい、おりろ」
「あ、悪ぃ」
いつの間にか踏みつけていた男から離れて辺りを見回す。まだ一二三がその辺をうろうろしているかもしれない。
「何で一二三の奴、こんな時間に外にいるわけ?」
「あいつはたまに夜に見回ってんだよ、デフがよく夜遊びに行ったりするからな」
「デフ?」
それって確かこの学校の不良の別名だったか。普段は品の良い連中ばかりといるせいで不良がいるということを忘れがちだ。
「……ていうか、あんたは?」
恐る恐る、俺が巻き込んでしまった男に訊ねる。顔はよく見えないが金髪でピアスをしていて見るからに柄が悪そうだ。こんな時間に出歩いていたことを踏まえても、明らかに一般生徒じゃない。
「俺はこれだ」
そう言いながらタバコを吸う仕草をする男にやっぱりかーと項垂れる。不良と関わったなんて唄子にバレたらまたややこしいことになってしまう。
「そういうお前こそ誰だ? 見ねえ顔だし、デフじゃねえだろ」
「あー、まあ、そうですね」
「何してたんだ?」
「ランニング」
「は? 何で?」
「……マラソン大会で、優勝したくて」
特に取り繕う嘘もないのでありのままを正直に話す。それを聞いて男はぷっと吹き出した。
「お前あれだろ? 七竈とかいう女が目当てなんだろ? 新聞読んだぜ」
「いや、そういうわけじゃ」
「隠すなって、別に悪いことじゃ……んん?」
金髪男は俺の顔をまじまじと凝視してくる。俺は顔を背けつつもまさかバレるわけないと高を括っていた。
「どっかで見たことあると思ったら、お前あれじゃん」
「えっ」
まさかバレたのか? このどう見ても女には見えないノーメイクの顔で?
「遊貴の後輩。前に一度風呂場で会ったの覚えてねぇか?」
「風呂場……ってまさかあの時いたゆーき先輩のツレ!?」
確かに風呂場で運悪く鉢合わせた時、先輩の隣には金髪の友達がいた。顔なんてすっかり忘れていたがこいつだったのか。あの先輩の知り合いにこんなところで会うなんて、俺はどれだけ運が悪いんだ。
「そうそう。俺は余目竜二、遊貴の大親友だ。よろしくな、後輩君」
そう名乗った男はにっこり笑って俺の肩を叩いていたが、遊貴先輩にまた会ったらどうしようかとまるで生きた心地がしなかった。
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