ストレンジ・デイズ
□
「先輩、これ携帯っす……」
「貸せ」
俺がおずおずと携帯を差し出すと遊貴先輩はためらいもなくそれを掴み操作し始めた。防水だからいいものを、湯船にでも落としたらどうするつもりなのだろう。
「ほらよ」
「えっ」
しばらく画面を眺めていた先輩が雑に携帯を放り投げ、俺はそれを落とさないようにキャッチする。すんなり返してくれたことに驚きつつ、俺は先輩の顔をまじまじと見つめた。
「アドレスはもう覚えた。後で送るから登録しろよ」
「……うっす」
えええ覚えたってマジかよ。アドレス初期設定のままだからかなり覚えにくいはずなのに。
……そういえばこいつ、見た目に反してかなり頭良かったっけ。つくづく気にくわない野郎だ。
「それと俺、親が再婚して今は橙じゃなくて樽岸って名字だから。ちゃんと正しく登録しろよ。すぐ返信しなかったら承知しねぇからな」
ギロリと睨み付けられてコクコクと頷く俺。だが本心では誰が連絡するもんかと奴に向かって舌を出していた。きっと先輩はすぐに俺を見つけられて、いつでもぶん殴れると思っているだろうが、真宮響介という生徒はこの学校に存在しない。つまり今さえ乗り越えたら、コイツからは永遠に逃げられるのだ。
「…じゃあ先輩、俺は先にあがらせてもらいます」
何かボロを出す前に、と俺は早々と腰をあげる。ほんとはまだ髪も洗ってないけれど、俺の正体がバレないうちにとっとと退散しなければ。
「待てよ、響介」
俺のそんな目論みは先輩の一言によって一瞬で打ち砕かれる。すでにドアに向かいかけていた身体を、俺はやむなく制止させた。
「な、なんっすか」
まさか、この期に及んでまたパシられるのではあるまいな。こいつなら有り得る。ひとっ走りして風呂上がりの牛乳を買いに行かされるかもしれない。
「響介、中1ん時はお前で色々遊んで悪かったな。あん時は俺もまだガキだったから」
「……」
いきなり謝られて、どういう反応をすればいいのかわからなくなる。というか俺は遊ばれていたのか。あれが遊びの範囲内だったとは、知りたくなかった事実だ。
「でも俺、お前のこと結構気に入ってたんだぜ。叩いても叩いても歯向かってくる根性がさ」
「……そうっすか。でも、だったら今の俺は、先輩的にはかなりつまんないんじゃないですか」
途中でこりゃ身が持たんと反抗するのをやめた俺には、もうイジメ甲斐はないはずだ。頼むから絡んでくるのはやめてくれないだろうか。
だがそんな俺の願いも虚しく、先輩は俺を見て楽しそうに笑った。
「何言ってやがる。今だって昔と何も変わんねぇよ」
先程謝ったのが嘘のような意地の悪い顔をする先輩。どうやら俺の腹の中は奴に丸見えらしい。中1の時の嫌な記憶を思いだしてしまい、俺は唾を吐きそうになるのを必死にこらえた。
「お前も俺に会えて嬉しいだろ。また仲良くしようぜ、響介」
「……失礼します」
もうこれで先輩と関わるのも最後になるだろうと思うと去り際に文句の一つも言いたくなる。誘惑にかられて奴に悪態をつかなかった自分を褒めてやりたいぐらいだ。自分の正体を隠すためにも、俺はひたすら我慢して先輩に背を向け逃げるように風呂場から出た。
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