ストレンジ・デイズ
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八十島が出て行って何秒とたたないうちに、呆然とベッドの上に座り込んでいた俺の背後から人の気配がした。振り向くとドア口に保険医が立っていて、微妙な表情で俺を見ていた。
「唄子に言われてきたんだ。君が怪我してここにいるってね。久々に唄子の声を聞いた気がする。相変わらず僕を怖がっているみたいで、おもしろかったよ」
「…で、その唄子はどうした」
「すぐにバレーの試合があるとかで逃げてしまった。本当かどうかわからないけどね」
「……」
バレーの試合があるのは本当だろうが、はたしてそれが理由で保健室に戻ってこなかったのかどうかは疑わしい。俺がこんなことになってるというのに、あいつときたらこの変態メガネが怖くて逃げ出すなんて、チキン野郎め。
「さっきドアのところで1年の八十島君と会ったんだけど、喧嘩でもした?」
保険医の問いに俺は何も答えられない。そんな俺を見て奴は歪んだ笑みをこぼした。
「八十島君の秘密は君にはショックだったかな。真宮君は純情そうだから」
「…なっ、何でてめぇがあいつのこと知ってんだよ! 盗み聞きしてたのか!?」
「いやいや、まさか。彼が“あれ”にこの場所を使うのは初めてじゃないからね。君達の様子を見てかまをかけてみたんだけど、図星だったようだ」
「……っ」
俺の間違いであってほしいの願っていたが、やはり八十島は本当に売春まがいのことをしていたのだ。八十島のことが純粋に好きだった分、衝撃的だったし軽蔑もした。あいつに友情を感じていたのが遠い昔のように思える。
「くそっ…唄子のいうとおり、八十島には近づかなきゃ良かった…」
「唄子? あの子が何か言ったの?」
「…なんか、八十島とは、あんま親しくなりすぎない方がいいって。なんでって訊いたら、物事には裏の裏があるからって…」
八十島の裏の顔など、できることなら知りたくなかった。俺の中であいつは、汚い部分などない清廉潔白な男だったから。
「で、真宮君はその裏の裏を見たの?」
「え?」
「君が見たのは、彼の裏側でしかない。八十島君には、お金がどうしても必要な理由があったのだとしたら?」
奴の言葉の意味がわからず俺は顔をしかめる。保険医はデスクに腰掛けメガネを指で押し上げ、訳知り顔で話し出した。
「どういうことだ。こんな金持ち学校通ってんだから、金ならいくらでもあるだろ」
「彼は奨学生だよ。君と違って莫大な授業料も入学金も払っていない」
「…八十島にやけに詳しいんだな、ただの保険医のくせに」
「僕は一応理事長の孫だからね。八十島君の家は色々大変だったんだ。八十島君のお父さんはとある中小企業の社長で、八十島君もそれなりに恵まれた生活をしていた。けど彼が中等部の時、お父さんが事故で亡くなられて、会社も倒産に追い込まれた。彼は学校をやめなきゃならないところまで追い詰められていたようだ」
保険医の口から、八十島の父が死んだと聞かされて、奴と家族の話をしたことを思い出した。あのときの八十島は、親父さんのことを考えていたのだろうか。
「僕もあまり詳しくは知らないけど、どうにか人並みの生活は送れるようになったみたいだ。でも普通だったらもうこの学園にはいられない。お金がかかりすぎる」
「だから奨学生として入ったんだろ? なら、金は必要ねぇはずだ。人並みに生活できてんなら、尚更」
「確かに授業料と入学金はタダだけど、まず食費が問題だ。ここではなんでも高すぎる。その他にも何かと出費はかさむだろう」
「ならもうこんな学校やめちまえばいい。俺ならそうする」
きっぱりと断言する俺に保険医は小さく笑った。馬鹿にするような笑みだった。なんだか腹のあたりがむかむかする。
「入ってきたばかりの君にはそうかもしれないけどね、八十島君にとっては違うかもしれない。そう簡単には割り切れないよ。働いている母親を助けたくても、この学校はバイトもできない。ああしてお金をかせぐことが、八十島君の本意かどうかは誰にもわからない」
「……」
金に困ったことなどない俺には、絶対にわからないとでもいいたげの口調だった。腹が立つ。くそ、自分だってボンボンのくせに。
「さあ、八十島君の話はここまでにして、足を見せてくれないか。少ししゃべりすぎたようだ。…あーこれは完全に腫れてきてるね。僕から香月さんに連絡しておくよ。はい、湿布」
保険医の言葉が右から左へと素通りしていく。八十島の本意なんて考えなくてもわかりきっていた。あいつはきっと、あんなことしたくなかったはずだ。それなのに、俺ときたら…。
自分がいかに酷い言葉をぶつけたのか、今ならわかる。ついさっき八十島を軽蔑したはずの俺の心には、後悔の念が渦巻いていた。
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