ストレンジ・デイズ
□深入りしてはいけない
放課後の掃除を終えた教室で、俺はちゃんとサボらずに1人校長と八十島を待っていた。八十島は掃除当番の友人に付き合い共にゴミ捨てに行ってしまったのでここにはいない。まだ約束の時間もきてはいないので、校長の姿もなかった。
窓辺でぼーっとたそがれていると、嫌でも今日のことを思い出す。トミーの胃袋はまるでブラックホールだ。香月ですら腹を壊した俺の料理をペロリと平らげてしまったのだから。もはや人間業ではない。もう何をしてもトミーをぎゃふんと言わせることはできないような気がしてきた。
「はぁ〜…」
華の女子高生とは思えないほどの深いため息。
怜悧は今、どうしているだろうか。香月が連絡してくれるのを待つしかないこの身が恨めしい。
「なんだよ小宮、そんなに居残り勉強が嫌ってか?」
ケラケラ笑いながら教室に入ってきたのは、見るからに悩みのなさそうな秀才、八十島だった。どうやら今のため息をばっちり聞かれてしまったらしい。
「遅ぇぞ八十島。てめぇから言い出しといて」
「悪い悪い。ここに帰る途中でちょうど先生に会ってさぁ。ついベラベラしゃべってたから」
「先生って、例の校長? どこにいんだよ」
俺がきょろきょろと八十島周辺をみると、奴の後ろからひょこっと子供が飛び出してきた。いや、よく見ると子供ではない。すげぇ小柄な年寄りだ。
「初めまして、私は四十万といいます。この学園の校長をやっています」
そうゆっくり自己紹介をして俺に頭を下げた校長は、なぜ定年退職してないのかが不思議なくらいよぼよぼだった。縁側と三毛猫が似合いそうだ。
「ちっちぇー…」
「こ、小宮。挨拶」
八十島が珍しくも若干焦っていたので、俺は背筋を伸ばして校長を見下ろしながら声高々に名乗った。
「1年A組、小宮今日子。得意な科目は体育。苦手な科目はそれ以外全般っす」
「小宮…」
八十島が何か言いたそうな顔をしていたが、完全にスルーした。校長は白髪混じりの頭を、まるで照れてるみたいに撫でていた。時代錯誤な丸メガネと髭のせいで表情がよくわからない。
「よろしくね、小宮君。私のことは校長でも、四十万先生でも、どう呼んでくれてもかまわないから」
「じゃあ、校長…いややっぱじーさんで」
「…小宮、お前」
唖然とする八十島に、隣にいた校長が耳打ちする。隠してるつもりなのかもしれないが、俺の聴力を持ってすれば丸聞こえだ。
「八十島君、この子すごいね」
「はは、そうですね。…色んな意味で」
「将来、大物になりそうだ」
「確かに」
「おい、お前らどういう意味だ」
俺の威嚇をものともせず、じーさんは俺の前にあった机を動かし俺の机とドッキングさせる。八十島も俺の隣に座り、校長と同じことをした。
「じゃあ早速、勉強始めようか」
用意していたらしいプリントが机の上に並べられていく。ざっと見ただけで眠くなりそうだ。
「じゃあ小宮君はまずこのプリントの問題を解いて。急がなくても、ゆっくりわかるところだけでいいから」
「はあ…」
このじーさん先生、なぜかさっきから俺を君付けしてくる。男子校の校長なんてやってるせいなのかもしれないが、こちらとしては性別がバレたのではないかとヒヤッとしてしまう。
「八十島君はわからないところがあったら訊くこと。わかってるだろうけど、あくまで小宮君が優先だからね」
「はい、先生」
「へぇ、そういうことになってんのか。悪かったな八十島。俺がいちゃ邪魔だろ?」
俺の皮肉を込めて言った言葉に八十島が笑う。だがいつもの柔らかく爽やかな笑みではない。
「逆だよ逆。実は俺、今までこうやって本格的に勉強見てもらうことはできなかったんだ。せいぜい理解できないところを訊きに行く程度で。でも小宮のついでならいいって、四十万先生が言ってくれたから。本当は、俺が小宮に礼言わなきゃならないぐらいなんだよ」
「ふーん…」
もしかしてこいつ、最初からそれが狙いだったのだろうか。お礼を言われた俺は複雑な心境になりながらも、意外とちゃっかりしてやがる八十島に感心していた。
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