ストレンジ・デイズ
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その日の夜、7時間授業というハードな労働を乗り越えた俺は、二段ベッドの上で横になりながら携帯でテレビを見ていた。だがそこに風呂上がりの唄子が帰ってきてしまい、1人の自由で楽しい時間はあっという間に終わってしまった。
「あ〜、キョウちゃんまだお風呂入ってないのー?」
ドアが開く音と共に、唄子のいつもの小言が始まる。うざい。ほっとけ。お前は俺の母親かよ。
「これ見たら入る」
「そんなこと言って、それが終わってもまた違う番組見るんでしょ。何のためにこの部屋にテレビがないと思ってんの。集団生活のリズムを乱さないでよね」
「大浴場独り占めしてるお前に言われたくねえー」
「別に独り占めなんかしてない」
うらやましいことに入浴者(女)が10人もいないらしい学校の浴場(女風呂)は毎日貸し切り同然だ。唄子なんか知らない人がいたからという理由で、風呂に入らず帰ってきたこともあった。部屋についてるトイレと共同の風呂に入る俺の気持ちなどわかりはしないだろう。
「大浴場ったっていいことばっかじゃないのよ。知らない人と鉢合わせになった時の気まずさといったら。まともに顔も見れないんだからね」
「別に女同士なんだから気にする必要ねぇだろ。いいなあ〜でっかい風呂」
「男子のほど大きくないし、言うほどでもない」
「……いや、何でお前男子風呂の構造知ってんだよ」
「言ったでしょ。この学校であたしの知らないことはないの」
「だったら俺の苦痛も理解しろ馬鹿」
自分の恵まれた環境に気づかない唄子に、入浴中便器を横に見るつらさをおしえてやろうと二段ベッドの上から身を乗り出した瞬間、俺はとんでもない物体を見つけてしまった。
「ご、ご、ごごごご」
「何? 変な声出して」
「ゴキブリ! お前の足元にゴキブリいる!!」
そう、唄子の近くにいたのは間違いなく真っ黒いGのつく害虫。それなのに唄子はなぜか少しも慌てようとしない。
「やだ、ビビらせようとしたって無駄よ。あたしの学校にゴキブリなんているわけ…イャアアアア!」
俺の言葉に耳をかさず下を見た唄子が絶叫する。やはりコイツもゴキブリは苦手だったか。
「いた! ほんとにいた!!」
「だからそう言ったろ。つかここ俺のベッド! 勝手に上がってきてんじゃねえよ!」
「しょーがないでしょー!」
あろうことか唄子は二段ベッドの階段をのぼって俺のテリトリーに侵入してきやがった。それを必死に食い止めようとするも鬼気迫る表情の唄子には適わない。
「アイツ早く退治してよキョウちゃん!」
「いや無理! ゴキブリとかぜってぇ無理!」
「前に虫大丈夫って言ってたじゃん!」
「虫っつったらトンボとかチョウチョとかだろ!? ゴキブリは論外!」
「御託はいいから、男ならさっさと退治してこい!」
そんなん男女差別だ! というまっとうな意見を無視された俺は、頭をわし掴みにされベッドから落とされそうになる。しかし俺の視線の先である床には、なぜかGの姿はなかった。
「あれ、ゴキブリいねえじゃん。どこいった」
「嘘! さっきまでそこにいたのに」
俺と唄子は無言で目を合わせる。奴も俺もこれからどうするか考えてる顔だ。たとえ見えないからといって、ゴキがここに存在しないということにはならない。むしろ100パーセントまだこの部屋の中にいるだろう。
「ゴキブリ1匹見たら30匹いると思え、ってよく言うよね…」
「俺は100匹って聞いたぞ」
「………」
「………」
ぞわわわわわっ。
爪先から頭部まで何かゾッとするものが駆け巡る。さすがに100匹はいないとわかっているが、想像しただけで吐きそうだ。
「こんな狭い部屋にそんなうじゃうじゃ、たえられねえ…!」
俺が絶望に打ちひしがれていると、俺のテリトリーにいた唄子がいそいそと一段下の自分のベッドへ下りていった。
「本当は、こういう自分の立場を利用するようなことはしたくないんだけど、今回は緊急事態だもんね。仕方ないわ」
「唄子…?」
奴は枕元に置いてあったらしい自分の携帯を取り出し、俺に確認をとるような視線をぶつけ一言いい放った。
「キョウちゃん、業者呼ぶわよ」
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