未完成の恋
やまない雨はない
「じゃあな木月、天谷!」
「おう、また明日」
「ばいばい」
クラスの友達が俺とひなたに手を振り、駆け足で去っていく。彼らは今日も飽きもせず遊びに行くらしい。いちおう俺達も誘われたのだが昨日も遅くまで同じメンバーでカラオケに行った上、テストが近い。丁重にお断りしておいた。
「ひなた、今日お前んち行って勉強すっから」
のびをしながらの俺の発言に、ひなたは目を見開き、鞄を持とうとする手をとめた。
「け、圭ちゃんが? なんで? どういう風の吹き回し?」
「うるせぇ」
なんて失礼な奴だ。俺だってやるときはやる。受験前の俺の別人のような努力を見ていただろうに。
「今回点とらなきゃヤバいんだよ」
「ああ、そっか。中間はさんざんだったもんね」
黙れとばかりにひなたを睨みつけたその時、扉から俺のよく知る顔が見えた。毎度毎度のことなのに、いつもクラスじゅうが色めき立つ。
「よお、圭人」
「颯太先輩!」
油断して駆け足で近づくと、案の定、先輩の横にいる男が見えた。
「……と、九ヶ島」
やっぱり、いたか。今日はいないかも、と淡い期待を持った俺が馬鹿だった。
「何だ、その言い方。まるで俺に会いたくねーみたいじゃねぇか」
「みたい、じゃなくて会いたくねえんだよ」
不満げな顔の九ヶ島をからかう先輩。それにキレたのはもちろん九ヶ島だ。
「はあ? テメェこそ何で毎日に来てんだっつの。邪魔なんだよ」
「成瀬が圭人に何かしないよう、見張ってるに決まってんだろーが」
お互い背が高く体格がいいだけに、迫力ある言い争いだ。そのある意味仲むつまじいともいえる喧嘩を見て、俺はチャンスとばかりにひなたの腕をとる。
「行くぞ」
「け、圭ちゃん!?」
驚くひなたにかまわず、九ヶ島らに気づかれる前に俺は教室を早足で飛び出した。
「なんで、断っちゃったの?」
晴天の空の下、校門近くまで来たとき、ひなたが唐突に尋ねてきた。立ち止まって振り返れば、ひなたの険しい表情が目に入る。
「九ヶ島先輩のこと。…そろそろちゃんと、理由おしえてくれてもいいんじゃない」
ひなたには、いつか訊かれると思っていた。遅すぎたぐらいだ。俺が九ヶ島の告白を断ったと言ったとき泣きそうな顔で、どうして、と何度もいった彼の顔が浮かぶ。そのとき俺は、お前のせいじゃない、としか言えなかった。
「僕のことなら気にしないでって、言ったのに…」
「ちがう。お前は関係ないって何度言ったらわかんだよ」
「じゃあ何が理由?」
間髪を容れずに尋ねられ、俺は言葉に詰まった。言いたくはなかったが、そうもいかないだろう。ずっと前から、ひなたのこの目には逆らえない。
「─……って、…しかったんだ」
「え?」
観念して口を開いたはいいが、蚊のなくような声しか出なかった。俺はもう気恥ずかしいやら何やらで、やけになって怒鳴り散らした。
「悔しかったんだよ! 俺がいっぱいいっぱいなのに九ヶ島は全然余裕でさ、どーせ俺のこと好きなんだろ? みたいな顔されて。“好き”なんてぜったい言ってやるもんか! ああ、思い出しただけでも腹が立つ!」
俺が吐き出した苛立ちを聞いたときのひなたの顔ときたら、安堵や驚きを通り越してあきれかえっていた。
「…で、断っちゃったの」
「ああ。テメェなんか好きじゃねーよバーカ! つって逃げた……」
ひなたが頭を抱えて盛大にため息をつく。それから首を2回、左右にふって俺をげんなりした目で見つめた。
「…………意地っ張り」
「う、うるさい」
情けない自分が嫌でうつむく俺の手首を、今度はひなたがつかんだ。突然のことに驚いた俺は顔をあげる。
「圭ちゃん、僕んちで勉強するんでしょ」
俺が頷くと、ひなたはまるで過保護な親みたいにその手を引いた。
「だったら早く行かないと。先輩達が来たら、離してくれなくなっちゃう」
「あ、ああ」
俺の手首を掴んだ手をそのままに、ひなたはずんずん歩き出した。俺はその力に逆らわず引きずられるように足を進めながら、最近ちょっとばかし気の強くなった親友の後ろ姿を見つめていた。
ひなたが納得してくれて、良かった。嘘、というわけじゃなかったが、一番の理由はそれじゃない。俺は時間が欲しかったんだ。あのまますんなり九ヶ島と付き合うことを選ぶにしては、いろんなことがありすぎた。そんな簡単に、気持ちを入れ替えることは俺にはできない。でもそんなことひなたに言ったら、また気にするに決まってる。
透き通るような空の青を見上げながら、俺は大好きな親友の手の温もりを感じていた。彼が背中を押してくれたんだ。気持ちの整理がついたら、俺から九ヶ島に好きだと言おう。それまでアイツが本当に待っててくれるかはわからないが、後悔はしない。それが俺の出した答えだ。
いつか、俺は九ヶ島と付き合って、ひなたよりも九ヶ島を好きになる日がくるのかもしれない。
でもその時がくるまで今はこのまま、なんてことない日常をひなたと過ごしていければ、これ以上の幸せはないだろう。
「──ありがとな、ひなた」
「…え?」
当惑顔のひなたが俺を振り返る。小さい声だったから聞こえなかったようだ。
「なんでもないよ」
俺は、ひなたの男にしては小さく繊細な手を握り返し微笑んだ。そしてその手から伝い注がれる友情を、独り占めしたくなる程、愛おしく思った。
end
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