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未完成の恋
004


しん、とした教室に足を踏み入れる。外からは雨の音だけが静かに響いていた。俺の恐怖を煽る空気はまだ全体に満ちていたが、迷わず俺はうずくまっている先輩に近づいた。

「……なんで、戻ってくんだよ」

いつものたくましい姿がすっかり消えた先輩が、睨むように俺を見上げる。そして彼はすぐあざ笑うかのような顔を作った。

「そんなにヤられたいわけ?」

「…っ、…違います」

俺は先輩の目の前に慎重に腰を下ろした。ほぼ同時に、先輩は俺から目をそらす。

「…颯太先輩、中学のとき俺に言ってくれましたよね。力は、人をおさえつけるためのものじゃないって。それなのに、どうして…」

力つきたようにぐったりした先輩は、今度は悲しげな笑みを浮かべた。

「お前は俺を、いい人、って思いすぎ」

先輩は笑っていたけど、うんざりした顔でもある。いい人であることに疲れた。そう言われた気がした。

「なんであの時、天谷が都合よくお前らの前に現れたと思う。理由は簡単、俺がおしえたからさ。天谷に、お前と成瀬の関係がバレればいいと思った。うまくいけば、圭人のまわりには俺しかいなくなるだろうって、そう考えた」

俺はショックで一瞬、先輩が何を言っているのかわからなくなった。あの時、とは恐らく、ひなたに九ヶ島との事がバレたときだ。それを仕組んだのが先輩だったなんて。

「言ったろ、俺はそんないい人間じゃない。欲しいもん手に入れるためなら、正論なんて潰してやる」

手を伸ばされて、俺の体は見た目じゃわからないくらい小さく強張る。けれど先輩は俺が入ってきたドアを指差しただけだった。

「お前は成瀬を選んだんだ。俺んとこになんかきて、どうする気だよ。…さっさと出てってくれ」

「い、嫌です…!」

即答した俺に、先輩は目をまるくさせ、手は行き場をなくす。

「俺は確かに九ヶ島が好きです。でも、それと同じくらい先輩も大事なんです! そりゃ、好きの意味は違うけど……だからこそ、どっちかを選ばなきゃならないなんて、俺は思いたくありません…!」

ぎゅっ拳を作って、自分を奮い立たせる。頑張れ、って言ってくれる誰かがこんなに欲しいと思ったのは、生まれて初めてだ。

「先輩のしたことは、正直簡単には許せません。でも先輩がいない生活なんて、俺には考えられないんです。勝手なこと言ってるのはわかってます。全部俺の我が儘です。でも、たとえ颯太先輩が嫌でも、俺はずっと先輩のそばにいたいんです!」

一気にまくしたてた俺は、乱れた呼吸をととのえる。
男同士だ。けれどこの学校では、そんなことは障害にはならなかったし、変だと思うことも少なかった。でも、だからこそ、友情と恋の差は女相手より微妙なものなんじゃないだろうか。

「…圭人に気持ちを知られた以上、今まで通りいられるわけがない。お前だって、そうだろ」

突き離すような颯太先輩の言葉にたえられなくなった俺は、上半身を倒して腕だけ先輩の方にのばし彼の手を握った。

「…だったら、変わってしまってもいいんです」

重ねた手に力をこめる。俺の中の恐怖は消えていた。

「今まで通りじゃなくても、いいんです。それでもいいから、俺のこと避けたりしないで下さい……」

どんな形でもいい。先輩とはずっと繋がっていたい。ひなた同様、彼は俺を変えてくれた人だ。俺がどれだけ先輩を尊敬していて、どれだけ好きか、わかってほしい。

「…………お前なぁ」

ぽんと頭をなでられる。顔をあげると先輩のいつもの笑顔があった。

「フった相手にずっと一緒いろって、ずいぶん酷なお願いだろーが」

「先輩…!」

俺はすがるように先輩に抱きつく。彼はいつも通り、俺を優しく受け止めてくれた。

「……ごめんな、圭人。本当にあんなことするつもり、なかったんだ」

先輩は俺が怖がらないように、その身体をそっと包み込む。

「いいんです、わかってます…!」

先輩は完全に床に腰を下ろしているが、俺は膝をついているだけだ。だから必然的に俺が先輩を見下ろす形になっていた。

「圭人」

俺の胸に顔をうずめていた先輩は、顔を離して俺を見上げた。

「1つだけ、頼みがあるんだ」

「はい」

先輩は俺の顔をなでながら、人懐っこい笑みを浮かべた。

「俺のこと、ちゃんと意識してくれないか」

「……?」

俺が首を傾けると、先輩は額を俺の胸に押し付けた。

「俺といて、無防備に安心されるのは嫌だ。お前なんか相手にしてないって言われてるみたいで、いつもつらかった」

「……先輩」

仕方のないことだとわかっていても、俺の心には自分に対する憤りと後悔の念が渦巻く。そんなことを感じていたなんて、俺はちっとも気づかなかった。先輩の気持ちも、何もかも気づくことが出来なかった。

「お前がこの教室を出たら、次会うときは色んなものが変わってるはずだ。だから新しいお前には、俺のことを意識して欲しい。俺も、もう絶対に卑怯なことはしない」

この部屋は、ずいぶんと静かだ。俺の耳には先輩の声しか聴こえない。今までにないくらいの静寂に包まれている。

答えるかわりに、俺は友愛を込めて先輩を抱きしめた。ここはまるで時間が止まったみたいに、物音一つない、穏やかな世界だった。

変わらないものなんてない。時間がたてばたつほど、いい方にも悪い方にも、簡単に変化していく。それをどう受け止めるかは、きっと、すべて自分次第。俺が決めることだ。


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あきゅろす。
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