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未完成の恋
007


「……圭人」

呆然と、まるで凍ったように立ち尽くしていた俺は、九ヶ島に呼びかけられやっと意識を取り戻した。

「追いかけない、のか?」

そう遠慮がちに尋ねてくる九ヶ島。俺が言うことじゃないけど、とでも入れたげな口調に俺は渇いた笑みがもれた。

「……ひなたにあわせる顔なんて、ない」

「でもっ……」

俺の言葉に間髪入れず九ヶ島は俺の腕を掴み強く揺さぶってくる。その目は真剣そのものだ。

「お前は俺に脅されてたんだ。今だって無理やり…」

「違う」

雨音だけが滲むように響く、しん、とした階段。俺のいらついたような言葉は誰の耳にも届いただろう。

「俺は脅されてた訳じゃない。無理やり、されてたわけでもない」

顔を伏せ拳を強く握った。キリキリと痛む胸は俺を苦しめる。けれど俺はそれを甘んじて受け止めていた。

「圭人、それって…」

かすかに嬉しさを含んだ九ヶ島の声。俺は意識的にヤツの首に手を回し耳元に顔をよせた。

「九ヶ島、お願いがある」

俺が小さく、けれど奴に聞こえるような声の大きさで囁く。顔が近すぎて九ヶ島がつばを飲み込む音がはっきり聞こえた。

「…もうこれ以上、俺に近づかないでくれ」

奴の体がこわばったことを知りながら、俺はさらに顔を寄せついには九ヶ島と頬を触れあわせた。

「頼むよ」

震える声、泣きそうになるのを抑えながら俺は九ヶ島にいった。奴の体からゆっくり離れる。それが名残惜しくてたまらない。でも、

「圭人!」

九ヶ島に引き止められる前に俺は床に置いていたカバンを拾い上げ、その場から逃げた。一心不乱に昇降口に向かって走るが傘を忘れてきたことに気づき足を止める。でもどうしても取りに戻るわけにもいかず、俺はそのまま雨の降る外へと出ていった。

雨はあっという間に俺の身体を濡らし、足取りを重くさせる。すれ違う人々が俺を見ていたけど気にもならなかった。

俺は、絶対に取り返しのつかないことをした。もうひなたが俺に近づくことはないだろう。笑顔を見せることも、『圭ちゃん』と俺を親しげに呼ぶことも、もはや幻、遠い思い出だ。
悲しくないと言えば嘘に、苦しくないと言えば嘘になる。消えて失くなってしまいたいと言えば、それはもう必然のように思えた。

自業自得。それは自分が一番わかってる。裏切り者。それが今の俺にお似合いの言葉だ。

俺の心は空っぽで、悲しいはずなのに瞳からは何も溢れてはこない。すべてが、涙さえ消えていた。

俺の世界にはいつもひなたがいた。ひなたが俺のすべてだった。それを失った今、俺はこの世界にたったひとり。たった1人で生きていて、消えて失くなることさえ出来なかった。


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あきゅろす。
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