未完成の恋 002 その日の放課後、降り続ける雨を横目に見ながら俺は掃除にあたっているひなたを待っていた。もとより人ごみが嫌いな俺は人通りの激しい昇降口をさけ、少し離れた廊下の奥で携帯を睨んでいた。 着信6件、メールが1件。 着信の一つは颯太先輩からだ。後でかけなおさねばならない。きっと心配してる。 俺は携帯を閉じ窓枠にもたれかかりながら重いため息をつく。その瞬間、まるでタイミングを見計らったみたいに荒々しい足音が聞こえた。 「やっと見つけた…」 いつかこんな時がくるだろうと覚悟していた俺は、いきなり現れたその男に少しも動揺しなかった。 「九ヶ島」 俺がしれっとした顔で名を呼ぶと奴は怒りに満ちた顔でずかずかと近づいてくる。俺はひるむことなく奴を睨み返した。 「テメェ…何で電話にでねえ!」 今にもつかみかかってきそうな九ヶ島の様子に俺は俄然怒りが湧いてくる。 「わかんねえのか?」 俺の低く冷静な声に九ヶ島は目をむいた。 「てめぇの顔を見たくねえんだよ、俺は。同じ空気も吸いたくない」 「はあ!?」 俺の言葉の意味が理解できないのか奴はらしくない顔をして大声で叫んだ。 「なんだよ、圭人。いきなりどうしたんだ」 「いきなりもクソもねえだろ。気安く俺の名前呼ぶな」 九ヶ島は鋭い眼光と共に俺に一歩近づいてきた。俺は首だけを奴に向けていた。 「俺はもうお前に会うつもりはない。これでさよならだ、九ヶ島」 今ここで別れを言えて俺は心の内でほっと息を吐いていた。ひなたといるときに引っ張りこまれたらどうしようと懸念していたが、奴にもそれくらいの気遣いはあったようだ。 「なんだと!?」 ひどく穏やかな気分の俺とは対照的に九ヶ島は今までにないぐらいキレた。俺の胸ぐらをつかみあげ乱暴に揺らす。 「テメェ俺に反発してタダですむと思ってんじゃねえだろうな」 「ひなたに手ぇだすか、写真ばらまくか」 奴の脅しに怯むことなく俺は不敵に笑った。 「やりたいならやれよ、どうせ俺とお前をつなぐもんはそれだけなんだから」 「圭人!」 どうやら本気で怒ったらしい九ヶ島は俺を荒々しく引っ張り反対側の壁に押し付けた。衝撃で一瞬息がつまる。 「…お前、それ本気で言ってんのか」 「ああ。今さら何をされたって、痛くもかゆくもないね」 「そういうことじゃねえよ!」 九ヶ島はどこぞの不良よろしく俺にがんをとばし悔しそうな瞳を向けてきた。 「そういうこと言ってんじゃねえ! …俺は、お前といてすごく……幸せだった。でもお前にとっては……」 「苦痛でしかなかった。──その通りだ、九ヶ島」 奴はショックを受けたかのように俺の腕を掴む力が抜ける。これも演技なのだろうか。今の俺には、どうにもわからない。 「まさか自分が好かれてる、とか思ってたんじゃねえだろうな? おめでたい奴だ。他人を脅して強姦して、そんな奴が好かれるわけねえだろ」 俺はすっかりゆるんだ奴の手を思い切り払いのけた。 「いいか! 二度と俺に近づくんじゃねえ! テメェのその面見てると、虫酸が走る」 捨てぜりふを吐き逃げるように俺は九ヶ島に背を向けた。だが奴は俺の腕を再び強くつかみ、放さない。 「圭人……」 すがるような九ヶ島の口調に俺は唇をかみしめた。 「俺が嫌いなら一言、嫌いだって言ってくれ。それで俺はお前を、──諦める」 胸が、いっぱいになった。 今日で終わる、すべてが。俺の心にはずっと焦がれてきた開放感と深い虚無感が混同していた。 「諦められるか、わかんねえけど。努力する。忘れる努力を」 忘れる、と聞いて俺は奴にやりきれない怒りを感じた。忘れる努力をしているのは俺の方だ。全部お前のせいなのに。 すべての責任を九ヶ島になすりつけた俺は奴に憎しみのこもった笑みを見せてやった。 「ああ、是非そうしてくれ。もし諦められなかったら強姦でもなんでもすればいい。得意だろ? そういうの。俺はお前に勝てないからな。好きにできる。ぶん殴って気絶させて、無理やり突っ込むなりなんなりお前の自由だ」 「そんなことっ…」 「しないだろうな。俺はお前にとってただの換えのきくセフレなんだから」 俺の言葉に九ヶ島の目が大きく開く。俺は泣きたくなるのを必死でこらえ奴を哀れみを込めた目で睨みつけた。 「──大嫌いだよ、九ヶ島。最初から最後まで、ずっと」 後悔しないうちに足早に教室を去る。すべて終わった。これでいい、これでいいんだ。 このまま降りしきる雨の中に飛び込んでしまえば、そうすればこの頬に伝うものがなんの意味も持たないことがわかるだろう。九ヶ島への気持ちと共に、消えて失くなってしまうに違いない。 [*前へ][次へ#] [戻る] |